詳しくは↑の動画ぶろぐに掲載
本コラムをいったん終了させていただきたく、
ご挨拶申し上げます。
永い間お読みいただき、誠にありがとうございました。
将来、再び筆を執ることがあるかもしれませんが、
その節はまた、よろしくお願いします。
[ ご挨拶 ]
本コラムの執筆を開始したのは、二〇一二年一一月(表題 厚顔無恥の世代)のことである。それから瞬く間に、六年余が経過した。やや唐突で、恐縮であるが、本コラムはここでいったん終了とさせていただきたい。
筆者がこの世に生を受けたのは、太平洋戦争終結の一か月前、一九四五年七月のことである。その後、本日に至るまでの間に、阪神淡路大震災、未曽有の金融危機、東日本大震災など、実に様々な経験をした。
この歳になって、世の中の出来事を見聞きしていると、ひとこと言い残しておいた方が良いのでは、という気持ちにかられることも多い。この世に生きた証と言うと、大げさであるが、自分のこれまでの生きざま、経験、知恵、知識などを踏まえて、思うこと、感じることを、素直に、ストレートに、記しておくことは、自分の孫子達のためにも、多少意味があるのかもしれない。
また、筆者と同年代の人達は、太平洋戦争敗戦直後の物質的にも精神的にも極貧の時期を経験し、そこから立ち上がって、国の復興、発展のために心血を注いできた。しかしこの年代の人は、世間に対して、黙して語らない者が多い。それもあって、一部の者の、国や社会に甘えるような言動が、そのまま、同年代全体の特徴であるかのように、世間から誤解されている恐れもある。仮にそうだとすれば、このような不名誉な誤解は、微力ながらも、解くべく、努力を払わなければならない。
本コラムを執筆したのは、概ね以上のような動機からである。
内容は、政治、経済、社会、スポーツ、マスコミなど、多岐にわたった。そしてカテゴリーによる区分はしないで、執筆した時期の順に掲載した。執筆時点の社会背景を念頭に置きながら記事を読んでいただくと、より納得がいく場合があるためである。
登場する個人や企業については、可能な限り、名前を明示するよう努めた。もちろん文責は筆者にある。これは、会社勤めだった時の執筆活動で、会社に迷惑が及んだりすることがないよう、個人名や会社名の取り扱いを、極めて慎重に行った結果、隔靴掻痒のストレスを強く感じたことに対する、反動からである。
本コラムは、筆者の主観のままに、言いたい放題を書き綴ったが、多少なりとも、読者の皆さんの共感を得たり、参考に供するものがあったならば、幸いの極みである。
これまで、飽きもせず御覧いただいたことに、心よりお礼を申し上げる。
(二〇一九年一月末日)
松井コラム31年1月号
「ものごと良し悪し」
ものごとの良し悪し〕
国や政治の状況、社会の出来事などの良し悪しを判断する時、筆者が拠りどころにしている基準は、大きく二つある。一つは「国民経済の観点」であり、もう一つは、「健全な国家観と社会常識」である。
第一の、国民経済の観点とは、具体的には、「日本国」(すなわち、国土面積三七万八千平方キロメートル、人口一億二千七百万人、平野部は少なく、天然資源は些少で、地震、津波、火山噴火、台風などの自然災害が多い島国)の中で生活を共にしている国民の、「全体に共通する価値観」で、物事の良し悪しを判断する、ということである。
この観点に立てば、国政に与る国会議員は、当然、自分を選出した地域ではなく、「日本全体」の視点に立脚して、ことの良し悪しを判断すべきということになる。地域の意見や意向を政治に反映させるのは、地方議員の役割である。仮に国会議員が地元から発信された意見や意向を取り上げることがあるとすれば、それが飽くまで地元の問題に止まらず、日本全国に共通する問題だから、ということでなければならない。換言すれば、国民経済の観点とは、「国民の最多の価値観」を視点にして、物事の良し悪しを判断すること、と言うこともできる。
第二の、健全な国家観と社会常識とは何か。まず、健全な国家観とは、民主主義の主権国家として、当然有すべき価値観のことである。主権国家とは、自国の領土、国民の生命、安全、財産を確実に保全できる能力を備えた国家である。例えば、自分の国は自分で守ることができる軍事力、正論と筋目を通す外交力、国民の生命、安全、財産を他国から侵食される不安が微塵もない政治力を具備していることなど、世界でごく当たり前の常識たる価値観である。
次に、健全な社会常識とは、言い出したらきりがないが、例えば、@自分の国と国民に誇りを持ち、さらにこれを高めていく。A日本国民の一員として、当然守るべきルールは守る。B自身の権利の行使は、他の人が同様に有する権利を侵してはならない。C自由と放任、権利とわがままは厳に異なる。などといった社会全般の価値観のことである。
健全な社会常識を論ずる場合、筆者が留意していることがある。それは、日本の社会の軸は、時折左にズレていることがある、という点である。例えば、自国を守るための軍事力の保有や自主憲法の制定など、主権国家として、当たり前の世界常識である「あるべき姿や方向」に対して、これを、右寄りなどと言う人が、日本には存在する。しかし殆どの場合、右寄りと発言した者の軸が、実は左にずれている。
このように社会の軸を左にずれさせた最大の原因は、言うまでもなく、戦後における日教組の教育である。日教組の思想は、「共産・社会主義礼賛」、「競争より悪平等優先」など、問題だらけであるが、とりわけ致命的な欠陥は、戦前の教育を全否定するあまり、「自分達の祖国と国民をないがしろにする」という、世界に類を見ない過ちを犯していることにある。いわば、「戦前に対する行き過ぎた反動教育」であり、まさに「亡国教育」なのである。
日教組による教育の成果もあって、戦後の一時期、社会主義が、あたかも、「ファッション」のようにもてはやされ、全国新聞の中にも、朝日新聞のように、そのお先棒を担ぐものが現れた。しかし、時代の経過とともに、共産主義や社会主義の国家では、勤労意欲の低下、生産性の低下、官僚、軍人、政党幹部の汚職や腐敗などが蔓延する事態が露呈した。結局、共産主義や社会主義は、人類にとって有害な思想であることが明らかになり、この思想は東ドイツ、ソ連を先例として、目下、地球上から着実に消滅しつつある。しかし、このような状況下においてもなお、日本の一部のマスコミや教育界は、前世紀の遺物から脱皮できず、依然としてそれを引きずったままでいる。この国の教育を正さなければならないゆえんである。
(二〇一九年一月一日)
松井コラム30年12月号
「文春と新潮」
[文春と新潮}
銀行の調査部時代、全国新聞の内容を比較検討することが、仕事の一部であったころ、新聞とは別に、重用していた週刊誌があった。それが週刊文春と週刊新潮である。
全国新聞には、各社にそれなりの特性がある。一つの出来事や事件でも、新聞社によって、扱い方が異なる場合も多い。例えば、政府や政治に関する事件だとすると、朝日新聞は異常なほど反政府、反日的である。毎日新聞も、ややこれに近いところがある。対して産経新聞は、左派政治には厳しく、保守政治に対しては、概して肯定的である。読売新聞にも似たところがある。
従って、一つの事件や出来事の本質を、より正確に把握しようとする場合には、一社の記事だけを鵜呑みにするのは危険である。必ず数社の記事を読み比べて、吟味してみる必要がある。
そのくせ一方で、新聞各紙には、「仲良しクラブ」のようなところがある。注意深く見ていると分かるが、一つの新聞社が他の新聞社を真正面から非難したり、酷評したりすることは、殆どない。誤報道や不祥事が発生した場合もである。例えば、朝日新聞が、自らサンゴ礁を傷付けておいて、自然破壊を非難するという、大ウソの記事を捏造したことがある。報道機関として、もはや失格に値するレベルの捏造報道である。しかし、こんな悪質極まりない事件でも、朝日新聞を正面から大々的に非難した新聞社は見当たらなかった。
また、全国紙の新聞休刊日は、何故同一の日になっているのか。おかしいと思ったことは無いだろうか。全国紙側は、「飽くまで偶然の一致」と主張しているが、毎回毎回、偶然で一致することなど、あり得ないではないか。新聞休刊日については、予め各社の談合で決めているという、独占禁止法違反の疑いが濃厚なのである。
全国新聞社と異なり、文芸春秋社と新潮社は、言うまでもなく、非新聞系の会社である。そして両社はともに週刊誌を発行している。時にスキャンダラスに過ぎる記事や、脱線したような記事もあるが、全国新聞各社の「仲良しクラブ」とは、一線を画した取り組み姿勢を保っている。先に述べた新聞各社の談合疑惑などは、新聞を読んでいるだけでは、決して分からない。問題の指摘や摘出ができるのは、非新聞系のマスコミ(文春や新潮)だからこそ、なのである。多面的な視点で、事件や出来事を把握しようとする時に、両誌は結構役に立つことが多かった。
最近、両誌の記事が世間で大きな評判になることが、昔に比べて多くなったように思われる。それだけ世間を騒がすような事件の数が増えたからなのか、あるいは、新聞に不満を持つ読者が増えたからなのか、原因は定かではない。
いずれにせよ、両誌の記事が話題になるたびに、両誌を重用していた時代が、懐かしく思い出されてならない。
(二〇一八年一二月一日)
松井コラム30年11月号
「高校野球の実力」
[ 高校野球の力量]
やや旧い話になるが、今年(二〇一八年)の九月に、日本(宮崎)で開催された野球、Uー一八、アジア野球大会のことである。予選リーグの日本対韓国戦をテレビ観戦した。普段、高校野球をさほど観戦しないこともあって、日本を代表する高校生達が出場する試合を、一度見てみようと思ったからである。試合結果は一対三で日本の負けであった。が、勝敗以前に、際立ったのは日本チームの内容のひどさであった。
これでも高校生の代表なのかと疑いたくなるような、オソマツなプレイの連続で、唯一救われたのは、投手陣のまずまずの健闘のみであった。打撃陣はアッパースイングで、ポップフライの山。それ以上にヒドイのが守備で、特にショートは平凡なゴロを、何と三つもエラーして、ピッチャーの足を思い切り引っ張った。内容は「高校草野球」のレベルである。
監督の采配もいただけない。国際大会という、甲子園とは異なる環境を踏まえた、臨機応変の対応ができていない。口では、「スモールベースボール」を唱えながら、実践が伴っていない。韓国のほうがよほどスモールベースボールに徹していた。日本チームにとって、この試合は、たまたま不出来なものであったのかもしれないが、もし本来の力量がこの程度であるならば、何故日本中が甲子園に熱中するのか、理解不能である。
なお、今年の夏は、とりわけ金足農業がもてはやされたようだが、これは、半ばプロ化した最近の高校野球にあって、地方の、しかも公立の農業高校が活躍したことに、人々が高校野球の原点を見る思いがしたからであろう。
ただ、高校野球で、投手の過酷な連投は絶対してはいけない。「肩」は消耗品である。アメリカを見習うがよい。少年はもとより、世界最高峰のメジャーリーグでさえも、投球数の管理が重視されている。日本の、とりわけ高校野球の投球過多は、選手の将来を駄目にしてしまう。松坂、田中、大谷達も、高校時代の過酷な投球がなければ、その後の姿はもっと良いものになっていたはずである。過酷な投球を、「熱投」などと称賛するのは、とんでもない思い違いである。
なお後日談になるが、日本チームは次の台湾戦でも負けた。韓国戦と同程度の戦いぶりであったとするならば、当然の結果である。この際ついでに言えば、日韓戦で実況放送を担当したアナウンサー(TBS)も、出来の悪さが顕著であった。アウトカウントやイニング数など、基本的な事項を誤るかと思えば、解説者が返答に窮して、苦笑するような、トンチンカンで低レベルな質問を連発していた。
また、韓国戦では、実に不愉快な出来事もあった。終盤、韓国選手が三盗を試みて、結果は失敗に終ったが、この際、日本人三塁手のグラブをスパイクで踏みつけた。誰が見ても、明々白々な故意である。
世界中から韓国人が嫌われ、下げ済まされる理由のひとつが、このあたりにもある。
(二〇一八年一一月1日)
松井コラム30年10月号。
日本相撲協会解体論
[ 日本相撲協会解体論 ]
貴乃花親方の引退騒動を見ていて、「日本相撲協会」に対し、改めて、猛烈な怒りがこみ上げてきた。怒りに任せて筆を進めることにする。
筆者の相撲観戦歴は、昭和二十年代、初代若ノ花に始まり、貴乃花の引退(二〇〇三年)で終わった。最近、久しぶりに、本場所をテレビ観戦してみたが、現在の相撲に魅力を感じることはない。図体のデカイ者が、ただぶつかり合っているだけのような相撲があまりに多い。加えて、ひどいのが、横綱白鵬の相撲である。
白鵬の相撲は、狡猾で見苦しい。相手を出し抜くような立ち合いをする。張り手を多用する。立ち合いも相撲の内容も、お世辞にも、横綱としての品格がある相撲などと言えるシロモノではない。双葉山の爪の垢を、多少なりとも煎じて飲んでみたらどうか。また、モンゴル出身の力士どうしが熾烈な優勝争いをしたことがないのも、摩訶不思議である。
この中で、貴乃花部屋の力士の相撲は、総じて小気味良かった。貴景勝にしても、モンゴル出身の貴ノ岩にしても、懸命に相撲を取っていることが伝わってきた。貴乃花の現役時代の相撲に対する姿勢が、間違いなく弟子達に継承されていると実感できた。これが僅かな救いであった。
しかし、日本相撲協会において「掃きだめのツル」のような存在であった貴乃花が、引退を余儀なくされた。貴乃花を、組織人としての言動に問題があったなどと指摘する者がいるが、相撲業界と相撲協会の正常化を第一義に考えるならば、そんなことは末節の問題である。
今回の経緯をつぶさに観察していると、明らかに、日本相撲協会による陰湿な貴乃花締め出しである。この結果、日本相撲協会は、名実ともに「掃きだめ」に成り下がった。
日本相撲協会と言えば、いまだに「ナアナア」や「マアマア」を運営の基本としている、旧態依然とした、化石のような団体である。隠蔽、虚言体質で、害をまき散らし続けている点では、化石よりも遥かに始末が悪い。大半の役員に、相撲界改革の明確な姿勢は見られない。八百長相撲や暴力沙汰など、業界の破廉恥事件は枚挙に暇がないにもかかわらずである。
協会役員のマネジメント能力そのものものも、無いに等しい。例えば、代表の八角(北勝海)や、広報担当の芝田山(大乃国)などに、相撲界の現状を、瞠目すべきレベルで改善しようなどという姿勢は、感じられない。やっていることは、チマチマとしたマイナーチェンジのみである。
余談になるが、彼らの現役時代の相撲で、印象に残っているものは皆無である。北勝海はスケールの小さい、ゴチョゴチョとした相撲で、まことに影が薄い存在であった。大乃国にいたっては、何故横綱になったのかと疑問を持つような、ミジメでヨレヨレな相撲しか記憶に残っていない。筆者に言わせれば、特に大乃国は、それこそ横綱の名を汚すような存在でしかなかった。
対して、現役時代の貴乃花の土俵は、真摯であった。彼の相撲で唯一不自然さを感じたのは、兄若乃花との優勝決定戦の一戦だけである。これは、弟として出来得る、兄への精一杯の愛情表現であったと理解している。
八角も芝田山も、相撲界に対する貢献度は、言うまでもなく、貴乃花の足元には、遥かに遠く及ばない。このような輩が、引退後、協会内で権勢を振るい、貴乃花を締め出したことには、我慢がならない。「ツルの抜けた掃きだめ」となった相撲協会に、もはや未来はない。
この際、日本相撲協会については、単なる一般の利益追及団体とすべきである。当然のことながら、NHKは放映をすべきではない。もはや国技と呼ぶに値しない相撲を、公共の電波で流すことは、それこそ国民から徴収した貴重な受信料の無駄使いである。
それでも相撲が見たいという者がいるのなら、プロレスでも見るつもりで、試合場(国技館などと呼ぶべきではない)に直接足を運べばよい。
(二〇一八年一〇月一日)
松井コラム30年9月号
末期的病状のスポーツ団体その2
末期的症状のスポーツ団体(その2)
五年前の二〇一三年七月に、同表題のコラムを掲載した。それから今日に至るまで、依然として、スポーツ界の不祥事は、絶えることなく、続いている。相撲界の暴力問題、女子レスリングや女子体操のパワハラ問題など、不祥事はまさに「花盛り」である。最近の事件の中で、とりわけ目立った事件は、「日大アメフト事件」と、「アマチュアボクシング連盟事件」である。
脳ミソが筋肉と化したのではないかと、疑いたくなるような者達が引き起こした両事件は、マスコミに対して、格好の時間つぶしの材料を提供することになった。低コストで長時間の番組を作成できるマスコミは、それこそ大喜びである。
余談だが、両事件に絡んだ組織のトップ(日本大学理事長田中英寿、日本ボクシング連盟元会長山根明)には、面白い類似性がある。両者の風貌が、あたかも兄弟のように、よく似ていることだ。どうやら人間は、やりたい放題や独断の世界に、永年ドップリと浸かっていると、似たような風貌になるようだ。
スポーツ団体に限らず、およそあらゆる組織において、トップに立つ者が見識と良識とを備えていれば、組織の致命傷になるような問題は、めったに発生しない。ここで言う見識とは「物事の本質を見極める力」であり、良識とは「健全な常識」である。とりわけスポーツ団体は、閉鎖・排他性が強い。また、専門的でもある。このため、ややもすると独断と偏見に陥り易い体質を有している。このような体質の組織に対しては、冷静な立場で、チェックと統制を行うことが不可欠であり、スポーツの世界でそれを担うのは、スポーツ庁であるべきだ。
しかし、不祥事件に対するスポーツ庁のこれまでの対応を見ていると。いかにも他人事のようで、腰の引けたスタンスである。視野狭窄で世間知らずの子供に対する躾は、とりわけ具体的、厳格に行うべきであるにもかかわらずである。
日本のこのままのスポーツ界では、二年後の東京オリンピックなど、とてもおぼつかない。スポーツ庁は、スポーツ界の抜本的改革に向けて、早急に強力な対応を行う必要がある。万一スポーツ庁による改革が困難の場合には、窮余の一罰百戒策として、組織そのもの(日本大学やアマチュアボクシング連盟)を潰してしまうことも、この際、已むを得ないと思われる。
それくらい、日本のスポーツ界の現状は深刻なのである。
(二〇一八年九月一日)
松井コラム30年8月号
元気な国アメリカ
トランプ大統領の、言いたい放題、やりたい放題が止まらない。「アメリカ第一主義」を唱え、経済、外交、軍事など全ての分野で、世界をかき回し続けている。
第二次世界大戦時、アメリカは、永年にわたる孤立主義を捨てて、勝利を主導し、名実ともに世界トップの国家に躍り出た。その後、圧倒的な経済力と軍事力を背景に、政治、経済、軍事の面で世界をリードしてきた。世界平和の維持、新しい秩序の構築など、戦後の体制づくりは、とどのつまり、アメリカにとって有利な体制を構築することであったが、ロシアや中国に比べれば、合理性、納得性の高い体制ではあった。
現在のトランプ政治の、ひとつの特徴は、民主党政治に対する強烈な反発政治である。前オバマ大統領は、「したり顔で、腰の引けた」政治であった。ひらたく言えば、「ええかっこしぃ」の政治である。トランプ大統領は、これを真っ向から否定し、アメリカの本音を、露骨に前面に出す政策を行っている。
もはや現在のアメリカには、かってのような余裕はない。懐具合にも限度がある、という訳である。常識的には極端極まりないと思われる政策も多いが、今のところ、これが大きく頓挫する兆しは、見られない。概ね国民の半数が、彼を支持しているのも、また事実であるからだ。
それでは、アメリカは、将来どうなるのであろうか。ポスト・トランプの時代が到来しても、この状態が続くのであろうか。答えは多分、そうではなかろうと思われる。ポスト・トランプのアメリカを大胆に予測すると、恐らく、トランプ政治に対する軌道修正の動きが,、随所で見られるのではないか。アメリカの政治は、現在よりは、懐の深いものに回帰するのではないか、と思われる。
アメリカはこれまで、共和党と民主党の政治が概ね程よくバランスしながら、進んできた。この基本的な構図は、今後も大きく変わることはないと思われる。一見、大胆に、舵を右や左に切りながら、結果的にはバランスのとれた形で前に進んで行くという可能性が高いのではないか。
翻って、日本の政治をみると、自民党と交代で政権を担いうるような政党は、未だに存在しない。ほんの一時期、民主党が政権を担ったことがあったが、あまりに無能力に過ぎて、瞬く間に日本の国を大きく棄損してしまった。現在でも日本の野党は軸がズレており、森友・加計問題など末節の問題に、時間を浪費して、得々としている。お粗末極まりなく、とても政権を担えるようなレベルではない。
日本に比べれば、アメリカは、まだまだ活力を保って、前に進んで行くのではないかと思われる、
(二〇一八年八月一日 )
松井コラム30年7月号
史上最低の男子サッカー
ワールド・カップのロシア大会、日本の決勝トーナメント進出がかかったポーランド戦で、それは起こった。日本の勝利が絶対必要な状況下で、一点のビハインドを許していた後半戦、日本チームが突然、時間稼ぎのパス回しをし始めた。ボールを保持しても、攻めることをしない。ただ、パスを回しているだけである。ポーランドチームもこれに対してはなす術もなく、ただ陣形を調えて構えるだけであった。
テレビ観戦していた筆者は、最初、何が起こったのか、理解できなかった。しばらくして、どうやら、このままの状態で日本が負けるならば、決勝トーナメントに進出できる状況になったらしいことが分かった。
その後も日本チームは、パス回しに専念していた。当然のことながら、そのうち、観客からブーイングが起こった。それでも日本チームはパス回しをし続けた。筆者も強烈な怒りを覚えた。これほど観客をバカにした試合は見たことがない。これでは、後進国の中国や韓国が、バドミントンの試合で見せた無気力試合と何ら変わりないではないか。
監督の西野朗が、時間稼ぎの支持をしたようだが、そんな醜いことまでして、決勝トーナメントに進出しても、筆者は全く評価しない。スッキリした形で決勝トーナメント進出を勝ち取るなどと、威勢の良い姿勢は何処へ行ってしまったのか。この監督の下心が透けて見えた気がする。選手達も、このような俗悪プレーを、本心は不明だが、表向きには、それなりに肯定していた。
そもそも、今回のチームには、当初からいろいろとケチがついていた。大会直前になって、前監督のハリルホジッチを交代させたことである。仮にハリルホジッチが、どれほどまずかったとしても、ここまで大会が迫った時期での解任は、ないだろう。こんな非常識なことをするくらいならば、何故、ハリルホジッチを監督として選んだのか。日本チームの育成や運営に関して、それまで協会と監督との間で、充分な意思疎通はなされてきたのか。仮に交代させるのであれば、何故もっと早くできなかったのか、など、日本サッカー協会(JFA)会長(田嶋幸三)の、見識が疑われる出来事は山積している。
後任の西野朗監督も問題なしとしない。前職では、ハリルホジッチ監督に意見を言える立場にありながら、本人に直接、問題指摘をしたことは、殆どなかったと側聞している。もしそうであるならば、ハリルホジッチをだまし討ちにしたようなものではないか。
選手も問題である。ハリルホジッチ監督の方針や采配に批判的な意見を言う者がいたが、この者達は、口は達者でも、現在の実力は、世界のトップクラスには及ばない。そもそも、世界のトップクラスと比べて、日本の男子サッカーは、明確に二線級である。誤解を恐れずに言えば、野球や女子サッカーの方が、世界のトップにはまだ近い。日本の男子サッカーは、実力に不似合いの過保護を受けていると言える。
世間は何故、世界レベルで二線級の男子サッカーに、これほどまでに肩入れをするのだろうか。おそらくサッカーが、スポーツでは最大級の国別大会であることに加えて、マスコミが扇動していることに、大きな原因があるのではないか。
日本の男子サッカーがこれほどまでに弱くてお粗末なのは、身体能力だけでは、説明がつかない。例えばメキシコのように、日本人と体格的には大差がなくても、活躍している国は多いからだ。認めたくはないが、日本人は、サッカーの試合に不可欠な、とっさの判断や行動をすることが、、不得手な民族であるのかもしれない。
サッカーに関係する者達は、当然ながら、このスポーツを精一杯盛り上げて、ご利益に与ろうと目論んでいる。しかし、日本はこのスポーツに本当に腰を入れて取り組むべきなのか否か。この際、冷静になって再考したほうがよい気がしてならない。
(二〇一八年七月一日)
松井コラム30年6月「安全ぼけ」
安全ボケ
財務省の事務次官が、セクハラ疑惑で、退任を余儀なくされた。ことの真偽は別として、驚かされたのは、被害者とされる者が、週刊朝日の女性記者であったことである。朝日新聞の関係記者に対して、疑惑を生じさせるような行為をしたという、次官の「安全ボケ」ぶりが、驚きなのである。
企業で、多少なりとも、広報に関する業務に携わった者であるならば、朝日新聞のタチの悪さは、身に染みて分かっているはずである。社会正義を振りかざすフリをしたり、弱者の味方であるようなフリをして、相手に因縁を付け、しつこく付きまとうのは、「朝日」の常套手段である。のみならず、このマスメディアは、時に、事実の隠蔽や歪曲まで行う。
古くは、サンゴ礁を自分の手で傷付けておきながら、自然保護を訴えるといった、「マッカなニセ記事」を捻出したこともあった。また、慰安婦問題においては、このメディアの嘘で固めた売国記事が、見事に日本の国を棄損してしまった。かくも悪質で低俗なマスメディアに対する、財務省次官の無防備さは、感動的でさえある。このような鈍感さで、よくもまあ、次官にまで上り詰めたものだ。
翻って、被害者とされる女性記者にも、問題や疑惑は大ありである。先ずは、情報を、自分が所属しているメディアではなく、第三者(新潮社)に渡したことだ。自らが入手した情報を、他のマスメディアにリークするなどということは、あってはならないことであり、マスコミそのものに対する世の中の信頼を、根底から覆すような裏切り行為である。
そもそも、女性記者が単独で、閉塞された場所において取材すること自体がおかしいし、不自然ではないか。セクハラまがいの行為が起こるかもしれないことは、事前に充分予想もできたはずである。日頃の朝日のタチの悪さからすれば、もともと、セクハラを誘発させる意図もあったのではないかと、邪推したくすらなる。売国的マスコミ媒体である「朝日」の言い分を、そのまま鵜呑みにできないのは、おそらく筆者や財務大臣だけではあるまい。
さて、このマスコミ媒体(=朝日)と官僚とでは、どちらが、日本の国のために、役に立っているのか、と言えば、それは間違いなく、官僚である。いやしくも国の屋台骨を支えるべき、官僚たる者が、この体たらくは、いかにも情けない。我が国の先行きは、ひょっとしたら、「安全ボケ」で、茨の道なのかもしれない。
(二〇一八年六月一日)
松井俊一コラム30年5月号「人生の節目」
人生の節目
この歳になって、改めて振り返ってみると、就職、結婚など、人生における重大な節目は、実はほんのちょっとした偶然の積み重ねで、決まったように思われる。「熟慮を重ねた結果の結論」であれば、それなりに聞こえもよいが、少なくとも自分の場合は、そうでないことが多かった。例えば、就職先が決まったいきさつなどは、まさに、偶然の積み重ね、そのものであった。
当時(昭和四三年頃)は、就職内定の時期が、企業の業種によって、それぞれ異なっていた。例えば、銀行は最も早く(四年生になった年の春)、総合商社は遅いほう(秋ごろ)であった。筆者の就職希望先は総合商社であったので、四年生になりたての四月は、就職活動を行うこともなく、毎日をのんびりと過ごしていた。一方で、当時、同じギタークラブのマネージャーであったN君は、都市銀行を就職の第一志望にしており、春から精力的に、銀行訪問などの活動を行っていた
四月のある日、N君から次のような話があった。
「都市銀行Kの人事部には、美人の銀行員が揃っている。電車賃を払っても、一度顔を見に行く価値は、充分にあるよ。」
N君が教えてくれた道順は次の通りであった。
山手線の有楽町駅で下車、皇居のお堀端に向かって歩く。お堀端にぶつかったら、左折する。そのまま行けば、K銀行の本店がある。
そこで数日後、暇つぶしを兼ねて、彼に教わった通り、有楽町駅で下車し、お堀端に向かって歩いてみた。お堀端にぶつかったので、左折した。するとそこには、K銀行ではなく、三井銀行の本店があった(後日判明したことだが、K銀行の本店は、さらに先であった)。三井銀行本店では、当時、ギター部のS先輩が勤務していることを予め聞いていたので、挨拶がてら、立ち寄ってみた。
すると、S先輩は本店営業部の窓口で業務を行っていた。会釈をして、先輩のところへ行くと、先輩が尋ねた。
「今日は何しに来たの?」
「いえ、ここに来たのでありません。実は、これからK銀行の人事部へ行くところなんです。」
「えっ、何だいそれは。それならば、うちの銀行の人事部が五階にあるから、すぐそこへ行きなさい。」
かくして、先輩に言われた通り、そのままエレベーターで五階に上がり、人事部を訪問することになった。そうすると、その場で面接が行われ、訪問の翌日には、就職が内定したのである。結局、K銀行は訪問せず仕舞い。それどころか、企業訪問なるものも、三井銀行一行だけで終わってしまった。
このように、就職先が決まった事情は、偶然の積み重ねそのものであった。が、就職だけでなく、結婚もまた、似たように、偶然の積み重ねであった。ただ、就職も結婚も、もしも、現状とは異なる結果になっていたならば、それはまたそれで、別の偶然が積み重ねられた結果ということになるのであろう。
案外、人生とは、そんな偶然の積み重ねの結果であるのかもしれない。
(二〇一八年五月一日)
松井俊一コラム30年4月号「小平奈緒賛歌」
小平奈緒 賛歌
不愉快な韓国での冬季オリンピック大会で、思わず快哉を叫んだ出来事がある。スピード・スケートの女子五百メートル、小平奈緒の優勝である。
スポーツと一言で言っても、フィギア・スケートなどの採点競技では、勝負の結果に、必ずしも納得のいかないことがある。ちなみに今大会でも、中国人審判員が、自国の選手に対して極端に甘い採点をしたことが暴露された。また、採点競技でなくても、カーリングのように、競技の最中に堂々と間食をしたりして、これでもスポーツか、と疑いたくなるものもある。
これらの競技に比べて、スピード・スケートは、速いか遅いかの勝負であり、優劣が単純にして明快である。とくに今回の小平奈緒の場合は、以前からささやかれている、イン・コースとアウト・コースの有利・不利、韓国の妨害疑惑の有無など、お構いなしで、オリンピックレコードを叩き出して優勝した。これこそ文句なしの快挙である。
スピード・スケートは、フィギアスケートなどに比べて、いかにも地味な競技である。そのため、スポンサー企業にもなかなか恵まれない。多くの選手が経済的な負担に喘ぎながら、黙々と練習に励んでいる。小平もその例外ではなかった。練習を継続するために、少なからざる苦労を重ねてきたようである。
このような状況下で、小平に対する支援を行ったのは、長野県松本市にある社会医療法人(相澤病院)である。同病院は、小平を支援するにあたって、あれこれ条件を付けたり、要求を行ったりすることはしなかった。また病院の広告、宣伝に利用するためでもなく、飽くまで選手である小平にとってプラスになるような形で、支援を行ってきたとのことである。小平奈緒の金メダルは、相澤病院ような、「潔い無償の経済的支援」とも言うべき応援なくしては、難しかったかもしれない。
一方で、小平の地元である長野県茅野市では、ピョンチャンへの応援ツアーを組んだり、市内に特設した応援会場で住民が旗を振ったりして、懸命に応援していた。茅野市としても、小平奈緒に「特別市民栄誉賞」を授与する予定であると言われている。
特設会場での応援も、特別市民栄誉賞も、市をあげての応援は、ともに大いに結構なことだとは思う。が、小平がこれからも、新しいチャレンジのため練習を継続していく上で、避けられない経済的負担を考えると、むしろ僅かづつでも良いから、地元市民が金銭的支援を行うことが、さらに大きな意味があると思うが、いかがなものであろうか。
(二〇一八年四月一日)
松井俊一コラム30年3月号「ピヨンチャンオリンピックの愚」
ピヨンチャン・オリンピックの愚
第二三回オリンピック冬季競技大会が、二〇一八年二月、韓国のピヨンチャン(平昌)で、開催された。天下の公共放送であるNHKの入れ込みようは、尋常ではなかった。普段の番組を大々的に犠牲にして、オリンピックの放送をねじ込んでいた。
しかしながら、NHKのはしゃぎ振りにも拘らず、この大会は様々な問題を含んでいた。最大のものは、現在の韓国が、スポーツに限らず、大規模な国際大会を開催できるような器の国家ではないということにある。近年、この国で開催された大規模な国際的イベントは失敗ばかりである。例えば、一九八八年のソウルオリンピック(夏季)では、ボクシングなどで摩訶不思議な判定が生じたり、さらに、二〇〇二年に日韓共催で開催されたサッカーのワールドカップは、韓国チームのための、買収、反則、誤審のオンパレードであった。
失敗の主たる原因は、主催者としての度量や公平性が欠落した、自国への「えこひいき」や、他国への露骨な妨害行為である。いまだに記憶に新しいが、サッカーのワールドカップにおける、日本に対する嫌がらせや、オリンピックでの参加国に対する不公正な対応など、不愉快なできごとは枚挙にいとまがない。
今回の冬季オリンピックで、真っ先にひどさが目についたのが、スキー会場の出鱈目ぶりである。会場は極寒のうえに強風や突風が頻発し、アクシデントやトラブルが続発した。
哀れを極めたのが、スキーのジャンプとスノー・ボードであった。突発的な出来事に出くわして、観客は非常に残念な思いをしたが、それ以上に、この大会に照準を絞って、人生を犠牲にしてきた選手にとっては、競技が始まる瞬間の、ほんのわずかな気まぐれな天候で、これまでの努力が水泡に帰すのは、それこそたまったものではあるまい。何故このような場所をオリンピックの会場に選んだのか、理解に苦しむ。
致命的な欠陥は会場だけではない。大会の運営面でも問題があった。とりわけ、韓国の大統領は、当事者能力が欠如しており、北朝鮮問題を中心に、軸のずれた対応を繰り返していた。一方で北朝鮮の、政治臭いやりたい放題を目の当たりにしていると、何故オリンピックを、わざわざこの国で開催したのか、改めて疑問が沸く。
視野狭窄で、国際感覚に欠如する国は、開催国として不適格である。この際ついでに言えば、隣国の中国も、似たり寄ったりである。仮にアジアで開催するのであれば、オーストラリアなどのほうが遥かに適している。
ともかく、この国には、不愉快な思いをさせられることが、あまりにも多い。そういう国で国際大会を開催することは、精神衛生の面からも、止めて欲しいものである。
(二〇一八年三月一日)
松井俊一コラム30年2月号「日本の英語教育」
[日本の英語教育}
義務教育、高等教育を通して教えられた、我が国の「英語」は、今振り返ってみると、どうも回り道であったような気がする。最近では、小学校から英語を始め、外国人教師も採用して会話を教えるなど、英語教育の環境も随分変わってきている。が、これでもまだ十分とはいえない。英語教育は目下、変革の只中にあると理解すべきであろう。
英語教育に力点を置こうとすると、母国語である日本語をしっかり身に付けさせることの方が先決である、との異論が必ず出る。しかし、この段階で立ち止まる議論は止めて、とにかく英語教育をどんどん推進すべきである。万一、英語は優秀だが、国語は苦手というような者が出た場合には、それでも日本語と英語のどちらもできないよりは、遥かに良い、くらいに、割り切るべきである、
翻って我々の世代では、多くの人が、中学校、高等学校の六年間も英語を学んだのに、ごく簡単な日常会話でさえも、四苦八苦している。その結果、外国人と接触すること自体に、苦手意識を持つに至っている。これはいかにも異常である。どうしてこのようなことになってしまったのか。
筆者の体験を言えば、筆者が大学入試のために勉強した英語の読解問題は、難解なものが多かった。そのため、読解力にはそれなりの自信もあった。しかし、銀行に就職したのち、ニューヨークに転勤することになったが、会話となると、ごく簡単で初歩的なものでさえ、できなかった。その結果、改めて英会話の学校へ通い、会話の基礎から始めざるを得なかった。情けない話である。
我々が学んだ時代は、そもそも、「英語教育」の目的自体が、現在とは異なっていたように思う。当時の英語教育の目的は一言で言えば、「読解力」重視であった。
恐らく、文明開化以降、我が国の英語教育で最も重視されたことは、海外の知識を理解、吸収することであり、そのためには、外国の書物の内容を理解することにあった。従って活字になった英語の書物を読み解く力が重視されたのである。生の英語を耳に入れる。それを即座に理解して、英語で返す、ことなどはあまり念頭になかった。従って、当時は、学校の英語教師といえども、トーキングやヒアリングは必ずしも得手ではなかったし、発音も実際の英語とは随分異なっていることも、多かった。
しかし、時代は変わった。ことに最近は、経済や人の交流のグローバル化が著しく進展した。海外で仕事をする機会が増え、国内においても、来日外国人と接触する機会が著しく多くなった。
このような環境の変化に対応して、柔軟な対応が出来るか否かは、今後、日本がグローバルな発展を遂げる上で、必要、不可欠な国民的課題である。そして、
ヒアリング、トーキングを重点とした英語教育において、到達目標とすべきは、中学校を終えた段階で、全ての者が、外国人との、日常の初歩的な英会話が可能なレベルになっていることであろう。
(二〇一八年二月一日)
松井俊一コラム30年1月号「疑問の国技」
今までのコラムは↑の『松井コラム』に掲載
[疑問の国技]
久しぶりに、日本人の横綱(稀勢の里)が誕生したので、再び相撲を見てみた。相撲に夢中だったのは、栃錦、若乃花の時代で、小学生のころである。その後、貴乃花の全盛時を最後に、相撲の観戦は止めていたので、ほぼ二〇年ぶりのテレビ観戦であった。
観戦してみて、まず感じたことは、力士の体重がますます重量化していて、相撲がつまらなくなっていた、ということである。貴景勝や宇良などのように、スピーディーで魅力のある相撲をとる者もいるが、大勢は、体の重さを武器に、ぶつかり合うだけのような相撲である。この中にあって、横綱白鵬の相撲は、立ち合いざま、相手の顔面に手を出すことが多い。ただ勝たんかなの、横綱らしからぬ、品格のない相撲である。
白鵬は言動にも品格がない。際立ったのは、平成二九年一一月の九州場所における、嘉風戦である。白鵬は自分の立ち合いが不充分であったと、不満を露わにし、勝負の後も、暫くの時間、土俵に戻ろうとしなかった。自分にも勝負の判定に不服の申し立てができるがごとき、傍若無人の振る舞いである。また、横綱日馬富士は、場所前に起こした、貴ノ岩に対する暴力沙汰が表面化して、九州場所が始まってすぐ休場に追い込まれたが、白鵬もこの事件に関与していたようである。イザゴザを即座に止めるべき立場にありながら、それもしなかったと言われている。ここまで傲慢で、品格に欠ける以上、白鵬も速やかに引退させるほうがよい。この力士が、歴史に残る名横綱などと呼ばれるようであるならば、それこそ、相撲の恥である。
話変わって、相撲界における暴力沙汰は相も変わらずである。これまで何度問題が起き、その都度再発の防止が、声高に叫ばれてきたことか。日馬富士の相撲界からの退場(引退)は、微塵の同情にすら値しない。そもそもは、モンゴル出身の力士だけで徒党を組むこと自体がおかしいではないか。「部屋」という制度の下にありながら、モンゴル出身者だけが別途、一堂に会して、懇親を図ることは、八百長相撲の土壌が醸成されるという疑念をも生じさせかねない。「李下に冠を正さず」である。
モンゴル出身力士の相撲は、勝ちさえすれば良いとの相撲が目に付く。相撲は、瞬時に勝敗を決するスポーツでありながら、勝ち方にもこだわるスポーツである。横綱が立ち合いに変化したりすると、非難される。モンゴル出身力士は本当に、国技である「相撲」を理解し、身に付けているのか。はなはだ疑問である。モンゴル力士の激増には、日本人力士の人材難を安易にモンゴル人で補い、これをもって良しとしてきた、相撲界全体にも責任がある。
このまま、本来あるべき、国技としての相撲がどんどん遠のいていくようであるならば、いっそのこと、国技は返上した方が良い。今回の日馬富士暴力事件における関係者の言動を、冷ややかに鳥瞰していると、相も変わらぬ相撲協会の当事者能力の無さと、関係者のトンチンカンな意見が目立つ。一方で、貴乃花の思いや言動はそれなりに理解ができるような気がしてならない。
(二〇一八年一月一日)
松井俊一コラム29年12月号2017年度ワールド・シリーズ
↑松井コラム頁に掲載
{二〇一七年度ワールド・シリーズ}
今年も、米国MLB(メジャー・リーグ・ベースボール)のワールド・シリーズは、大変面白かった。逆転あり、延長戦ありの接戦続きで、リーグ最強チームどうしの、総力をあげた短期決戦の面白さを、十分に堪能させてくれた。
アメリカンリーグの代表は、ヒューストン・アストロズ、ナショナル・リーグの代表はロスアンゼルス・ドジャーズであった。筆者の贔屓チームは、もともとニューヨーク・ヤンキースであるが、前田健太、ダルビッシュ・有の日本人投手二人を擁するドジャーズと、青木宣親を途中で放出してしまったアストロズを比べると、当然のことながら、ドジャーズの肩を持った。しかし、結果は残念ながら、四勝三敗で、アストロズの優勝であった。アストロズは、チーム結成以来初めての優勝である。
三勝三敗どうしで雌雄を決することになった最終の第七戦で、ドジャーズは、残念ながら、一対五で敗れた。先発したダルビッシュ・有の大乱調(一回三分の二で五失点)が主因であった。なお、もう一人の日本人投手である前田健太は、第七戦の出番はなかった。が、第六戦までの四試合に登板し、中継ぎという、不慣れな役回りにも拘らず、殆どパーフェクトに抑えるという活躍をみせた。
ところで、MLBは常に、野球の改革に、積極的である。
その結果、最近の日米の野球には、選手の身体能力だけでなく、ゲームの進行に関して、かなりの差異が生じている。主なものを簡記すると次の通りである。
一、ボール、ストライクの判定を除き、審判の判定に異議がある場合、ビデオ判定を要求できる(チャレンジ制度)。
二、従来の野球では、最強打者を四番バッターに据えているが、MLBでは、最近、チーム内で最も有力な打者は、二番バッターに据えるケースが増えている。(ワシントン・ナショナルズの強打者、ブライス・ハーパーなど)
三、好打者や強打者に対して、極端な守備体形(ディフェンジブシフト)を挽くことが多々ある。例えば、左打者に対して、二塁手が一〜二塁間、三塁手が二塁ベースの近くへ、シフトするなどである。打者の方も、プライドのためなのか、シフトの裏をかくような打ち方をすることは、めったにない。
四、敬遠のフォアボールは投球(守備)側のアピールだけで、実際に投球せずにファーストベースに進塁させることできる。
五、大量の得点差でリードしているチームは盗塁をしないという不文律(暗黙の了解)がある。
MLBの野球は観戦していて、スピーディー、パワフルで、大変面白い。観客の応援も、日本のように、ラッパや鐘で騒々しいようなことはない。野球そのものについては、総じて日本(NPB)は保守的であるが、チャレンジ制度など、とりわけ、判定の厳正化や試合運びのスピードアップに繋がるものは、もっと速やかに取り入れていっても、良いのではなかろうか。
(二〇一七年一二月一日)
平成29年10月21日東高等学校第16回卒同期会 公式記念集合写真(大庭写真館制作)
松井俊一コラム29年11月号上段↑の「松井コラム頁」に掲載。
[ 日本の恥 ]
水産庁(農林水産省)は、日本に割り当てられた、本年の太平洋クロマグロ(本マグロ)の幼魚の漁獲枠を、四月に超過してしまったと、公表した。漁師の遵法意識の欠如と、早い者勝ちの身勝手が主因である。
もともと、現在の漁獲規制枠は、日本の漁獲量が圧倒的に多かった、一〇年以上前の漁獲量が規制枠の基準になっているため、日本にとって極めて甘いものになっている。 ストレートに言えば、現在の漁獲枠は、日本に甘く、他の国には厳しい国際枠を、日本主導で設定したものなのである。にもかかわらず、この甘い枠すらも守れなかったとは、極めて次元の低い、情けない話である。今回露呈された枠の超過によって、今後、日本に対する国際的な非難が高まり、日本のリーダーシップが疑問視、あるいは否定されることは必至である。途上国に馬鹿にされても言い訳ができないような、オソマツさであり、まさに、「日本の恥」である。
それだけではない。驚くことに水産庁は、現在の早い者勝ちの無法状態を、ほぼ放置したままにしておくつもりのようである。本年の超過分は、来年の枠で調整(来年枠の縮小)されるので、こと足りるといった、短絡的な発想と対応に終始しているようだ。クロマグロという、日本人にとって欠かすことのできない貴重な資源を、いかに保護、育成していくかといった長期的な青写真がスッポリと欠落している。農林水産省の行政能力の欠如は、ここに極まれりである。
どうやら、農水省は、農業、漁業などの一次産業を、「産業」としては、捉えていないようである。例えば、漁業は「漁師の生業」という発想から、脱却できていないようだ。
一方で世界をみれば、アメリカ、オーストラリアなどの農業先進国、ノルウエーなどの漁業先進国では、一次産業が、国の基幹産業として、位置付けられている。国の屋台骨を支える、堂々の輸出産業になっているのだ。対して我が国では、農業や水産業などの一次産業が、国内総生産に占める割合は、わずか二%にも満たない。加えて農業や漁業は、前近代的なまま放置され、他産業の足かせにさえなっている。わずか二%の産業のために、農林水産省という一つの独立した省庁を設置することは、国民経済の観点からも、無駄と言わざるをえない。
従来から折に触れて、筆者が主張している通り、農林水産省は廃省にして、通商産業省の一部局(例えば農林水産課)としたほうがよい。それだけでも、役人の数を削減でき、「小人閑居して不善をなす」ことは減少する。加えて、役人の脳ミソの入れ替えも、推進されるのではないか。
日本の一次産業を活性化させるために、明瞭で手っ取り早い施策であると思うが、いかがなものであろうか。
(二〇一七年一一月一日)
沼津東高等学校第16回卒同期会
平成29年10月21日午後1時
沼津リバーサイドホテル「欅」で開催。
台風接近中の雨の中でしたが盛況のうち閉会致しました。
上段↑の「動画ブログ」頁に会の様子動画掲載、ご覧下さい。
松井俊一コラム29年10月号↑「松井コラム」に掲載。
[ 竹馬の友 ]
年に数回、東京駅の近辺で酒を酌み交わし、会話を楽しんでいる仲間がある。高校(沼津東高等学校)時代からの友人で、筆者を含め総勢七名、このうち、男子は六名、女子は文字通りの、紅一点である。また出身中学は、六名が沼津第一中学校、一名が沼津第二中学校である。
全員が、ほぼ、中学時代からの思い出も共有しているので、飲み会における話題は、まさに「広大無辺」である。幼い頃の思い出話から、政治、経済、金融、戦争、平和などにまで話が及ぶ。寡黙な者はいない。かと言って、しゃべり過ぎもいない。適当にバランスが整っている。
メンバーは以下の面々である。
幹事役のI君。会合の日程や場所の設定など、労を惜しまずやってくれている。彼は、高校三年生の時の一年間、実施された全てのテストでトップであった。筆者が、文句なしで認める「秀才」である。それでいて、ガリ勉のタイプではなく、何時勉強しているのだろうか、と疑うほどのおおらかさの持ち主であった。彼のような人物こそ、学問の世界で活躍して欲しいと思っていたが、実際はそれとは真逆に近い、大手建設会社に勤務して活躍した。
大手石油会社の掘削部門で活躍したK君。後述するN君と、熱海の隣接した中学校に通っていたが、途中で沼津第一中学校に転入した。一方のN君も転入組。経済学部と法学部の違いはあれ、両名は大学も一緒で、奇妙なほど似かよった道を歩んだ。
名古屋市に在住のS君。筆者とは小学校1年生の時からの友人であるから、六〇年以上の付き合いになる。幼い頃から秀才タイプで、大手都市銀行で活躍した後、三重県の信用金庫の理事長として、その発展に尽力し、二〇一六年秋の叙勲で、受章した。
既述したK君と同郷で、同大学出身のN君。実家は立派なみかん農家。中学生の頃、初めてそのみかん畑を見せてもらい、圧倒されるほど、たわわに実を付けた風景に、感動を覚えた記憶がある。温厚な人柄で、農林系の金融機関に就職し、現在もその関連の仕事で活躍している。
富士宮市に在住のY君。静岡県が本拠地の大手製紙メーカーで活躍した。現在も、地元で、かつての仲間たちとの交流に注力している。沼津第一中学校に転入してきた時、筆者が所属していた陸上競技部へ半ば強引に引き入れ、短距離走者として、一緒に練習に励んだ仲であり、その点で格別な思いがある。
「万緑叢中紅一点」のH女史。メンバー唯一の女性という違和感を、微塵も感じさせない。整った顔立ちに似合わず、学生のころから酒にめっぽう強かった。飲酒振りは現在も衰えることがなく、併せて文才も豊か。
永い時間を費やして培ってきた、緩やかで穏やかな関係は、筆者の心のよりどころであり、かけがいのない財産でもある。出来ることならば、全員が無事でさらに歳を重ね、この会合がいつまでも続けられていくことを、願ってやまない。
(二〇一七年一〇月一日)
松井俊一コラム29年9月号↑「松井コラム」に掲載。
〔減量の歴史〕

七二歳の現在、体重は七〇s前後である。社会人になった時が六三sであったから、これだけを比べれば、五〇年弱で七s前後の増加ということになる。この程度の増加ならば、加齢に伴う基礎代謝量の減少と、運動不足のなせる業と言えなくもない。しかし、五〇年間の体重の移り変わりは、多少大げさに言えば、波乱万丈であった。
銀行に入行してから一年後に結婚し、その直後、残業の極めて多い職場(融資係)へ係替えになった。深夜の一〇時、一一時に及ぶ残業が毎日のように続き、その後で、アルコールを伴う、夕食(と言うより夜食)をすることが、当たり前になった。すると、みるみる体重が増加し始めた。瞬く間に七〇sを突破し、三〇代半ばで八〇sを超えてしまった。この時、生まれて初めて、減量(ダイエット)なるものを意識した。「食べてやせる」のキャッチコピーに惹かれ、鈴木その子の著書を購入して読んだのもこの頃であった。
@カロリーが同一ならば、パンより米飯の方が、量を沢山食べることができる。A肥満には、水と油が大きく与っている。B同一のカロリーを摂取する場合、二回の食事より、三回の食事でとる方が太りにくい、などが印象に残った。
しかし頭で理解しても、実行できるか否かは、別問題である。深夜に及ぶ仕事、その後の食事、合間には取引先との会食。所詮実行は長続きしなかった。学生時代から朝食抜きの、二食の生活であったが、それを三食に変えると、その分だけ摂取カロリーが増えてしまった。しかも、夕食が外食中心の生活では、水分、脂分を意識して減らすことも難しかった。
結局、体重は増え続け、四〇歳台半ばで九〇s、四八歳で九五s、五二歳でとうとう一〇〇sを超えてしまった。一時は一〇三sにまで達したから、入社時の六三sに比べて、実に四〇s、六割強も体重が増加したことになる。さすがにこの時は、真剣に減量を考えた。@食事は朝食を含めて一日三回にする。A朝食は、コーヒー一杯と、食パン一枚程度にする。B昼食は日本ソバのみにする。C夕食はできるだけ軽くする。これらの四点を目途とした。
@〜Bは何とか実践できた。しかし問題は夕食であった。勤務先の顧客や部下との会食が連日で、アルコールを伴った夕食になる。すると、どうしても、過飲、過食になってしまう。この結果、体重は何とか九〇sまで落とすことができたが、結局、会社勤めを終える六三歳まで、九〇s近辺を行ったり来たりが続いた。
さらに、会社勤めを終えるあたりになると、新たな事態が発生した。四〇歳のころから、血圧が高く、降圧剤を使用していたが、降圧剤服用後でも、最高血圧は一七〇〜一九〇、最低血圧は九〇〜一〇〇であった。この結果、高血圧と降圧剤を原因とする、腎臓の機能低下が生じたのである。何としても血圧を下げなければならない。そのためには、体重を落とすことが、入り口の課題であった。
五五歳のころから、一時間程度のウオーキング、夏場には同時間程度のサイクリングにも努めていたが、これだけでは、減量の効果は微々たるものである。結局行き着いたところは、インプットの抑制、すなわち摂取カロリーを管理して、減らすことであった。
幸か不幸か、六三歳で会社勤めを完全に卒業したため、時間の余裕は充分にある。目標として次の二点を定めた。@一日の摂取カロリーを、一八〇〇kカロリー以下とし、アルコールを含む場合でも二〇〇〇kカロリー以下とする。A一日の摂取カロリー量と、起床直後の体重を、毎日欠かさず記録する。そして食卓に、「栄養素別食品一覧表」、小型のハカリ(計量器)、電卓、日誌を備え、一食毎にカロリーを計算して、記録した。カロリーオーバーの日が生じると、翌日はそれなりに摂取カロリーを減らすよう努めた。
「継続は力なり」であった。会社を退職した六三歳の時、九〇sからスタートしたが、六四歳で八五s、六五歳で八〇s、そして六六歳で七〇sに低下したのである。この減量を続けた過程で、ささやかな発見をしたことが、いくつかある。
@食べ物についての情報は、健康や減量のために良い、悪いなど、かなり無責任なものが氾濫している。A成分の記載について、文字が小さい、見付けにくい場所に記してあるなど、不親切な食品が、かなりある。表示すらしていないものも、まだまだ多い。B食塩の表示に関して、ナトリウムの表示だけにとどめている、不親切なものがある。ナトリウムを食塩に換算するには、二・五四倍する必要があり、誤解しないよう、注意する必要がある。C減量の王道は、カロリー摂取の制限と、各栄養素のバランスがとれた食事にある。「言うのは簡単」だが、継続して実行するためには、それなりの決心と覚悟が必要である。ただし、一日過食しても、翌日抑制すればよい、くらいの気安さも、あわせて持ったほうがよい。D適度な運動は必要不可欠である。ただし、これは身体機能を維持、向上させるためであって、運動に減量効果を期待してはいけない。E体重は、一日で増えるが、減らすのには、数日かかる。F過食すると、その反動で空腹感が大きい。逆に、節食に慣れると、空腹感は意外に小さい。
ざっと以上であるが、現在の自分は、ついに腎臓が機能不全に陥り、人工透析を行っている。幸か不幸か、食事のコントロールは、これからも生きている限り、続けていかざるを得ない状況である。
(二〇一七年九月一日)
松井俊一コラム29年8月号↑「松井コラム」に掲載。
[九州の災難 ]
ここ数年における九州の災難は本当に気の毒である。二〇一六年四月に、熊本が大地震に見舞われ、その疵もまだ癒えない、二〇一七年七月、今度は九州北部が豪雨に襲われた。次から次の天災の襲来に、九州の人々は、いたたまれない心境であろう。
度重なる不幸には、心からの同情を禁じ得ないが、ここで取り上げたいのは、熊本地震についてである。これまでにも何度か述べた通り、筆者は阪神淡路大震災の折、神戸市灘区で震度七の直撃を受けた。その後日本は、東日本大震災、熊本地震と、二つの大きな地震に見舞われた。が、熊本地震への対応の仕方には、先の二つの地震の教訓が生かされたものと、依然としてそうではないものとに明暗が分かれたように思われる。
今回、納得のいく対応を見せたのは、自衛隊と中央政府の速やかな動きである。自衛隊の出動に関しては、阪神淡路大震災の時が最悪であった。、兵庫県知事(貝原俊民)があまりに無能、無策で、自衛隊への出動要請は遅れに遅れた。結局、兵庫県知事が自衛隊の出動を要請することは、最後までなかった。要請は何と、一課長の機転によるものだった。自衛隊の出動の遅れは致命傷であった。救われたかもしれない数多くの命が失われたのである。
中央政府の動きも、今回は、村山(阪神淡路大震災)、菅(東日本大震災)の無能内閣に比べて、動きが遥かに迅速であった。村山は「情報が入って来なかった」と言ってのけ、即座の対応を怠った。菅はスタンドプレイとトンチンカンな対応の連発で、天災を人災に転化してしまった。恥ずかしいほどオソマツ極まりない両内閣に比べれば、現内閣の対応は遥かに評価できる。
一方、今回も相変わらず対応のまずさが際立ったのは、気象庁とマスコミであった。気象庁は今回もまた、後講釈に終始した。四月一四日に発生した震度七(マグニチュード六・五)の地震のあと、一六日には、さらに大きな地震(マグニチュード七・三)に見舞われた。すると、「一四日の地震は前震であって、一六日の方が本震であった」と訂正した。最初発表の時点では、その後に起こるべき余震の話ばかりであった。最初の地震よりさらに強烈な本震が来る話は、全く出なかった。その後は「アツモノに懲りてナマスを吹く」で、腰の引けた注意喚起に終始した。
マスメディアも、相変わらず、無益有害な野次馬としか思えない対応であった。倒壊した家屋の前で、ヘルメットをかぶったアナウンサーがとうとうと話している。ひどいものになると、「道路が渋滞している」と、車に乗って中継をするアナウンサーもいた。自分の乗った車が渋滞の一因を作っているとは、全く思っていないようだ。これら、マスコミの対応が、多少なりとも被災者や被災地の役に立ったのか。野次馬根性丸出しで、被災者の妨げとなるだけのマスコミに、現地の人々は、怒り心頭であろう。筆者も阪神淡路大震災の時、全く同じ怒りを覚えた。
被災地の地方行政も、相も変わらず人材枯渇を痛感させた。右往左往するだけで、救援物資の滞りにも茫然自失の状態である。兵庫県もオソマツ極まりなかったが、熊本県もこれに劣るとも勝らない状況である。挙句の果ては「何せ初めての経験なので」だと。こんな経験を一生のうちに複数回経験する人間など、普通はいない。
天災は忘れた頃にやってくる。その時最善の対応ができるための、究極の必要条件は何か。それは、中央も地方も、良質で高品質な政府をつくることに尽きる。具体的には、突発的な出来事に対して、臨機応変、柔軟で弾力的な発想と対応ができる人材を、いかに豊富に確保するか、である。
震災発生の直後は、誰でも震災への対処法や注意事項が、鮮明に頭にこびりついている。しかし、その後、時間の経過とともに、それらは薄らいでいく。「喉元過ぎれば熱さ忘れる」である。突発的な出来事がいつ起こっても、最善に近い対応ができる究極の王道は、有為な人材の育成、確保である。村山内閣、菅内閣の稚拙極まりない対応を見れば、それは自ずと明らかであろう。
(二〇一七年八月一日)
松井俊一コラム29年7月号↑「松井コラム」ブログに掲載。
[黒澤映画礼賛 ]
過日、NHK(BSテレビ)が、黒澤明監督の映画作品を、数日間で何本か放映した。その時に鑑賞した作品の一つに、「隠し砦の三悪人」があった。この映画を最初に見たのは、封切られた、一九五八年のことである。六〇年近くも昔のため、ストーリーは殆ど記憶になかった。が、農民役の千秋実と藤原鎌足の味のある掛け合いや、姫役である上原美佐の甲高い声に触れているうちに、当時の記憶が次第によみがえり、大いに楽しむことができた。千秋実と藤原鎌足のやりとりは、後年、ジョージ・ルーカス監督の「スター・ウォーズ」で、Cー3POとR2ーD2のモデルになったと言われている。
数ある黒澤作品の中でも、この映画を含め、「蜘蛛の巣城」、「用心棒」、「椿三十郎」、「赤ひげ」などは、中学、高校時代の多感な時期に鑑賞したためか、とりわけ思い出が深い。一方で、代表作とも言える「七人の侍」は、封切されたのが一九五四年で、筆者がまだ幼な過ぎたため、最初の印象は殆ど記憶にない。この作品の面白さが理解できたのは、後年、リバイバル上映を鑑賞した時のことである。
黒澤映画は、出演する役者の顔ぶれが、ほとんど決まっている。おそらく、黒澤自身が本当に納得できる演技をする役者を、貪欲に用いたことの結果なのであろう。主役は三船敏郎である。演技が飛び切り上手いというわけではない。が、「存在感が強力」な役者である。一度見たら鮮明に脳裏に焼き付くような存在感は、特異である。そして、主役と対峙する相手方は仲代達也である。研ぎ澄まされたような不気味さを漂わせながら、主役とやりとりをして、物語の緊張感を盛り上げている。
三船、仲代に勝るとも劣らないのが、脇役陣である。顔ぶれは多彩で、いずれも芸達者である。代表格は志村喬。いぶし銀のような演技で、主役の補佐役、あるいは悪役のいずれをも、見事にこなしている。他には、藤原鎌足、千秋実、加東大介などが、常連として名を連ねている。中でもとりわけ興味深いのが、藤原鎌足である。軽妙洒脱で味のある演技がたまらない。
黒澤映画の特徴は、何と言っても、楽しくなければ映画ではない、と言わんばかりの面白さである。ただし、「面白い」といっても、最近のお笑いのような、浅薄なものではない。様々な人間模様の中に見出すことができる、味のある面白さなのである。「含蓄のある面白さ」と表現することが妥当かどうか分からないが、黒澤映画にはこのような味わいがある。もちろんこれは、演じている役者達の熟練の演技があってのことである。
話は変わるが、筆者はテレビドラマを全く見ない。黒澤映画の面白さや、出演者の熟練した芸を知っている者からすると、言っては悪いが、最近のテレビドラマなどは、学芸会のレベルに見えてしまう。これは必ずしも筆者が年齢を重ね、世の中や人間のことを理解する幅が、多少広くなったからだけではあるまい。要は黒澤映画のような「深み」や「味わい」がないのである。折に触れて、黒澤映画の持つ楽しさと質の高さを、懐かしく思うのは、筆者だけであろうか。
(二〇一七年七月一日)
松井俊一コラム29年6月号↑「松井コラム」ブログに掲載。
[ サムライジャパンの健闘 ]
第四回WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)が、二〇一七年三月に開催された。この大会での日本チーム(サムライジャパン)は、予想を上回る健闘ぶりであった。
大会前、無責任なマスコミは、優勝、優勝と騒いでいたが、とんでもない。今回の出場国は、アメリカを始め本気度が高く、多くのメジャーリーガーをメンバーに擁している国が多かった。その中で、日本チームのメジャーリーガーは、青木宣親一人だけである。その青木とて、メジャーでは、不動のスターティングメンバーというわけではない。出たり出なかったりの状態である。加えて、最大の目玉選手であった大谷翔平を、怪我で欠いている。このような戦力で、予選リーグを全勝し、準決勝まで進んだ。準決勝のアメリカ戦では敗れたものの、スコアーは一対二の僅差であった。この結果は称賛に値する。
今回のアメリカチームは、本気であった。メジャーリーガーの中でも、オールスター戦出場クラスの選手を揃えてきた。今回の日本と米国の戦力差を、日本国内の野球で喩えると、プロ野球チームと大学生チームが戦うようなものである。筆者はひそかに、何とか惨敗だけは避けて欲しいと祈っていた。ところが、その結果は、一対二の惜敗と、日本の大健闘であった。
主因は、先発の菅野智之を中心とする、投手陣の頑張りと、アメリカ戦ではややボロが出たが、手堅い守備である。選手個々の力は劣っていても、チーム力、すなわち投手力と堅い守備を武器にした野球、で健闘できることを、今回の日本チームは証明してみせた。とりわけ、投手陣の一部は、将来、メジャーリーガーとして、活躍することも期待できそうである。
ただ、アメリカ戦では、健闘はしたものの、勝利を得ることは困難であった。当たり前だが、野球は、投手がいくら頑張っても、点を取らなければ勝てないスポーツである。日本人の各打者は、手許で変化するアメリカの投手陣の球を、明らかに打ちあぐねていた。ヒットはおろか、芯をとらえた打球は、試合全体でも数本しかなかった。これでは点を取ることは難しい。
現在のメジャーリーグの投手は、カット・ファスト・ボールやスプリット・フィンガード・ファストボールなど、打者の手元で変化する球が主流であり、素直なストレート球などは殆ど無い。メンバーの中で、これに慣れているのは、メジャー選手である青木宣親ぐらいしかいない。これらの球種をいかにこなすかは、今後の日本の野球に課せられた大きな課題である。
なお、小久保裕紀監督は、采配能力に疑問が持たれていたが、落ち着いた采配を行っていた。選手の心を掴むことにも心を砕いていたようである。何よりもこれだけの戦力で結果を残したのであるから、合格点の働きをしたと評価できる。
最後に、相も変わらず耳障りだったのは、日本の応援スタイルである。ラッパや怒号による応援の騒々しさは聞くに堪えない。「球音を楽しむ」ことなどからは程遠い。筆者が日本のプロ野球を見なくなったのも、これが原因の一つである。世界の目で見れば、異常極まりない応援であり、いい加減で日本のファンも、このことに気が付いて、改めてもらえないものだろうか。
(二〇一七年六月一日)
[ 税金ドロボー ]
日本維新の会を除いて、野党の殆ど全ては税金ドロボーである。森友学園問題をめぐる、民進党や共産党の対応を見ていると、
このことを改めて実感する。森友学園については、問題が0だと言っているのではない。しかし、テロ対策や北朝鮮の核開発問題など、
国民全体への影響がより甚大な重要法案や、事項が目白押しの中で、森友学園にこれほどの時間をかけた必然性とは、一体何だったのか。
森友学園の籠池泰典(元理事長)なる人物が、安倍首相夫人から百万円の寄付を受けたと、言い張っている。彼のこれまでの言動を観察すると、どうやら虚言癖の持ち主である可能性が強い。かつて、朝日新聞と組んで慰安婦問題を捏造した、売国虚言者である吉田清治を彷彿とさせる。
が、仮に万が一、首相夫人からの寄付が本当だとしても、だから何なのか。例えば、首相や夫人が浄財を学校に寄付することは、悪なのか。民進党や共産党など、野党の国会議員がわざわざ現地にまで押しかける必要性が、果たしてあるのか。
国会議員はタダで働いているのではない。彼らの手当には我々の血税がつぎ込まれているのである。本職である重要法案の審議を差し置いて、末節なことで、貴重な時間を浪費している。これこそまさに、税金の無駄使いである。おそらく、国民に対する絶好のアピールの場と思っているのであろうが、賢明な国民は、「愚民迎合のスタンドプレー」以外の何物でもないと、冷ややかに見ている。
民進党の国対委員長山井和則(時効ではあるが、政治資金規制法の違反者)が、いかにも真顔面をして、軸のズレた発言をするのを見ていると、怒りを通り越して、もはや滑稽でさえある。また、これらに迎合して、大騒ぎをしているマスコミも問題である。何故、国会議員の時間の無駄使いや、軸のズレた対応を批判しないのか。日本のマスコミも、現在のような愚民迎合を続けていると、最後には、世の中の信頼を失うことになろう。
また、安倍総理大臣の今回の対応もよろしくなかった。自身の潔白を強調したいあまり、もし森友学園問題に関与していたならば、首相はおろか、国会議員まで辞めるなどと、国会の場で発言する必要は、全く無い。これでは、バカな野党の思うツボである。そしてバカを相手に時間を割くことは、これもまた税金の無駄使いである。
現在の安倍内閣は、内政、外交ともに、健闘していると評価できるが、最近、農水大臣、法務大臣など、一部の大臣にタガの緩みが見られる。自民党も人材がいよいよ枯渇したのか、という疑念を払拭するためにも、内閣全体が、それこそ、まなじりを決して職務を遂行する必要がある。また、政府は、税金ドロボーの野党に、無駄な時間を割く必要は全くない。与党の足を引っ張るだけで、建設的な提言ができないような野党には、気配りなど一切不要である。緊張感を持って、重要法案を、速やかに成立させていくべきである。
一方で、民進党、共産党、社民党などの売国的税金ドロボー議員は、一刻も速く国会から追放しなければならない。これを実現させることは、健全な日本国民に課せられた責務でもある。
(二〇一七年五月一日)

4月2日一中同期会「桜ランチ同期会」
〔無職の幸せ〕上段の「松井コラム」をご覧下さい。↑
会社勤めは、六三歳をもって完全に引退した。筆者が身を置いていた銀行業界は、巨額の不良債権や連鎖的な金融不安の発生など、波瀾万丈の時期であった。今思うと、よくぞ四〇年にも及ぶ勤めを完走できたものだ。よき上司、同僚、部下に恵まれてのことであり、今はただ感謝である。「退職したら手持ち無沙汰の毎日になりはしないか」と、退職前は多少の危惧もあった。が、これは杞憂に過ぎなかった。のみならず、現役時代には予想しなかったような、嬉しいことや楽しいことも、意外に多いことが分かった。
無職になって味わうことができた幸せは、何よりもまず、通勤電車から解放されたことである。最近の通勤電車は、まさにマナー違反の陳列棚である。短い足をことさら投げ出して座席に座る者、他人の鼻先で新聞を読む者、バッグを背中に負ったままの者など、人間になりきれていない動物(筆者はこれをサルに近いヒトの意味で、類人猿ならぬ「類猿人」と呼んでいる)で溢れかえっている
現役時代は、通勤電車で不愉快な思いをすることから、一日が始まった。会社に着き、仕事に取り掛かろうとする段階で、既にかなりの疲労感があった。肉体、精神両面の疲労を、朝一番から負わされるのは、いかにも辛かった。これに比べて、通勤電車に乗らずに迎える一日の、何と爽快なことか。
第二に、無職であることの幸せは、より密度の濃いサービスを享受できるチャンスに恵まれていることである。例えば外で食事をするにしても、自分さえ都合を付ければ、客がまばらな時間帯に、店を利用することができる。店内はザワザワしていないから、至って気分が良い。応対をする店員の側も、体と気持ちに余裕があるから、サービスも良好である。まさに、料金は不変で、密度の濃いサービスを、ゆっくりと享受することができる。これは退職者への天与の恵であり、美術館めぐりや映画鑑賞なども同様である。
そして第三の幸せは、自分の心が、会社のしがらみから解放されたことである。現役時代には、何をするにも、信用が最重要である勤務先や業界の名を汚すようなことがあってはならないという、精神的な束縛があった。典型的な例が、執筆活動である。この国で、マスコミや政治家などに対してストレートな批判を行うと、一部の者から陰湿ないやがらせを受けたり、出版社や執筆者の周囲の人間にまで迷惑が及んだりすることがある。現在の日本に、本当の意味での言論の自由が根付いていない、一つの証左でもある。
例えば、わが国の進むべき道について、誰にも遠慮せず、ストレートな意見を記した著作物を刊行することは、永年の懸案であった。しかし、出版社や周囲の者に迷惑が及ぶような事態が生じることは、万が一にもあってはならない。あれこれ思いをめぐらせた結果、最終的には、出版社を通さず、個人で出版することにした。これならば、出版社に迷惑をかけることはない。自説を堂々と開陳でき、マスコミや現職の政治家に対する批判も、真正面から行うことができる。文句があるなら、いつでも執筆者本人に直接言ってこい、の気概であり、書き上げた後の気分は、喉の閊えがとれたようで、爽やかである。
退職後は、一日、一日の時間の流れも、穏やかで緩やかである。分刻みのスケジュールで会議に追われていた日々のことなど、遠い夢のようだ。改めて考えてみると、当たり前だが、無職であるということは、何の組織にも所属せず、依存もしないで、暮らしていけるということであり、それは、全てにおいて、何ものにも束縛されない、自由な立場そのものということである。幸い、若い頃から旅行などの娯楽は多少控え、老後に備えた蓄えが、僅かばかりだがある。贅沢さえしなければ、生活をしていくのにさほどの不自由はない。最近は、無職でいられることの幸せを、折にふれて噛みしめることが多くなっている。
(二〇一七年四 月一日)
東高16回期卒同期生各位
・2018年版同窓会名簿発行について
香陵同窓会事務局より、5月31日までに渡した「現名簿」(2月時点事務局打ち出し)
を訂正し提出して下さいとの依頼がありました。
当方情報にて修正を承知願うとともに同期生住所等の情報提供を皆さんにお願いします。
修正の最終期限は、9月の校正時点とのことです。
2018年度版同窓会名簿の16回期分広告2P(20万円)の割り振りについては、
実績のある宇野統彦(桃中軒)、小野靖(パル動物病院)、門屋信行(門屋公認会計士事務所)、
鈴木祥仁(富士造機)、鳥潟浩司(テック大洋工業)、牧田一郎(田子の月)、村松敏弘(井戸松ポンプ商会)に
同窓会事務局から申込用紙等が郵送されるのでお願いするが、
別として協力していただける方は端山09099002235あてご連絡願います。これも5月31日が期限です。
・創立120周年記念事業について
2021年の実施を目指し、準備委員会、実行委員会が立ち上げられます。
・同窓会会費納入のお願い
28年度42名133,000円です。29年度は1割UPを目指してご協力をお願いします。
平成29年3月1日(水)
香陵同窓会16回期幹事長
端山茂樹
松井俊一コラム29年3月号「SMAP騒動」詳しくは↑の松井コラム頁に過去のコラムとともに掲載。
[ SMAP騒動]
SMAPと称する五名の男子グループがあった。二〇一六年末をもって解散したが、解散に際しては、それこそ日本中が大騒ぎになった。一国の首相までが、残念である旨の発言をした。さすがにこれはリップサービスだと思うが、それにしても、言い過ぎである。
一体何のグループなのであろうか。いわゆる「芸能人」のようであるのだが、この世界に関心のない筆者には分からない。調べてみたら、一説によると、グループ名の由来は、Sports、Music、 Assemble、People の頭文字をとったものだそうである。なるほど、と言ったところで、「問いをもって問いに答える」ようなものだ。なおさら、よく分からない。
芸能人の一形態である、「歌手」のくくりで、このグループをみると、言っては悪いが、歌はヘタである。とてもプロとして金をとれるようなシロモノではない。それでは、「俳優」なのか。これも、演技力は「学芸会レベル」で、例えば、柄本明のような本職の役者には、遠く足許にも及ばない。
世間では、この五人組を、時折「アイドルグループ」と呼ぶことがある。ちょっと待てよ。勘弁して欲しい。押しも押されもせぬ「中年のオッサン」に対して、いくらなんでも「アイドル」はないだろう。
結局、このグループは、筆者の「常識」をもってしては、理解不能な存在なのである。ひらたく言ってしまえば、さしたる取り柄もない、中年の男達が、理解不能な存在価値をもって、世間からもてはやされていた、ということである。
推測するに、デビュー当時は一〇代で、それなりに初々しく、愛嬌のある集団だったのではないか。「アイドル」と呼ばれてもあながち奇異ではなかったのかもしれない。ただ、その後が問題なのである。さしたる芸を身に付けることもなく、ただ徒らに歳を重ねていった結果が、今日の姿に至ったのではないか。そう考えるのが一番自然のように思える。だとすると、本人たちもファンも、飽きもせずに、よくも永い間付き合ってきたものである。
そもそも、「可愛さ」を売り物にする芸能人は、若い女子の専売特許であった。それこそ「アイドル」だったのである。今日では男と言えども、負けず劣らずということなのか。このように不可解なグループの存在は、平和ボケした現代のニッポンが産み出した「芸なし芸人」と理解するのが、筆者には一番合点がいく気がする。
(二〇一七年三月一日)
沼津市立第一中学校12回卒同期会案内詳しくは上段↑の「動画ブログ」頁を参照。
松井俊一コラム29年2月号「迷惑千万な国」
↑上段の『松井コラム』にいままでのコラムとともによめます。
[ 迷惑千万な国 ]
小、中学生のころ、朝鮮人や中国人とは絶対に仲良くやっていかなければいけないと、信じていた。日本には戦争責任があるからという、学校や教科書での教えを鵜呑みにしていたからである。しかしながら、その後今日に至るまで、朝鮮や中国の言動を見ていると、このような思いに冷水を浴びせるように、日本に対して言いがかりや挑発をし続けている。しかも内容が年々エスカレートしているのであるから、余計に始末が悪い。
とりわけ韓国は、醜さが際立っている。経済、社会、スポーツなど、全ての分野で日本に難癖、言いがかりをつけ、摩擦を起こしている。従軍慰安婦の問題は象徴的な事象であり、サッカーや野球などスポーツの世界にまでも、不愉快極まりない挑発を持ち込んでいる。
筆者は以前、この国を「発達障害の国」と揶揄した。その見方はいささかも変わっていない。否、この際もう少し露骨に言えば、「近代国家には程遠い、知恵遅れ国家」なのである。従軍慰安婦の問題について、この国は我が国と、「不可逆的な解決」を約束した。しかしこの国家間の約束でさえも、たちまちのうちに反故にされた。国と国が交わした約束でさえも平然として破る、しかもこれを奇異や恥と思う国民世論が存在しない。この国は法治国家ではない。北朝鮮と本質がたいして異ならない、前近代的な野蛮国家なのである。
竹島の問題については、もはや躊躇なく国際司法裁判所に単独提訴すべきである。いくら我が国が、「竹島は歴史的にも国際法上も日本固有の領土」と主張したところで、一方で韓国が不法占拠し、かつ年々実効支配の力を強めているのは、まぎれもない事実である。この問題の解決には、究極の選択肢としての武力行使の検討も、やむを得ないと思われる。「領土」は、一国の存続に係る、まさに一丁目一番地の問題だからである。かのフォークランド紛争の折、英国のサッチャー首相が見せた、毅然とした対応は、今もって記憶に鮮明である。
誰でも、空念仏のように、「戦争反対」を唱えるのは簡単である。にも拘わらず、戦争がこの地球上から一向に無くならないのは何故なのか。例えば、中国による尖閣諸島への挑発行為、南沙諸島への侵略と不法占拠、北朝鮮の邦人拉致と核開発、韓国による竹島の不法占拠、これらが話し合いで解決されるのか。とんでもない。事態は真逆の方向へ加速度的に進行しているではないか。話し合いによる解決など、不可能なことは、だれが見ても明らかである。残念ではあるが、「国家や人間としての正義を貫徹し、平和を勝ち取ることを目的とした、戦争」は、決して地球上からは無くならないということである。
韓国は日本と価値観を共有する国ではない。この際、我が国は政治面だけでなく、経済、社会、スポーツ、音楽など、全ての分野で交流を断つべきである。韓国との関係構築に、無駄で空しいエネルギーを費やす暇があるならば、むしろ台湾との交流の深化にもっともっと注力すべきである。
余談であるが、東アジアの近隣で、日本が全方位の交流を積極的に目指すべき国は、台湾(中華民国)である。同国は過去の日本の統治がもたらした長所も冷静に評価しており、東アジアでは唯一とも言える親日国家である。東日本大震災の折も、義援金約一〇七億円と、アジアで最大の支援を行ってくれた。韓国の義援金が六・九億円であったのとは、それこそ桁が違う。
韓国との交流断絶によって、日本に生じるマイナス面は0ではない。が、台湾、インド、東南アジア各国を始めとする国々との交流拡大、深化によって、そのカバーは充分に可能である。韓国はこれからも、半永久的に我が国を妨害し続けるであろう。日本の平和と繁栄を長期にわたって持続させるために、この際、悪質な阻害要因である韓国との交流を完全に絶つておくことは、むしろ理にかなっている。
(二〇一七年二月一日)
松井俊一コラム29年1月号「世界に羽ばたく若手ゴルファー」
↑上段の「松井コラム」に今までのコラムとともに読めます。
[世界に羽ばたく若手ゴルファー ]
筆者は長いこと外人コンプレックス(劣等感)の持ち主であった。一番の原因は、先の戦争で、アメリカを中心とする連合軍に、日本が敗れたことにある。物ごころついたころ、筆者がたまに街で見かける外人は、殆どが「進駐軍の兵隊」であった。そして彼らを見るたびに、「日本は彼らに負けたのだ」というコンプレックスに苛まされていた。当時、プロレスで、力道山がシャープ兄弟などの外国人を打ち負かした(ふりをした?)ことに、異常な喜びや興奮を覚えたのも、敗戦コンプレックスの裏返しであったように思う。
その後、時代は進展した。日本で見かける外国人の数は、観光客、就業者を問わず飛躍的に増え、筆者の「外人コンプレックス」も徐々に薄れていった。日本人全体でも、外国人に対する接し方は、最近では自然体に近くなってきているように思われる。
では、スポーツの世界はどうなのであろうか。ここでも、言語や文化の壁を乗り越えて、世界を舞台に、チャレンジをする選手達が増えている。頼もしい限りである。とりわけ、野球のメジャーリーグと並んで、アメリカのPGAゴルフツアーで活躍している若手選手には、拍手を送りたい。
現在の日本のゴルフ界は、残念ながら、レベルが低い。アメリカやイギリスなど、ゴルフ先進国のメジャー大会で優勝した日本人は皆無である。ちなみに、昨年のリオデジャネイロ五輪では、池田勇太と片山晋呉が出場したが、結果は池田二一位、片山五四位の惨敗であった。
余談であるが、日本人ゴルファーの力不足は、身体能力の問題だけでなく、日本のゴルフ場そのものにも、大きな原因があるのではないか。日本のゴルフ場は、海外のそれと比べて、距離が短く、ラフの芝も短めに、よく手入れがなされている。要するに、攻略しやすいゴルフ場が多いのである。そしてゴルフ場そのものの使い勝手の良さが、かえって日本人選手の成長を妨げる一因になっているのではないかと思われてならない。
このような状況の中で、松山英樹、石川遼の二人の若者が、果敢にPGAゴルフツアーにチャレンジしている。周知の通り、PGAツアーは、アメリカ合衆国を中心とする、世界一のゴルフツアーであり、世界の有力選手がしのぎを削っている場である。
この両名が、第八一回日本オープンゴルフ選手権(二〇一六年一〇月一七日開催)に出場するというので、久しぶりにじっくりと、テレビ観戦をした。第一、第二ラウンドは、石川と松山は同一組であった。そして、四日間トータルの結果は、松山が二七五打で優勝、石川も二八三打で九位と、堂々の成績であった。とりわけ、後半の第三、第四ラウンドにおける松山のプレ―は、圧巻であった。彼の強さと安定したプレーぶりは、他の選手を圧倒しており、PGAでいかに力を付けているかを、しっかりと見せてくれた。
松山は続く一〇月三〇日から中国・上海で開催されたHSBCチャンピオンズでも目覚ましい活躍をした。この大会は四大メジャー(マスターズ、全米オープン、全英オープン、全米プロゴルフ選手権)に準ずるビッグイベントであり、世界の強豪が多数参加している。この大会で松山は、二日目から首位に立つと快調にスコアを伸ばし、通算二三アンダー、二位に七打差と、圧倒的な大差をつけて優勝した。この大会における優勝は、日本人のみならず、アジア人初の快挙である。
その後も松山は、一二月のヒーロー・ワールドチャレンジでも優勝するなど、活躍が続いており、近い将来、メジャー大会で優勝できる実力と強さを、着々と身に付けてきている。外人コンプレックスをものともせず、世界を舞台に努力を重ねている、若手ゴルファーたちの今後の活躍を、大いに期待したい。
(二〇一七年一月一日)
松井俊一コラム28年12月号「天下のブラック企業」
[天下のブラック企業]

ようやく、広告業界の巨人、「電通」の悪行、非道ぶりが白日の下に晒され始めた。発端は、同社の若手女子勤務員が自殺し、この原因は、電通の過剰労働にあるとして、労災認定がなされたこと。そしてその後、労働基準法違反の疑いで、厚生労働省の強制捜査が行われたことにある。
実は、「電通」の常軌を逸した状況については、既に、二〇一三年九月一日付け拙稿、「広告業界の体質」の中で、「D社」として、縷々述べてある。この会社の異常さについて、同日の記述を再掲すれば、次の通りである。
「D社(=電通)には、「鬼十則」と言われるものが存在すること。従業員の過労死自殺事件(一九九一年)を起こしたり、公正取引委員会から業界における独占化が問題視(二〇一一年)されたり、元部長が知人の経営する会社から一億六千万円をだまし取った疑いで逮捕(二〇一一年)されたりする事件を起こしている。広告業界における「コンプライアンス(法令順守)」やコーポレートガバナンス(企業統治)」は有名無実であるようだ。」
お気付きの通り、今回の事件は、過去に発生した事件と全く同様なことが、繰り返されて起こっている。要するに、この会社の異常性は何ら改善されることなく、積年にわたって堂々と行われていた、今回の事件は当然起こるべくして起こった、ということである。従って、問題としたいのは、電通だけではなく、監督官庁である厚生労働省についてもである。
厚労省の動きこそ、まさに、「遅きに失している」のである。部外者である筆者でさえも、既に三〇年以上も前から、この企業や業界の問題点を承知していた。まして、労働基準法の番人でもあるべき厚生労働省が、これを把握していなかったはずは、ないではないか。にもかかわらず、これを放置していたことは、 「厚労省に意図的な悪意があった」という疑念を持たざるを得ない。
現在の厚生労働省、このうち旧労働省は、記憶にも新しい通り、国民年金についての一連の対応でも、これでも官庁なのかと呆れ、疑いたくなるくらい、お粗末極まりない状態をさらけ出した。このような、人材欠如の三流官庁に、業界の浄化など、できるはずはない。もちろん、社長以下全員が汚染されている企業自体に、自浄作用を求めるのも、どだい無理な話である。現にこの企業の社長は、未だに反省をしているとはとても思えない。現在電通が世間から叩かれているのは、たまたま運が悪いから、くらいにしか思っていないのではないか。
では、このような悪質極まりない会社を、日本の社会から一掃するには、どうしたらよいのか。最後の決め手となり得るのは、やはり、我々消費者の行動であろう。例えば、この会社が扱っている広告主を全て開示させる。一般会社はもとより、政党なども例外ではない。そしてこのような悪質な会社に広告を依頼している広告主の商品、サービスに対して、消費者が一致協力して、ボイコットを行うことである。日本のマスコミ業界を陰で操り、以前から、伏魔殿などとささやかれ続けているのが、この会社である。日本社会には、「企業の社会的責任」の倫理が厳然として存在することを、国の内外に明示する観点からも、この際、この会社の不正を徹底的に暴くべきである。そして矯正が不可ならば、行政的制裁などによって、会社を解体すべきであろう。
(二〇一六年一二月一日)
松井俊一コラム28年11月号「小池都政へのエール
[ 小池都政へのエール ]
小池百合子女史が都知事に就任して、早速、東京都が抱える二つの大きな問題がクローズアップされた。言うまでもなく、一つは、築地市場の移転予定先である豊洲の問題、もう一つは、二〇二〇年に開催予定の東京オリンピックに関する問題である。
豊洲については、土壌汚染対策として、建物の地下に盛り土をする計画であったものが、知事も議会も知らないうちに、コンクリート造りへと変更されていたこと。東京オリンピックについては、ガバナンスが欠如した無責任体制の下で、見積もり費用が、一兆円から二兆円、三兆円へと、信じられないほど跳ね上がっていることである。
豊洲問題については、都職員にはびこっている隠蔽体質がことの発端であるので、組織風土(体制と人間)の劇的な改革が必須であるが、そもそも行政をチェックすべき都議会は一体何をしていたのか。とりわけ、移転を推進してきた、最大勢力の自民党は、情けない限りである。一方で、本問題を発見した共産党も、鬼の首をとったようなはしゃぎ方をして、党の宣伝に夢中になっている。これもまた、レベルの低い話である。
要するに東京都議会は、多数派も少数派も、一様にレベルが低い。これでは大阪と大差がないどころか、大阪のように、改革を主張する政党(維新の会)すらないだけに、余計タチが悪いのかもしれない。万一、自民党議員の一部が業界と癒着しているようなことがあれば、ことはさらに深刻である。
次に、オリンピックに関しては、何と言っても、オリンピックの組織委員会に問題がある。閉鎖的で隠蔽体質、独善的で無責任極まりない組織である。とりわけ、会長の森喜朗はひどい。本人は会長職を「ボランティア」などと言っているが、ボランティアの結果が、オリンピック経費のかさ上げでは、たまったものではない。
世に言われているように、森が建設業界などと癒着しているのか否かは、現在のところ不明である。しかし、このような風評が、事実のように思えるのは、首相時代を含め、森がこれまで積み重ねてきた、品行に対する世の中の評価なのである。ことの真偽は遠からず明らかになると思うが、もし森に見識と良識があるのなら、「李下に冠を正さず」で、現在の混乱を招いた不明を恥じて、この際潔く身を引くべきである。
競技団体にも問題がある。「アスリート・ファースト」を盾に、ボートや水泳の競技団体から、会場変更案への不満や反対の声が出されている。が、アスリート・ファーストは、費用を最終的に負担することになる国民や都民の支持があって、初めて成り立つものである。主役である国民や都民が、オリンピック費用の節減を重視する意向の下で、競技団体がこれを無視して自己主張をすることは、許される話ではない。やや厳しい言葉で言えば、競技団体は、「図に乗ってはいけない」ということである。
小池都政が誕生した価値は、豊洲と東京オリンピックの問題を俎上に挙げただけでも、充分にある。小池都知事のこれからの歩みには、茨の道が続くことと思われるが、今後の健闘を祈って、エールを送りたい。
(二〇一六年一一月一日)
富士商議所 次期会頭に牧田氏

富士商工会議所は11日、同商議所で常議員会を開き、井出稔会頭(80)=富士共和製紙会長=の後任に牧田一郎副会頭(71)=田子の月社長=が就任する人事案に同意した。11月1日の臨時議員総会で正式に承認される見通し。任期は2019年10月末までの3年間。
井出氏は、前会頭の遠藤敏東エンチョー名誉会長(83)が任期途中で退任したのを受け、昨年6月から会頭を務めた。就任から1年4カ月で勇退する理由について井出氏は「自身の年齢を踏まえ、後任に道を譲るべきと判断した」と述べた。
牧田氏は中央大商学部卒。1982年から田子の月社長。同商議所では2004年から4期12年にわたり副会頭を務めている。
【静新平成28年10月12日(水)朝刊】
松井俊一コラム平成28年10月号「まともなテレビ番組」
上段の松井コラムに過去のコラムとともに掲載。
[まともなテレビ番組 ]
これまで、日本のテレビ局の悪いところを色々と指摘してきた。その通りなのだが、まともな番組が全く無いわけではない。以下は、主としてニュース番組についての、筆者の独断による評価である。
まずは、夜のニュース番組。推奨できるものの第一は、テレビ東京の「WBS(ワールド・ビジネス・サテライト)」である。経済、金融、財政、産業、個別企業についてなど、内容は多彩である。とりわけビジネスマンにとって、有益でタイムリーな情報が豊富に盛り込まれている。筆者も会社勤めの現役時代、多忙な中でも、できるだけこの番組だけは視聴するように心掛けていた。次は、NHK(BS1)の「国際報道」である。ここには海外の主要な出来事が比較的豊富に盛り込まれている。同じくNHK(地上波)の「ニュースセンター9」も、国内ニュースを中心に、網羅的である。ただしNHKの番組は、個別企業に関するトピックス(ミクロ経済ニュース)について、物足りなさや踏み込み不足がある。
なお、テレビ朝日の「報道ステーション」、TBSの「NEWS23}は、左傾のバイアスがかかっている。両番組は編集方針、アンカーマン、コメンテイターが左傾している。かえってものごとの本質を見誤る恐れがあるので、筆者は見ない。
また、民放四局(日本テレビ、テレビ朝日、TBS、フジテレビ)の、夕方のニュース番組は、テレビ朝日とTBSの左傾が目障りな他は、概ね、似たり寄ったりである。似たような内容のニュースを、似たような視点で流しており、あまり特徴がない。筆者が「四バカ局」と呼ぶ所以である。
余談だが、ニュース以外で特筆すべき番組もいくつかある。まずは、日本の職人や零細企業などの質の高さを再認識させる「和風総本家」。この番組では、日本の強みや長所を、海外に向けて発信するという、努力も払われている。一方で、慰安婦問題などで、虚偽と誇張により、日本の国益を深刻に損ねている朝日新聞と比較すると、、見事な対照をなしている。
次は、特色のある企業経営者を浮き彫りにする「カンブリア宮殿」、新しいビジネスの潮流を描いた「ガイアの夜明け」などであり、これらはいずれも、テレビ東京の番組である。また、NHK出身の池上彰は、複数のテレビ局で経済、金融、社会のトピックスなどについて解説をしているが、啓蒙番組として、分かりやすく、良質なものが多い。解説のスタンスも概ね中庸である。
半面、絶対に見ない番組がある。韓国ドラマ、中国ドラマである。制作した国家の宣伝が巧妙に仕組まれているような番組を、なぜ日本のテレビ局が電波に乗せるのか、理解に苦しむ。とりわけ、NHKが放映していることには、驚きだけでなく、怒りすら覚える。我々は韓国や中国のネジ曲げられた国家宣伝を見るために、高い受信料を払っているのではない。NHKについては、お笑い芸人の多用など、最近、特に民放にスリ寄るような番組が多い。かつての「プロジェクトX]のような、骨太の番組が少なく、質的低下が顕著である。
以上を総じてみると、テレビ東京は、韓国ドラマなどのように、低レベルの番組も混在してはいるが、他局に比べれば、まともな番組が多い。NHKは、台風や地震などの災害報道はキッチリやっているが、これは公共放送として、むしろ当たり前のことである。その一方で、経済、金融番組はテレビ東京より劣る。個別企業の宣伝につながることを恐れ、企業の名前を極力出さないような放映スタンスでは、自ずとミクロ経済番組などに限界が生じる。そろそろこの原則を、見直した方がよいのではないか。
なお、テレビ東京にまともな番組が多いのは、母体である日本経済新聞の読者層のニーズを反映しているのであろう。露骨に言えば、読売、朝日、毎日の新聞各紙に比べて、読者層のニーズが高度ということかもしれない。ただ、このような中にあって、フジテレビについては、産経新聞に比べて、何故こうも次元が低いのか、理解に苦しむ。
(二〇一六年一〇月一日)
平成28年9月19日
「尾林達成叙勲祝い会」が沼津の「たくみ農園」で行われた。
上段↑の「動画ブログ」に写真アルバムと動画を掲載、是非ご覧下さい。

松井俊一コラム28年9月号「おごるな自民党」。案内
上段の「松井コラム」ブログに過去のコラムとともに掲載
[ おごるな自民党 ]
二〇一六年七月三一日に実施された、東京都知事選挙は、自民党の公認を拒否された小池百合子の圧勝に終わった。主要三候補者の得票数は、小池百合子二、九一二千票、増田寛也一、七九三千票、鳥越俊太郎一、三四六千票である。小池の得票数は与党公認の増田に百万票以上の大差を付けた。増田を推した自民党、公明党はまさに顔色なしである。
野党四党(民進、共産、社民、生活)が野合して支援した鳥越も、大差で小池に敗れた。ただ、鳥越の落選は当然と言える。例えば、東京都が抱える待機児童問題などについての知識は皆無に近い。その上、大島の消費税率を五%にするなどと、口から出まかせを言い、果ては、自分は昭和一五年生まれだから、終戦時(昭和二〇年)は二〇歳だったなどと、認知症を疑わせるようなことまで口走っていた。都知事の職責は、都政に関する知識が欠如し、健康にも大きな不安を抱えている七六歳の老人が、暇つぶしで務められるようなものではないのだ。鳥越とこれを推した野党四党の態度は、あまりにも無責任で、都民をバカにしたものと言わざるを得ない。
鳥越が落選した原因は、本人が言い訳しているように、「準備不足」などでは決してない。たとえ準備万端だったとしても当選は無理であったろう。都知事として不適格であることが、あまりにも明確だからだ。彼が落選したことは、東京都民の見識や良識が健在であることの証左である。それよりもむしろ、このような人物に投票した無責任な投票者が、百万人もいたことの方が、筆者には驚きである。
増田は自民、公明両党から強力な支援を受けたにも拘わらず落選した。かつて岩手県知事を務めていた時に、(東京都民が嫌う)在日外国人への地方参政権付与に賛同したり、ややもすれば東京の一極集中を批判していたことなどを、都民は忘れていなかったのかもしれない。
増田の落選について、一番厳しく責任が問われるべきは、自由民主党東京都議連である。中でも会長の石原伸晃、幹事長の内田茂などはその筆頭である。小池百合子の公認問題をめぐる、都民の心情を無視した傲慢、不遜な対応は、東京都民のみならず、全国の怒りや失笑を買った。最近、折に触れて自民党におごりが見えると感じるのは、筆者だけではあるまい。政権を失って野に下った時の反省は何処に行ってしまったのか。ちょっと目を離すと、すぐに横柄になったり、利権に走ったりする。これだから自民党は、もろ手を挙げて応援する気にはなれない。橋下徹が覚悟をもって大阪府、大阪市に切り込んだことを、少しは見習ったらどうだ。
一方で、小池に対する東京都民の期待はそれなりに大きい。小泉政権時代における、刺客立候補者としての度胸や、防衛大臣時代、横柄な事務次官と本腰を入れてやりあった硬派ぶりを、都民や国民は覚えている。小池がこれから歩む道は、決して平坦ではないと思われるが、この際、東京オリンピックに向けて暴走している森喜朗のチェックや、伏魔殿の臭いふんぷんである都議会の大掃除にも、存分に力を発揮することを期待したい。
(二〇一六年九月一日)
松井俊一コラム28年8月号案内
上段の「松井コラム」ブログに過去のコラムとともに掲載
[ 大英帝国の崩壊 ]
英国は、二〇一六年六月に実施された国民投票によって、EU離脱を決めた。これには世界中が驚愕、亜然とした。経済、金融について多少なりとも知識がある者ならば、離脱など、夢にも考えられないからである。もしも、M・サッチャー氏が存命であったなら、この現状を一体どう思うのであろうか。
EUの離脱が英国に与える悪影響はあまりに大きい。ざっと思い浮かぶだけでも、世界の金融センターとしての地位の喪失。英国に進出している外国企業(例えば日本の場合は約一千社)の国外流出。これらに伴う雇用の喪失、さらにはポンド下落に伴う、経済成長力の低下などが不可避である。加えて、もしEU残留を希望しているスコットランドなどが分離独立するようなことになれば、もはや英国は完全に崩壊である。一方で、英国に離脱されたEUにとっても、分裂のリスクが高まるなど、痛手は計り知れない。世界の金融、経済に対する悪影響も大きい。例えば日本の場合は、とりわけ、円高に伴う実体経済への悪影響が懸念される。
一体、何故、このような非常識極まりない結論に至ってしまったのか。その中身を吟味すると、日本にとっても、決して対岸の火事では済まされないような原因がある。その第一は、老人層の離脱支持である。端的に言えば、自分たちが生きている間だけ好き勝手ができればよいという、老い先の短い人間たちの、身勝手極まりないエゴイズムである。これに対して、将来を担うべき若者は離脱に反対している。第二は政治家の無責任なアジテーションと、これに誘導された、国民の軽率な投票行動である。
離脱を誘導した政治家の無責任な言動については、とりわけ、独立党の党首(N・ファラージ)や、前ロンドン市長のB・ジョンソンが際立っている。例えば、ファラージは、英国がEUを離脱すれば、EUへの拠出金が不要になるため、その分福祉などに充当する資金を捻出できるなどと主張した。しかし選挙の後、それがウソであったことを認めている。また、ジョンソンは、国民投票の後、即座にキャメロン首相の後任レースから手を引いた。そうかと思えば、その後、T・メイ内閣の外相を引き受けている。あれほど離脱を主張しながら、離脱後の英国の運営から手を引いたり、一転して外相を引き受けるなど、一体何を考えているのか、さっぱり分からない。多分、何も考えていないのではないか。
英国民の間には、離脱が決まってから、改めて事の重大さに気付き、慌てふためく者が続出している。が、それこそあとの祭りである。
実は、これとよく似た話が日本にもある。二〇一五年五月に、大阪市で実施された、大阪都への移行の是非を問う、住民投票である。将来を思う若者は都構想に賛成した。しかし、これに対して老人は目先の利益に目がくらみ、反対であった。そして既存の政治家の多くは、既得権益の維持を目論んで、反対を誘導した。それらの結果、大阪都構想は僅差で否決され、大阪は浮上のきっかけを失うことになったのである。
政治は、情報提供のあり方如何によっては、国民を無知に陥れることも可能である。そして国民の無知は、誤った恐ろしいエネルギーを生むことがある。大衆迎合の政治は、民主主義という美名(偽りの看板)の下に、国を亡ぼすことも可能なのである。現在の日本の民進党や共産党は、国民の耳に心地よい甘言ばかりの看板を、無責任に掲げている。まさしく大衆迎合一色である。両党が「亡国政党」と言われるゆえんがここにある。
(二〇一六年八月一日)
松井俊一コラム28年7月号案内
上段の「松井コラム」ブログに過去のコラムとともに掲載。
[無為無策の日本漁業 ]
故郷の沼津を拠点にして、駿河湾での船釣りを、二〇〇一年に始めた。今年で一六年目である。この間に生じた最も明確な変化は、釣果が減少したことである。加えて、魚種も少なくなってきている。かつては時折顔を見ることができた、メジマグロ、本ガツオ、オキアジなども、めったに見られなくなった。
駿河湾で水揚げされる代表的な魚種は、真アジ、真サバ、カタクチイワシなどである。が、例えば日本一の生産量を誇る真アジの干物は、既にかなり以前から駿河湾産のアジだけでは賄うことができず、県外はもとより、外国産にまで頼っている。真サバ、カタクチイワシなども同様に減少が顕著である。サバはゴマサバが大半で、真サバを見かけることは少ない。カタクチイワシは、海流の異変もあって、昨年などは歴史的とも言えるほどの不漁であった。さらに筆者が子供のころにまで遡って比べれば、カタクチイワシや真アジは劇的に減少している。
この原因は何なのか。地球温暖化の影響も決して無視できないが、主因はそれよりも「乱獲」なのである。魚群探知機の装備や船舶の機能向上などで、漁獲能力はどんどん高まっている。それを武器に、「早く獲った者勝ち」の漁業が行われているのである。今や、漁獲量の減少は、駿河湾だけでなく、日本全体の問題となっている。日本の漁業は、まさにルール不在の野放し状態なのである。
アメリカ、カナダ、ノルウエー、オーストラリア、ニュージーランドなど、およそ漁業の主要国では、個々の漁業者に予め漁獲枠を配分しておく「個別漁獲枠制度」を導入している。隣国の韓国でさえもである。これに対して、日本は全体の総漁獲枠を決めているだけで、その枠を誰が使うかは、早い者勝ちである。しかもその総漁獲枠は、日本近海の魚を全て捕りつくしても、まだ枠が余るくらい、過大な数値が設定されている。そもそも枠の体をなしていないのである。この結果、日本の漁業は、早い者勝ちが原因で、魚体が小さいうちに乱獲してしまうことが横行している。
海外はどうか。例えば、ノルウェーのサバの場合は、卵を産む年齢になるまで、捕獲は厳しく規制されている。漁網の目を大きくするなどして、小さいサバは捕獲できないような工夫もなされている。これが奏功し、サバの資源は枯渇することなく、形も良好で、価格も高く維持されている。規制の効果により、むしろ漁獲量は安定し、値崩れもしていないのである。
対して日本はどうなのか。小さなサバは価格も安く、これが漁業従事者の所得低迷を招く原因にもなっている。このため、例えば燃料の価格が上昇すると、コスト増を吸収できないため、たちまち国に補助を求める。所得低迷と補助金増加の悪循環が生じているのである。日本へ個別漁獲枠を導入することの可否について、農林水産省の見解は、現状は問題ないので、規制は必要ない、とのようである。ここまで日本の漁業が疲弊しているのに、一向に動こうとしないのが、農水省の現状なのである。
日本の漁業は、農業と同様に、政策そのものが前近代的で、韓国にさえも劣る。まさに後進国のレベルである。何よりも「産業としての漁業」という意識と発想が欠落している。このような状況を招いた原因は何か。主犯は自民党と農林水産省である。加えて、漁業資源の保護、育成に対する国民の関心やチェックも甘い。
両産業を立ち直らせるためには、都市型の政治家がリーダーシップをとって、漁業と農業に対して、「産業」の観点から抜本的な改革のメスを入れること。生産者の保護ばかりに目が行って、消費者をないがしろにしている農林水産省を解体して、経済産業省の一部局とし、官僚の脳ミソを百%入れ替えること、などが必須である。
(二〇一六年七月一日)
松井俊一コラム28年6月号「笑止の野合」ご案内
↑段の「松井コラム」に今までのコラムと共に掲載中、お読みください。
[笑止の野合 ]
民主党が維新の党と合体して、民進党と党名を変えた。笑止
千万、片腹痛いとはこのことである。何度も言っているように民主党は、そもそもが「烏合の衆」と呼ぶのが、最もふさわしい集団で、思想も哲学もない。この集団が、かって政権をになった三年の間に、どれほど日本の国を棄損したことか。自分たちは忘れたフリをしているが、国民は絶対に忘れない。政権時における売国、亡国行為を目の当たりにして、見識や良識のある国民は、とっくに、この党に三下り半を下している。この期におよんで、この集団が看板だけを書き換えたところで、見え透いたゴマカシでしかない。物笑いのタネである。
この党の、選挙目当ての「ポピュリズム」(大衆迎合)は、すさまじい。もはや「大衆迎合」を超えた、「愚民迎合」とも言うべきレベルである。最近の笑い話を一つあげれば、保育園の「待機児童問題」である。自分の子供を保育園に入園させることができなかった主婦が、インターネットで行った匿名の政治批判が、世間で話題になった。民主党は、選挙の票集めに使おうと、間髪を入れずこれに飛びついた。衆議院議員の山尾志桜里を党の政調会長に祭り上げ、待機児童問題への悪乗りを目論んだ。ところが、山尾本人が代表を務める、民主党の愛知県支部で、会計の不正処理疑惑が発覚した。寄付金の受け入れやガソリン代の支払など、いくつもの疑惑が指摘されたのである。この問題について、本人は呆れるほどの逃げ腰で、国民が充分に納得のできる説明をしないままになっている。自民党の揚げ足を取るつもりが見事に思惑が外れ、「ミイラ取りが、ミイラになった」という、愚にもつかない笑い話である。
この党は、相も変わらず、政府の揚げ足取りだけに終始している。熊本地震への対応に関して、東日本大震災の時、自民党議員の対応に誤りがあったなどとデタラメを言い、政府の足を引っ張ろうとした。東日本大震災の時、デタラメとスタンドプレーを連発して、天災を人災に転嫁してしまったのは、他ならぬ民主党ではないか。
この党が何故、選挙で大敗して政権を失ったのか、いまだに反省は無いようである。国の政策について現実的で建設的な意見や主張は皆無である。この期に及んで、TPPに難癖を付けるに至っては、開いた口が塞がらない。自分たちが政権を担っていた時は、党内議論すらまともにできなかったではないか。今さら民主党にTPPを論ずる資格などはない。枝葉末節な事柄に難癖を付け、審議拒否のサボタージュまで行うに至っては、歳費と時間の無駄使いであり、議員という名の「税金ドロボー」そのものである。
本年夏の参議院議員選挙では、一人区で、野党統一候補を出そうとしている。選挙民をバカにするのもいいかげんにしろである。民主党と共産党が、一体どうしたら合体できるのか。仮にその結果当選した議員は、一体どういう政治活動をするというのか。いまだに懲りもせず、民主党に投票しているような者でさえも、さすがに共産党と民主党は、根本的に水と油であることぐらいは、理解出来るであろう。現に共産党と政治行動を一体的に行うことには、民主党自身も躊躇しているではないか。自分たちは距離を置きながら、選挙民に対して、統一候補への投票を呼び掛けるとすれば、これほど無責任で、国民をバカにした話はない。
民主党の愚かさには呆れるばかりである。良識ある国民の皆さん、この国の将来のために、日本の国益に有害なこの党を、速やかに国会から追放しようではないか。
(二〇一六年六月一日)
同期生各位
めでたいお知らせ。尾林がビックな受章!
平成28年4月29日付けで発令されました平成28年春の叙勲
平成28年春の叙勲
瑞宝小綬章
建設行政事務功労 元 四国地方建設局企画部長 尾林達成(おばやしたつなり)70歳
千葉県 浦安市
(内閣府ホームページより)


勲章・褒章がわかる事典の解説
ずいほうしょう【瑞宝章】
日本の勲章の一種。1888年(明治21)に「勲章増設ノ詔」が発せられ、宝冠章(ほうかんしょう)とともに制定された。1875年に日本初の勲章として男性対象の旭日章(きょくじつしょう)が制定されていたが、諸外国に比べ勲章の種類が少ないことが不都合となり、新たに女性を対象とする宝冠章と、同じ等級のなかでは旭日章、宝冠章よりランクが下の瑞宝章が加えられた。瑞宝章は「国家又ハ公共ニ対シ積年ノ功労アル者」に授与する、つまり「長年にわたる公務」を対象とした。勲一等から勲八等の8等級で構成され、初めは男性のみを対象としたが、1919年(大正8)から男女共通となった。第二次世界大戦後の生存者叙勲の一時停止をのぞき、同じ性格で続いてきたが、2002年(平成14)8月の閣議決定「栄典制度の改革について」により、等級は6つに整理され、勲一等などの数字は廃止された。同時に、旭日章と瑞宝章を同格にして男女共通とし、2つの章の違いを、功績の内容に着目する旭日章と、功労の積み重ねに着目する瑞宝章におくことを明確にした。それに合わせて、それまでの名称は勲一等瑞宝章というように、勲等のみがつくものだったが、旭日章にあわせて6段階の名称を、瑞宝大綬章、瑞宝重光章、瑞宝中綬章、瑞宝小綬章、瑞宝双光章、瑞宝単光章とした。対象者は公共的な業務(一般行政事務、教育や研究、社会福祉、医療、保護司や民生委員、危険性の高い業など)に長年従事した人であるが、形式的な職務歴で等しく授与されるものではなく、他の模範となる成績をあげた人が対象となる。瑞宝章の意匠(いしょう)はそれぞれで多少異なるが基本的には同じで、章の中央に配された鏡のモチーフ(八稜鏡(はちりょうきょう))を16の連珠がめぐり、そこから四方または八方に光線が伸びており、伊勢神宮の神宝をかたどったものといわれる。
松井俊一コラム28年5月号「バトミントンの品格」
いつもの↑「松井コラム」頁に掲載
[バドミントンの品格 ]
希代の評論家であった故大宅壮一は、かつて、「暴力をルール化したのがスポーツで、そのスポーツを再び暴力化したのがプロレスだ」と述べたことがある。一面の真理を突いた名言と思うが、プロレス以外のスポーツでも、その中身は千差万別で、品格もそれぞれ異なるようだ。
ゴルフ選手の石川遼が、将来性に富む若手プレイヤーとして、世間の耳目を集め始めた頃、インタビューなどへの受け答えの礼儀正しさに、大いに驚かされた。一方で、冬季オリンピックにおける、スノーボードの若手日本選手の身だしなみや言葉使いのだらしなさも目の当たりにし、両スポーツの品格の違いをまざまざと実感させられた記憶がある。
それでは、有力選手の賭博問題で揺れているバドミントンはどうなのか。田児賢一、桃田賢斗両名の試合中の映像を、改めて見て、驚いた。茶髪、派手なアクセサリーなど、およそスポーツ選手としての品格は感じられない。
バドミントンと言えば、先のロンドンオリンピックにおける、一部の国の選手の不正試合が鮮明に思い出される。女子ダブルスの試合で、韓国(二組)、中国、インドネシアの四ペアが、準々決勝以降の組み合わせを考えて、故意に敗退したという、前代未聞の珍事である。また、このオリンピックでは、中国人を中心とする応援団の、無法と言えるマナーの悪さも目立った。さらに、二〇一四年の仁川アジア大会では、主催国である韓国が、日本戦で試合会場に不自然な風を送り込んだりしている。バドミントンは、先進国イギリスで基礎が作られたスポーツであるが、現状は、選手、主催者、観客のいずれもが、品格に欠けていると言わざるを得ないスポーツに、なり下がっている。
田児、桃田の両選手は、かつて賭博行為について周りから注意を受けたことがあり、本人たちも違法性を充分に認識していた由である。そうであるならば、これはれっきとした確信犯ではないか。また、側聞するところによれば、桃田は、思い切り派手な生活をして、それによって子供のファンを増やしたい、とのことである。心得違いも甚だしい。世の中には、派手で軽薄な身なりより大切なものが、いくらでもあるのだ。これを放置してきたNTT東日本、バドミントン協会、後援会などの周囲も同罪である。
日本バドミントン協会は、田児賢一を無期限の登録抹消、桃田賢斗を無期限の競技会出場停止処分にした。甘すぎないか。将来、選手として再び登場させる余地を残した処分であることが透けて見える。オリンピックでのメダル獲得に再び参加させたいという下心を、バドミントン協会自身が露呈させているのだ。何故毅然と、永久追放処分にしないのか。
両名が釈明する記者会見の映像を見た。所属するNTT東日本の態度にも納得できない。表面では、世間に対してお詫びこそしているが、会社に責任はないという態度が垣間見える。両名の他にもこの会社の所属選手が六名も、賭博に手を染めていた由である。一体、この会社のガバナンスはどうなっているのか。親方日の丸であった独占企業の因習が、依然として社内にはびこっているのではないか。なお、桃田を除く田児と六名は、全員が同一高校(埼玉栄高校)の卒業生の由である。高校時代の教育にも疑問がある。
NTT東日本が、今回の事件の関係者に対して行った処分の内容は、田児の解雇、桃田の出勤停止三〇日、その他の賭博部員への厳重注意、男子バドミントン部の活動停止半年間、総監督、監督の解任などである。これも甘すぎる。トカゲの尻尾切りのような対応でなく、この際、女子を含むか否かは別として、少なくとも男子バドミントン部は廃部とすべきである。
バドミントン競技に係る全ての日本の関係者は、真剣、深刻に現在の状況を反省し、体質の抜本的改革を行うべきである。万一今回の事件に関係した選手が、ほとぼりが冷めるのを待って、再び表舞台に登場するようなことになるのであれば、日本におけるこのスポーツの未来は限りなく暗い。
(二〇一六年五月一日)
第17回沼津市立第一中学同窓会総会案内
同期各位、出席希望の同期生は学年幹事の長谷川徹(055−962−2371)までご連絡をお願いします。
※この案内は一中全体同窓会総会案内です。12回期生同窓会ではありません。
松井俊一コラム28年4月号「危うい中国」案内
いつものように↑上段「松井コラム」頁に掲載
[危うい中国 ]
中国はさほど遠くない将来に、崩壊する可能性がある。
中国が危うい根本原因は、政治体制と経済・金融体制が致命的な矛盾を抱えていることにある。周知の通り、政治体制は共産党の一党独裁であり、民主主義や自由主義とは真逆の国家である。国民の基本的人権は著しく制約され、職業選択の自由なども同様である。土地は国家の所有であり、国民の私有は禁じられている。このような国家体制にも拘わらず、経済、金融体制については、自由主義国家のそれが取り入れられている。世界の中で類をみない、奇妙な体制の国家なのである。そしてこの、いわば政治と経済のねじれが、国の運営面で、種々の深刻なひずみを生じさせている。
例えば、労働力については、個人の自由な移動や職業選択が制約されているため、マーケットメカニズムが充分には機能しない。このため、産業間における労働力のスムーズな調整に齟齬をきたしている。その結果、例えば農村部と都市部の国民の間などで、貧富の格差が信じられないほど拡大している。共産主義は本来、貧富の格差のない国家であるはずなのに、現状の格差は自由主義国家よりも深刻な状況である。経済発展から置き去りにされている国民層の不満は一触即発の状態になりつつある。
労働の質そのものにも問題がある。かつてはコストの低さが最大の強みであり、このことが、世界の工場として、中国を発展させた原動力でもあった。しかし、中国の労働コストは、上昇を続けており、この点での国際競争力は確実に低下している。さらに国民に対する教育が、共産主義礼賛の偏向教育のため、経済の高度化に不可欠な、品質管理や衛生管理についての教育が不十分のようである。製造業においては高品質製品の産出に難があり、農産物や水産物の場合には、農薬や化学薬品などの濫用により、人体の健康面への信頼度(安全性)が極めて低い。また、知的財産権についての理解が不十分で、各国の有名ブランド商品の模倣大国になっている。以上に加え、一九七九年から二〇一五年まで、三六年にわたって実施された出産制限(一人っ子政策)によって、人口構成が歪められ、近い将来、深刻な労働力の高齢化が到来することが不可避である。
金融や資本のマーケットにも、政府による過剰介入と、その逆の野放しとが並存している。例えば、株式マーケットでは、取引を強制的に停止させる緊急手段である「サーキットブレーカー制度」が、二〇一六年一月の導入当日から発動されるといった、異常事態が発生している。金融面では、正体不明な地下銀行なるものが、金融機能の一翼を担っている。なお、企業分野では、実質的に経営破綻している国有企業(ゾンビ企業)の負荷が大きい。
加えて、我々は果たして中国経済の実態を把握し得ているのか、についても疑問がある。例えば代表的な経済指標であるGDP統計は、そもそも高度な加工、推計統計である。統計全般がよく整備されている米国や日本でも、0・五%程度の誤差は起こりうる。中国の場合はどうか。GDP、個人消費、設備投資、住宅投資、貿易などを始めとする経済統計には、例えば軍事関連支出など、不透明な部分も多く、中国の統計資料の信頼性は、先進諸国に比べて低いと言わざるをえない。要するに、中国が経済、金融の実態をどこまで正確に公表しているか、疑問なのである。
以上の通り、ざっと経済、金融の主な側面だけをみても、中国の不安要因は山積している。 ひょっとすると、中国はある日突然、音を立てて崩壊を始めるかもしれない。これは決してエイプリルフール用の作り話ではない。中国との経済、金融取引においては、日本はいざとなれば、即刻撤退できるような覚悟と体制で対応することが肝要であろう。
(二〇一六年四月一日)
松井俊一コラム28年3月号「昭和の歌姫」案内
いつものように↑上段「松井コラム」頁に掲載。
[昭和の歌姫―ちあきなおみ ]
音楽が好きである。中心はクラシックで、聴くものは、J・S・バッハ、A・ヴィヴァルディ、W・A・モーツアルトなどの作品が多い。小学校二年生の時、母に強制されて弾き始めた、クラシックギターが、音楽の入口になっている。歌謡曲も嫌いではない。ただ、好みの基準は、歌手ではなく、飽くまでメロディである。特定の歌手にはこだわっていない。
「黄昏のビギン」という曲がある。一九五九年(昭和三四年)に、中村八大の作曲、永六輔・中村八大の共同作詞で発表された。歌手は水原弘であった。当時、中村八大と永六輔のコンビは、従来の日本の歌謡曲とは異質の、良い意味で、バタ臭さが漂う曲を生み出していた。日本の歌謡曲がもつ、マイナーな感じがない。それが新鮮で、好きであった。なお、「上を向いて歩こう」(一九六一年、歌手坂本九)は、二人の代表作である。
その「黄昏のビギン」を、ちあきなおみが歌っているのを初めて耳にしたのは、テレビのCMにおいてである。ある時、テレビから、聞き覚えのあるこの曲が、耳に入ってきた。水原弘のそれとは異なる、独特の雰囲気を醸し出している。それが気になって、後日、改めて、彼女が歌う「黄昏のビギン」を最初から聞いてみた。たちまち彼女の世界に、引き込まれてしまった。
ちあきの歌が、あまりに自分の耳と相性がよいので、自分の好みの曲を中心に、その他のカバー曲も聞いてみた。例えば、「東京ブルース」(原曲の歌手は西田佐知子)、「五番街のマリーへ」(高橋真梨子)、「ブルーライトヨコハマ」(いしだあゆみ)などである。いずれの出来もすこぶる良い。
ちあきの歌の素晴らしさは、一体どこにあるのだろうか。もちろん、声の質、量とも魅力に溢れている。が、それだけではない。彼女は恐らく感受性が極めて豊かで、その曲から自分自身が受けるイメージを、聞き手に対して明確に伝達出来る能力に優れているのではないか。要は、彼女独特の世界を醸し出し、それを訴える能力に優れているのである。
例えば、黄昏のビギンは、歌詞から明らかなように、本来は男性が歌う曲として作られている。しかし、ちあきのそれは、女性が歌っていることの不自然さなど、微塵も感じさせない。ちあきのオリジナル曲に変身しているのである。オリジナルの歌手による曲も、それなりに素晴らしい。しかし、ちあきなおみがカバーした曲は、完全に彼女の世界に染め変えられ、聞き手の心をしっかりとらえている。
彼女のことを、昭和の天才歌手、美空ひばりに勝るとも劣らない歌姫と評する人もいる。今や自分も、ちあきなおみの確たるファンの一人である。そして、多くのファンがそうであるように、出来ることならば、ステージで歌う彼女の姿を再び見てみたいと思う。しかし、残念ながら、その可能性は限りなく低そうである。
(二〇一六年三月一日)
松井俊一コラム28年1月号「トカ・トカ・トカ」案内
いつものように↑上段の「松井コラム」頁に掲載お読み下さい。
[トカ・トカ・トカ ]
「トラ・トラ・トラ」ではない。「トカ・トカ・トカ」である。最近、寄る年波のせいか、一部の日本語がとみに耳障りになったり、気になったりしている。その第一が、「とか」である。これは主に若者が、頻繁に使っている。例えば、「テレビとか見るんですか」、「休日とかはテレビ漬けなんです」といった具合である。
言葉の前後関係から察すると、「とか」は、「など」とほぼ同義語で使用しているようだ。しかし「とか」と「など」は、必ずしも同一とは思えない。耳に当たる強さが違う。「など」は、穏やかに例示する雰囲気であるが、「とか」になると、かなり強調した例示に聞こえる。要するに、アクが強いのである。「など」の代わりに「とか」を使う場面に出会うと、その都度気になって仕方がない。
次は、いわゆる「ら抜き言葉」である。例えば、「出られない」、が「出れない」、「着られない」が「着れない」などになる。「とか」に比べれば、多少抵抗は少ないが、やはりひっかかりがあって、素直にうなずく気にはなれない。
続いて、語尾のイントネーションの問題である。これは若い女子に多い。「・・・なのでェ」、「・・・するのでェ」などと、語尾にアクセントがついて、口調が尻上がりになる。日本語の美しさは、語尾がすっと下がることにあるのに、これでは台無しである。この口調で話している者の品格を疑いたくなるのは、筆者だけであろうか。
最後は、頻繁に起こる日本語の誤用である。その代表格は、「的を得る」、「押しも押されぬ」、「舌づつみ」などである。正しくは、的は「射る」のであって「得る」のではない。また、「押しも押されぬ」ではなくて、「押しも押されもせぬ」であり、さらに、舌で打つのは、「つづみ(鼓)」なのである。これらはアナウンサーも、時折間違えることがある。さすがに、NHKのアナウンサーは、教育がしっかりしているようで、間違いを殆ど聞いたことがない。対して、民放局には、アナウンサーなのか芸能人なのか分からないような者もいる。テレビの前で品(しな)を作るより、本職のアナウンスの基礎をもっと身に付けて欲しいものである。
なお、間違いとは言えないが、使い方に首をかしげたくなるようなものもある。身内である自分の親や妻ことを、人前で、「お父さん」「お母さん」「奥さん」などと、敬語で呼ぶことである。謙遜を美徳とする日本人としては、人前では「父」「母」であり、「愚妻」は言い過ぎとしても、せいぜい「妻」だと思うのだが、いかがなものであろうか。
言語は、たとえ誤ったものでも、多くの人に頻繁に使われれば使われるほど、やがては正式な言語として認知される。現在の誤った言葉使いの多くも、長い間のうちには、正式な用語として認知される可能性が強い。どうにも合点がいかないが、これも仕方のないことかもしれない。
余談になるが、東洋史の研究者であり、駐日アメリカ大使でもあった、エドウィン・O・ライシャワー(一九一〇年〜一九九〇年)によれば、日本語は世界の中でも、孤立した言語であるそうだ。おおよそ、世界の言語は主語の次に動詞が来るのに、日本語の場合はそうではない。動詞は主語から離れた位置、場合によっては、末尾の方に来ることさえある。独特の文法なのだ。
そうではあっても、日本語は穏やかな響きを持つ言語である。音声を朝鮮語などの外国語と比べてもわかる。歳を取るにつれて、ますます日本語の良さを大切にしようと思うようになってきている。できることならば、いつまでも日本語が美しい言語であり続けて欲しいと思うばかりである。
(二〇一六年二月一日)
沼津市立第一小学校:校歌を上段の「動画ブログ」に掲載、懐かしんで下さい。
又、下記画像クリックで校歌動画に行きます。
松井俊一コラム28年正月号「新年の政治展望」の案内
詳しくは上段の「松井コラム」頁に掲載。
平成27年12月8日(火)東高同期猿渡君来沼
上段の「動画ブログ」に猿渡君のその時の動画を、
同じく「写真集」に静止画像を掲載。
[日本野球の水準 ]
久しぶりで日本のプロ野球をテレビ観戦した。ここ数年、野球の観戦は、もっぱらアメリカのメジャーリーグ(MLB)ばかりで、日本のそれは殆ど見ることがなかった。今年は日本シリーズも観戦していない。
日本野球を観戦したきっかけは、偶然からである。当初予定していた駿河湾での魚釣りが、悪天候で見合わせになった。意図せず時間の空きができたため、ならばと言うことで、その時期にたまたま開催中であった、野球の世界大会「プレミア一二」における、日本の戦いぶりを見ることにしたのである。そして、日本チームの中に、MLBでの活躍が期待できそうな選手はいるのか、独断と偏見で探してみた。
「プレミア一二」の野球大会に臨んでいる各国のレベルは、いかなるものなのか。世界最高レベルであるMLBで活躍中の選手は、参加していない。アメリカのチーム編成を見ても、三Aクラスの選手が中心である。従って、仮に日本チームの実力がMLBなみならば、日本が優勝しても、おかしくはないレベルの大会である。
今回、予選から準決勝の対韓国戦まで、日本チームの戦いを観戦した。感想は次の通りである。
近い将来MLBで活躍することが期待できそうな選手は、二名いた。ピッチャーの大谷祥平と前田健太である。とりわけ大谷は、変化球に未熟さが残るが、ストレートの威力は絶大で、MLBでも先発ローテーション入りして活躍できる可能性が大きい。一刻も早くMLBへ移籍することを期待したい。前田健太は投球術にソツがない。故障なく上手くいけば、シアトル・マリナーズの岩隈久志のような活躍ができるかもしれない。
ただし、投手陣でも、セットアッパーとクローザーは、お寒い限りである。ボストン・レッドソックスの田澤純一や上原浩治なみの活躍が期待できるような選手はいない。とりわけ松井裕樹は、一体どこに特徴や強みがあるのか見えなかった。何故代表に選出されたのか、将来性を買ったからなのか、首を傾げるレベルである。
野手については、該当者なしである。スモール・ベースボールとは言っても、全体に小粒で線が細い。中軸の中田翔、中村剛也は、打撃のパンチ力とスピード、さらに走力に難がある。中軸は無理としても、MLBのレギュラーとして名を連ねることができるのか。それも現状のレベルでは難しいと思われる。アベレージヒッターの中で、右打者のシーズン最多安打やトリプルスリーを達成した山田哲人は、プレー全体に、同年齢当時のイチローのような迫力、切れ、スピードが感じられない。もっとも天才イチローと比較するのは酷かもしれないが。
「プレミア一二」観戦の印象は、以上の他にも、気になったことが、いくつかあった。一つはキャッチャーの人材不足である。嶋基弘はリードに難がある。準決勝の韓国戦で屈辱的な逆転負けをした責任の一部は、彼のリードにもある。また、監督の小久保裕紀は、さすがに準決勝での致命的な采配ミスを自覚しているようなので、繰り返しては言わないが、監督業そのものをもっと勉強する必要がある。それにしても、日本の野球の応援は騒がしすぎる。応援なのか、観客自身のストレス解消のためなのか。いずれにせよ、ゲームの観戦に集中できるような環境ではない。
現在MLBで活躍をしている日本人選手は、投手以外では、外野手の青木宣親とイチローの二人だけである。内野手は、準レギュラーであった川崎宗則も、おそらく来年はいない。何とか内野手として活躍ができる日本人選手が現れないものか。期待するばかりであるが、日本野球の現状では、暫く無理な望みなのかもしれない。
(二〇一五年一二月一日)
沼津東高第16回卒同期会平成27年10月17日公式集合記念写真が上段の「写真集」に追加アップ。
昭和62年の集合写真も追加してあります。ご覧ください。
マウスを画像にタッチで拡大ズームで確認出来ます。
松井俊一コラム27年11月号「アンポンタン」
過去の松井俊一コラムは上段の「松井コラム」頁で読めます。
[アンポンタン ]
去る二〇一五年九月一九日未明、安全保障関連法案が参議院で可決されて成立した。日本が、五体満足な主権国家へ向けて、ささやかな第一歩を踏み出したことになる。日本の安全保障については、少女趣味的な現行憲法を改正して、抜本的な構築を行うことが本筋であるが、現下のような世界の状況では、悠長なことは言っていられない。防衛に関する日本の法体系を、これまでのように穴の開いたまま、未整備で放置しておくことの方が、むしろ外国の挑発行動を誘発する懸念が大きい。今回の措置により、中国などの暴走に、多少なりとも歯止めがかかることを期待したい。
今日の日本を取り巻く安全保障の環境は、世界的規模で激しく変化している。近隣では、軍事力を猛烈なピードで増加させ、尖閣諸島への侵略や南沙諸島の不法占拠を露骨に進めている中国、核武装への道を突き進んでいる北朝鮮、北方四島のみならず、ウクライナの不法占拠も既成事実化しようとしているロシア、中国にスリ寄り、もはや同盟国と呼ぶには値しない韓国などである。
世界全体では、アメリカの軍事面の優位性が相対的に低下する中で、経済力を増した中国が、時代逆行中のロシアと手を組み、多くの分野で、冷戦時代よりも複雑で深刻な東西対立を、新たに生じさせつつある。また、IS(イスラミックステート)を筆頭に、過激派組織のテロも激化している。過去に、これほどテロが世界規模で深刻化したことはない。
残念なことだが、今回安全保障関連法案は、「戦争法案」とこじつけられ(言い出したのは、あの福島瑞穂だと言われている)、完全に誤ったレッテルを貼られてしまった。そしてこの誤ったレッテルで、民主党、共産党、社民党などと一部のマスコミが、世論の誘導を画策し、議論の方向が歪められてしまった。とりわけ民主党が、この法案に、これほどネジ曲がった難クセを付けたことには呆れる。挙句の果ては、共産党との連携までを言い出しているのだから、この政党には、国政をまかすことなど、絶対にしてはいけない。
マスコミの中でも、朝日、毎日新聞系は、例によって、非論理的、情緒的で、扇動的な反対キャンペーンを行っている。あたかも、国民的大反対運動が起こっているかの錯覚を起こすような、報道ぶりでもある。しかしよくみると、集会に参加している者の総数は、有権者のうちの、わずか一%にすら満たない。しかも、このような反対集会に参加している者達のうちの七〜八割は、共産党、民主党などによって動員された、反対運動の「専門屋」である。また、賛成者が支援集会を行っていることについての報道は、圧倒的に少ない。
朝日、毎日が偏向報道をする一方で、産経、読売新聞系などは、安全保障関連法案の価値を評価している。日本を取り巻く現下の安全保障環境を冷静に直視すれば、当然である。中国を始め近隣各国はもちろん安全保障関連法案に反対している。これも至極当然である。彼らにしてみれば、日本を丸裸にして置く一方で、自国の軍事力を着々と強化することが、対日関係の理想的な形だからである。
今回の反対騒動をみていると、一九六〇年(昭和三五年)に起きた日米安全保障条約(新安保条約)締結時の騒動(安保反対運動)を思い出す。当時、一部の学生、労働者、学者、マスコミなどが、内容を理解もせず、気が狂ったように反対運動を行った。しかし、現首相の祖父である当時の岸信介首相は、暴漢に襲われたりしながらも、信念を貫いて、締結にこぎつけた。これがその後の日本に平和をもたらした最大の要因になったことを、今や誰も否定はできまい。もしあの時、反対論に押されて、ソ連や中国に日本の安全を委ねるようなことになっていたら、明らかに今日のような平和と経済発展はなかった。
要するに、あの時反対した者達は、完全に誤っていたのである。しかし、大声で反対を唱えた者達は、朝日新聞などのマスコミを始め、その後、一言も反省することなく、「知らぬ顔の半兵衛」を決め込んできた。
歴史は繰り返すのか。ごく一部ではあるが、半世紀前と同じように、法案をろくに理解もせずに、「反対」の大騒ぎをしている国民がいる。現在の平和が微妙な軍事バランスの上に辛うじて成り立っていることを理解できずに、「平和は日本国憲法のお蔭」などと妄想している者達である。筆者は最近、これらの平和・安全ボケした者達を、「アンポンタン」と呼ぶことにしている。
(二〇一五年一一月一日)
沼津東高第16回卒同期会が平成27年10月17日
沼津大手町会館で開催されました。
恩師3名(畑先生・中田先生・澤田先生)同期生・48名総勢51名出席。
動画は↑の「動画ブログ」に当日写真集と卒業アルバムは「写真集」に。
尚、公式集合記念写真等は来月以降アップ予定。
沼津東高校第16回卒同期会開催のご案内
懐かしの思い出多き運動場であった香陵グランドが新市民体育館建設地になります。それぞれを偲んで訪れるのをお勧めするとともに、ご案内します。
なお、今回をもって当番幹事方式による最後の同期会といたしたく、ご理解とご協力をお願いいたします。
・日時 平成27年10月17日(土)午後6時〜
・場所 大手町会館 沼津市大手町3-5-16 962-1540(沼津駅南口徒歩3分、城岡神社内)
・会費8千円
今回幹事は、沼津地区の綾部宏之、神尾一、辻進、長谷川徹、端山茂樹、光藤あさ美、村井和子、望月國久の8名です。
お問い合わせ先 端山携帯番号:090―9900―2235まで
松井俊一コラム27年10月号
過去のコラムは↑上段の「松井コラム」頁で読むこと出来ます。
[引き際の美学]
散りぬべき 時知りてこそ世の中の 花も花なれ人も人なれ
有名な、細川ガラシャの辞世の句である。「人間、引き際が肝心」という趣旨で、小泉純一郎元首相も退陣の際これを引用した。彼の場合は、引き際が比較的綺麗だったが、この国の元首相の中には、そうではない者も多い。引退してもなお、いらぬ言動で日本の国益を害している者がいる。まさに老害のタレ流しである。代表格は、村山富市、鳩山由紀夫などだが、余分なことをして、世間に迷惑をかけているという点では、森喜朗もその部類になる。
まずは、村山富市。日本政府の戦後の大失策である「村山談話」を、一九九五年八月一五日に発した張本人である。阪神淡路大震災が発生した当日、震災への即座の対応を怠り、当初予定されていた朝食会をそのまま行った。その挙句、「情報が入って来なかった」と、ケロリと言ってのけた人物でもある。また、オウム真理教が起こした地下鉄サリン事件への踏み込みも後手に回っている。首相時代の失政だけでも十二分に日本の国を棄損したが、この御仁は、引退後も依然として、自分の思考や発想が正しいと、思い違いをしているようだ。いまだに、昭和初期における日本の戦争を全て「侵略」と位置付けるなど、理解不能の発想をしている。日本がこれ以上棄損されるのを防ぐためには、一刻も早く、神様か仏様が、口に蓋をして欲しいものだ。また、村山と一緒になって、一九九三年八月四日の談話(河野談話)を、朝鮮や中国に向けて喧伝し続けている、当時の官房長官河野洋平にも、付ける薬はない。
次の鳩山由紀夫には、もはやあきれ果てて、言うべき言葉が見つからない。ロシアに行って、ウクライナ併合の暴挙を正当化したかと思えば、韓国へ行って土下座までしている。脳ミソの構造が、日本人には理解不能である。彼を日本の総理大臣に直接選んだのは、無恥蒙昧で無責任極まりない民主党議員達であるが、その民主党議員を選んだのは、とどのつまり、民主党に投票した国民である。折に触れて述べるように、一票の重みは決して軽んじてはならないのである。
森喜朗は、二〇二〇年開催予定の東京オリンピックに、あれこれ口出しをしない方がよい。本人はボランティアのつもりのようだが、それこそ、「はた迷惑」である。首相時代の彼の言動も、軽佻浮薄ぶりが目立っていた。そもそも、彼が首相に選ばれた経緯そのものに疑問符が付いている。新国立競技場の計画帳消しやエンブレムの使用中止問題など、二〇二〇年のオリンピックに向けた関係者達の脇の甘さが際立っているが、ついつい背後に森喜朗の影を感じてしまうのは、筆者だけの妄想であろうか。
繰り返しになるが、国民は決して自らの一票を軽んじてはならない。たとえ一回だけにせよ、無責任な投票行動をすると、そのツケはその後永年にわたって、日本の国益を害することになるのである。
一方で、このように往生際が悪く、老害を平気で晒すような者達は、恐らく、自分は正しいし、世の中からも必要とされている、と思い込んでいるのではないか。思い違いを起こした原因は、老齢に伴う思考力の低下ばかりではあるまい。周囲から耳に痛い言葉やマイナス情報が入らず、世の中の情勢を客観的に把握することができない、いわゆる「裸の王様」になってしまっているためであろう。
人間、引き際のありようで、それまで辿ってきた道のりの全
てが評価されることもある。「始めよければ終わりよし」である。
もって他山の石となすべきであろう。
(二〇一五年一〇月一日)
松井俊一コラム27年9月号
過去のコラムは↑上段の「松井コラム」頁で読むこと出来ます。
[ うどんとソバ―大阪のカルチャー ]
かつて、四年余りを大阪で暮らしたことがある。静岡県で育ち、東京の大学を卒業して就職した銀行の、最初の勤務地が大阪(北区梅田)であった。生まれて初めての関西暮らしである。そこでまさかのカルチャーショックに、いろいろと見舞われた。最初に出会ったそれは、食べ物、中でも麺にまつわるものであった。
ことは、うどん屋で起こった。勤務先の近くにある、ごく普通のうどん屋で、小腹を満たすために、たぬきうどんを注文した。すると店員は、「そんなものは無い」と言う。一瞬わが耳を疑った。店の者が言うには、「たぬきはソバで、きつねはうどん(原語ではウロンと言う)。たぬきうどんなど、ない。」とのことである。私は即座に反論した。「それは違うだろう。そもそもキツネやタヌキは、麺の種類ではなく、具材の種類のことを言う。キツネはお稲荷さんだから、油揚げ。タヌキは天ぷらの種抜きで、揚げ玉。だから、油揚げをソバに乗せればきつねソバ、うどんに乗せればきつねうどん。揚げ玉をソバに乗せればたぬきそば、うどんに乗せればたぬきうどんということになる。」
「違う違う(原語ではチャウチャウと言う)、そんなことはない。キツネはうどんでタヌキはソバや。」
理屈は明らかにこちらの方に分があるように思う。しかし、店員は最後まで、見下すように筆者の顔を見ながら、タヌキはソバ、キツネはうどんと言い張って、一歩も譲ることはなかった。
麺にまつわる話は他にもある。大阪人は言う。「関東のうどん、ソバは真っ黒な醤油に麺が浮いている。ツユは出汁が効いておらず、醤油そのものの味でまずい。対して大阪は、出汁がよく効いたツユで、色も薄く旨い。」
しかし、これは誤解である。大阪のツユの出汁はこぶ系が主で、味付けは塩である。だから色は薄い。関東のツユはカツオ系が主で、味と香り付けが醤油である。大阪のツユは出汁がきいているが関東はきいていないということはない。ちなみに、関西には、「薄口醤油」というものがあるが、これは、味が薄い故ではない。「薄口」とは、味ではなく、醤油の色のことである。醤油の色が薄いだけで、味はそれこそ塩の塊かと思えるほど塩辛い醤油である。
醤油の話のついでに、ソースのことにも触れておくと、これにもカルチャーの違いがある。ソースは日本独特の調味料であるが(例えばアメリカには日本で言うような「ソース」は存在しない)、大阪はとんかつソースとウスターソースの二種類が主で、「中濃ソース」なるものは殆ど存在しない。
食に関するカルチャーの違いは、他にもいろいろある。大阪では、おでんのことを、「関東だき(または関東煮)」と言う。「たく」とは「煮る」意味であり、「関東の煮物」の意味である。名前の由来がふるっている。「おでんは関東で生まれたが、育ったのは大阪だから関東だきである」。あるいは、「もともとおでんは関西で出来た煮物だが、大阪ではあまり受けなかった。その後、関東に行き、そこで流行り、再び大阪に戻ってきた。いわば大阪へ逆上陸したものだから、関東だきである」、と言う人もいる。
飽くまで中心は大阪であると言い張る、大阪人の発想とプライドが面白い。なお、大阪のおでんにはクジラの皮(コロ)が入っているので、厳密には「大阪おでん」と言うべきであろう。
大阪での生活は驚きと発見の連続であった。同じ日本人なのに、こうも違うのかと思いたくなるような場面にも、幾つか遭遇した。頭も体も柔軟な若いうちに、大阪で経験した様々な出来事は、その後、筆者の「ものの見方」を涵養する上で、少なからざる影響を与えた。今にして思えば収穫の多い四年余であった。
(二〇一五年九月一日)
沼津東高校第16回卒同期会開催のご案内
表記について古希を祝い次のとおり開催します。
懐かしの思い出多き運動場であった香陵グランドが新市民体育館建設地になります。
それぞれを偲んで訪れるのをお勧めするとともに、ご案内します。
なお、今回をもって当番幹事方式による最後の同期会といたしたく、
ご理解とご協力をお願いいたします。
・日時 平成27年10月17日(土)午後6時〜
・場所 大手町会館 沼津市大手町3-5-16 962-1540(沼津駅南口徒歩3分、城岡神社内)
・会費8千円
*返信は9月25日必着でお願いします。
今回幹事は、沼津地区の綾部宏之、神尾一、辻進、長谷川徹、端山茂樹、
光藤あさ美、村井和子、望月國久の8名です。
お問い合わせ先 端山携帯番号:090―9900―2235まで
平成27年8月31日(月)
松井俊一コラム27年8月号[ 心に響かない曲 ]
↑上段の「松井コラム」で今までのコラムが読めます。
以下は、改めて言うまでもなく、筆者の主観と独断によるものである。
 東日本大震災の後、復興支援ソングとして、NHKがテレビやラジオで流し続けている曲がある。「花は咲く」である。しかし正直なところ、最近では、この曲が耳に入るたびに、即刻チャンネルやダイアルを変えることにしている。曲に対して、親しみが湧かず、さらに言えば、拒絶反応に近いものを覚えるためである。先日、改めて何故なのかを考えてみた。思い浮かぶ理由は、ざっと以下のものである。
@曲とともに、あの大震災の悲惨な情景が浮かんできて、いたたまれない気持ちになること。A幾人かの歌手の歌い方が、筆者のへそ曲がりの故か、いかにも押しつけがましく感じられること。そして、次が一番の理由であるが、Bメロディに、奥行がなく、琴線に触れるものがないことである。とりわけ、「花は咲く」以下のサビの部分が、よろしくない。この手の語彙が貧弱な筆者には、うまく表現できないが、要するに「浅薄で品格に欠けている」のである。何度耳にしても、白々しいだけで心には響かない。
メロディの品格云々は、とどのつまりは、各個人の感性や好みの問題である。従って、当たり前だが、冒頭で述べた通り、これは飽くまで筆者の主観である。では、この曲に品がないとすると、筆者なりに、品がある曲とはどのようなものを言うのか。比較の例示として適当か否か分からないが、同様にNHKが関係している曲で比べてみたい。それは、かつての朝のテレビドラマ、「ごちそうさん」のテーマ曲、「雨のちハレルヤ」である。作曲者であり歌い手の、「ゆず」について、筆者は不勉強で殆ど知識を持ち合わせていない。飽くまで、この曲だけについての印象である。
曲自体は至って穏やかなメロディでありながら、何か心に響くものがある。押しつけがましさがなく、聞いても飽きのこない奥行もある。多少ほめ過ぎかもしれないが。ともかく、「花は咲く」よりは、数段品格が上の作品である。
そもそも誰が何故、復興支援ソングを「花は咲く」としたのか。本来、復興支援や被災者への鎮魂のための曲だとすれば、ことさら多くの人々に永い間愛唱される可能性の高いものでなければならない。仮にその例を、被災地にゆかりの深い作曲家であげるならば、古関裕而(福島)であり、「長崎の鐘」のような曲である。もし「花は咲く」が、被災地出身の作曲家ということに飽くまでこだわった結果だとすれば、まさに「角を矯めて牛を殺した」と言わざるを得ない。
なお、NHKが関係する曲について述べたついでに、もう一つ。「新日本風土記」のテーマ曲は、良し悪しを超えて、もはや「不気味」である。暗闇の中で陰湿なお経を聞くようで、気味が悪い。メロディを耳にすると体に悪寒が走る。これも依頼すべき作曲者の選択を誤った結果なのかもしれないが、とどのつまりは、これを平然と流し続けるNHKの感性とセンスの問題であろう。
(二〇一五年八月一日)
平成27年10月17日(土)開催の東高16期生同期会のため準備中の幹事の皆さん。
『決定事項:日時平成27年10月17日(土)午後6時・会場大手町会館(城岡神社内)・会費7、000円(予定)』
↑の写真集で8日の写真集にいきます。
松井俊一コラム27年7月号「老齢の心意気」
上段の「松井コラム」頁に今までのコラムも読めますよ。
[老齢の心意気]―七〇歳に臨んで―@
大阪都への移行について是非を問う住民投票で、大阪市の老人世代(六〇歳以上)が、過半数の反対票を投じた。これが決め手となって、大阪再生の希望は、わずか一万票余りの差で砕け散った。「自分たちが生きている間さえよければ、あとはどうなっても構わない」という、老人達の身勝手極まりない考えが露わになった事例である。
本件に限らず、年金や医療などに関して、一部の老人達の身勝手ぶりが目に余る。例えば、物価の変動に応じて、国が年金の支払額を微調整するのは当たり前で、これが本来の制度である。この当たり前のことに対しても、「老人に死ねというのか」などと理不尽な声を上げ、中には憲法違反だと、国を訴えたりする者までいる。思い違いもはなはだしい。仮に年金が生活費に満たないのなら、これまでいざという時のために貯えておいたはずの金を充てる。それでも駄目ならば、最後は自分の子や孫、親族に救いを求めるというのが、道理である。国にたかるのはお門違いであり、いいかげんにしろである。
このような老人達が現れた原因は、彼らが幼時に受けた、日教組の亡国教育や文科省の軸ずれ政策、マスコミのミスリードなどの悪影響によるところが大きい。筆者の年齢もまさにこの層である。しかし、心意気や志は、彼らとは全く異なっている。そして筆者の周囲には、むしろ筆者と同様な心意気の人間のほうが多いのである。
1、平和のこと
太平洋戦争敗戦後七〇年。近代日本史上、これほど長期にわたって平和が続いたことは、初めてのことである。この原因を「平和憲法のお蔭」などと、妄言を言う老人達がいる。「鰯の頭も信心から」である。
多少でも良いから、世界の中の日本、北東アジアの中の日本を、俯瞰してみたらどうか。中国、朝鮮、ロシアは、日本の憲法、とりわけ九条を支持している。当たり前である。彼らにしてみれば、日本を丸腰にしておくことが、日本に対してやりたい放題ができる、一番安易な方策だからである。現にこれらの各国は、着々と自国の軍事力増強を図っているではないか。とりわけ、中国の最近の動きを見るがよい。
日本が七〇年もの間平和であり得たのは、平和憲法のお蔭などではない。軍事力が世界一強大なアメリカが背後に控えていたからである。そのアメリカにしても、慈善事業で日本を守ってきたわけではない。世界的規模でのアメリカ防衛の一環なのである。この事実に目をやらず、「平和と安全はタダ」と錯覚している老人達がいる。筆者はこれを「平和・安全ボケ」と呼んでいる。
戦後の日本に長期的な平和をもたらした功労者の一人は、岸信介元首相である。一九六〇年(昭和三五年)、日本国中が大反対の合唱をする中で、彼は信念を貫き通して、米国と日米安全保障条約(新安保条約)を締結した。仮にあの時、気が狂ったように反対した一部の学生、労働者、マスコミ、学者、政治家などに押し切られ、ソ連や中国などに日本の平和と安全を委ねるようなことになっていたら、間違いなく今日の平和と経済発展はなかった。条約締結に反対した者達は、明らかに誤っていたのである。にもかかわらず、今日に至るまで一言も彼らの反省の弁を聞いたことがない。そしてその中には、現在の老人世代の者も少なくないのである。
一方で、「自分の国は自分で守る」ことは、決して奇異な発想ではない。主権国家として、ごく当たり前の常識である。現在の日本は、自国の安全と平和を米国に大きく依存しているという、異常な状態、いわば、「五体不満足」な状態である。敗戦後の混乱が収まりきっていない状況下で、拙速に制定された現行憲法は、改定に向けて具体的に着手すべき時期となっている。
二、国家財政のこと
日本の財政は破たん状態である。分かり易いように、極めてざっくりとした単位で言う。国の借金の額は、ざっと一千兆円、国内総生産(GDP)五百兆円の二倍である。赤ん坊まで含めた国民一人当たり、1千万円近くの借金を負っている勘定である。財政破綻が危惧されているギリシアなどよりも、はるかに状態は悪い。世界のなかでも突出して異常な状況である。会社になぞらえて言えば、年間の売上高(厳密には粗付加価値)の二倍も借金がある状態である。一般の会社なら、とうの昔に倒産している。にもかかわらず、ここまでなんとか綱渡りのやり繰りができてきたのは、国の借金を、日本国民の貯えで賄ってきたからだ。
国の財政が破綻したらどうなるのか。その代表例を、分かり易く、ごく単純化して言おう。国民は自分の金を銀行や保険会社などの金融機関に預けている。金融機関はその金で国債(国の借用証書)を買っている。いまのところ、国の借金を、外国には頼らず、日本の国内で賄うことができているから、何とかなっているのである。しかしこの綱渡りはもう限界である。これができないと、借金を頼む相手が無くなって、ついには国家財政は破綻する。すると、どうなるのか。金融機関は、買っていた国債が紙切れになってしまい、破綻する。すなわち、国民の預金も紙くずになる、ということである。
財政の破綻を回避し、子や孫に借金を押し付けないようにするためには、国民全体が覚悟して、国の借金を減らさなければならない。そのためには、老人向けの福祉を削減する、医療費の自己負担額を増やすなどは、当たり前のことである。自分たちの時代の、無駄使いの結果が今日の状況を招いたのである。実際にこれを招いたのは、バラマキ政策を行った、出来の悪い政治家や役人の責任が大きいのだが、今さらそんなことは言っていられない。国民全体が歯を食いしばって、収拾にあたるしかないのである。
三、TPPのこと
TPPとは、太平洋を取り囲む国々の間で結ばれる「経済連携協定」のことである。その狙いは、輸入品に課税する関税などを、各国が0またはそれに近い水準にして、輸出入をスムーズにしようとすることである。言い換えれば、関税など貿易の障害をできるだけ無くして自由度を高め、各国が有する国際競争力の強い品物(安価で品質のよいもの)をお互いに利用し易くする。これにより、協定を結んだ各国全体の経済発展を促進しようとするものである。
TPPは日本の将来に深く関係する重要な協定である。これによって、自動車などの製造業、サービスなどの非製造業が、国際的に一層飛躍出来る余地が生まれることになる。ところが、この協定を結ぶことに対して、日本国内で声高に反対を叫ぶ業界がある。代表格は農業と医療業界である。特に農業は、「食糧安全保障や食の安全が損なわれる」などの脅し文句で、政治に対しても、示威的な反対運動を行っている。しかし、これはお門違いである。日本の農業の衰退は今に始まったことではない。永年独占の上にあぐらをかき、新規に農業を始めようとするものを排斥して、競争力を低下させてきたことが、むしろ主因なのである。
現在の日本は圧倒的に製造業などの二次産業とサービス業などの三次産業で生きている国である。農林水産業などの一次産業は全体の五%にも満たない。一次産業を保護するために二次、三次産業を犠牲にしろというのは、国民全体の観点からして、どう考えても不条理である。ストレートに言えば、TPPに反対している業界は、既得権益のぬるま湯にどっぷりと浸かって、独占の恩恵に浴してきた集団なのである。
(二〇一五年七月一日)
[旅立ちの準備 ]―七〇歳に臨んで―A
七〇歳、「古希」である。最近では「古来稀ナリ」というほど、稀ではなくなった。しかし、確実に旅立ちの日に向かって歩を進めていることは、間違いない。「人間は死ぬものである」といった類いの観念論を卒業して、自分の死を現実のものとして意識すべき年齢である。とりわけ筆者は、六七歳で腎臓が機能を喪失して、腹膜透析を開始した。さらに六九歳からは週一回、血液透析も併用している。また、血筋を考えても、父と叔父、さらに母方の叔父四人のうち二人は、七〇歳の壁を超えることなく、この世を去っている。
このような状況もあって、かねてから、七〇歳になったら、「人間いかに生きるべきか」だけでなく、「人間いかに死ぬべきか」についても、具体的な行動に着手しようと思っていた。あの世なるものが、あるのかないのか。あの世から戻ってきた来た人がいないので、分からない。ただ、あの世に行ってから、この世の人と意思疎通が出来ないのは確実のようだ。そこで、以前から、満七〇歳になったら、少なくとも三つのことを実行しようと心に決めていた。
第一の課題は、遺言書を作ること。財産と呼べるものはスズメの涙ほどであるが、自分が死んだ後で、妻子があれこれ余分な悩みを抱え込んだら気の毒だ。第二の課題は、財産と呼べないような、「身の回りの品」の片付けを進めること。品物とは、趣味の釣り道具やクラシックギター、書籍、手紙、写真などなど雑多なものである。一度に整理するのは到底不可能であるので、肩肘張らず、気が向いた都度少しずつ片付ける。そして第三は、一番大事なことで、いわば「自分のこれまでの言動の後始末」をすることである。
物ごころついてからこれまで、我がまま、言いたい放題で生きてきた。とりわけ、ごく身近な親族に対しては、自分が考えて出した結論を、あまり説明もしないで、さっさと実行してきた。仮に自分が誤っていた場合でも、そのことについて、謝ることはしなかった。今から考えると、この言動が随分と周りの者を迷わせ、悩ましたことと思う。
ごく身近な親族なのだから、敢えて詳しく説明しなくても、分かってくれるはずだと思っていた。自分の甘えと身勝手さを反省するばかりである。中でも最大の被害者は、妻、子供、叔母、である。殆どが今さら取り返しのつかないことばかりであるが、生きているうちに少しでも償いをすべく、努力していこうと決心した。
具体的には、@相手の話に耳を傾けるAその上で、自分の考えをよく説明するB相手が理解してくれたか否かを、(さりげなく)確認するC(自分の考えを)聞いてくれたことに対して、感謝の気持ちを持つD自分が誤っていた場合は、それを訂正し、謝る。
何のことはない。組織で働いていたころに、自分が心掛け、周囲の者にも実践するよう奨めていたことばかりである。これを身内の者にも実行しようということである。この第三の課題は、実際の旅立ちの日まで、実行し続けるつもりでいる。それでようやく、多少の償いができるかどうかであろう。
(二〇一五年七 月一日)
松井俊一コラム27年6月号
上段の「松井コラム」頁には過去のコラムも掲載されています。
[針路を誤った大阪市民 ]
〇一五年五月一七日、大阪市で、大阪都への移行の是非を問う、住民投票が行われた。結果は、賛成六九万四千八百四十四票、反対七十万五千五百八十五票、わずか一万票余という僅差で、都構想に反対となった。
筆者は、一九六九年から四年余り、勤務地として大阪市で過ごしたので、当地への思い入れもそれなりにある。周知の通り大阪市は、人種や職業の問題という、極めて複雑でデリケートな問題を構造的に抱えている。それもあってか、当時の大阪市役所は、一言で言えば、まさに「腐り切った役所」であった。大阪府との二重行政の無駄はもとより、労働組合のごろつきのような職員が跳梁跋扈し、公務の手抜きやサボタージュ、税金の無駄使いが蔓延していた。当然の結果として、財政状態も劣悪であった。これには、歴代の市長が見て見ぬふりをして、職員を野放しにしてきた責任も大きい。そのような状況下で橋下徹現市長が登場し、悪戦苦闘しながら顕著な改善をした。彼の行政手腕を強引とする見方があるが、そのくらい強力な手腕でなければ、修復が不可能なほど、大阪市役所は腐り切っていたということである。
今回の選挙戦で、とりわけ鮮明になったことが、二つある。
一つは維新の党以外の既成政党が、既得権益に固執する醜態を曝け出したことである、自民党、公明党、民主党、共産党などが、ただ大阪市を存続させるだけの目的で、信じ難い結束をして、大阪都反対を打ち出した。換言すれば大阪市との癒着を続けたいとの意思表示である。とりわけ自民党は問題である。肝心要の政府トップが都構想を支持している中にあって、地方組織の大阪府連がこれに真っ向から逆らう行動をした。安倍政権の国政における奮闘は、筆者も評価しているが、自民党は地方組織が旧態依然としている実態が再認識された。これだから自民党は、いまだに全面的には信用することができない。
二つめは、老人世代の醜いエゴイズムである。今回の投票の明暗を分けたのは、六〇歳以上の住民の投票行動であった。現に二〇〜五〇歳代では賛成が五割を超えたが、六〇代は五一・八%、七〇歳以上は六三・八%が反対で、彼らの反対票が今回の決め手になった。これには既成政党の誘導が大いに与っている。「大阪都になると、「敬老パス」などの住民サービスが無くなる」というものである。住民サービスというと、いかにも聞こえは良いが、要するに税金の無駄遣い、バラ撒きである。このようなレベルの低い宣伝文句に、老人が飛びついたのである。
誤解を恐れずにズバリ言えば、老い先の短い人間が、自分たちが生きている間さえよければ、それで良いというもので、日本の農業や漁業を駄目にした考え方を彷彿とさせる。国家のみならず、地方でも財政状態がここまで深刻化しているにもかかわらず、自分たちが生きている間だけ良ければそれでよい。将来の世代のことはどうなっても構わないという、得手勝手極まりないエゴイズムである。
今回の投票の結果、大阪市は、復活への千載一遇のチャンスを失った。今後、大阪市は、よほど抜本的なメスが入れられない限り、凋落を続けよう。東京都との格差は益々拡大し、名古屋市や横浜市の後塵を拝する、単なる一地方都市に没落する可能性が強い。将来をになうべき若い人々にはいかにも気の毒であり、残念でもあるが、これも、トータルとして大阪市民が選択した針路なので、仕方がないと言うしかない。
(二〇一五年六月一日)
松井俊一コラム27年5月号
上段の「松井コラム」頁には過去のコラムも掲載されています。
[国民の知的能力 ]
中国と韓国の日本に対する言いたい放題は、エスカレートの一途で、止まることを知らない。米国を始め、世界に向かって、事実をネジ曲げた悪口雑言を言い続けているのだから、始末が悪い。インターネット上の中国人や韓国人のそれなどは、見ていると怒りを通り越して、もはや滑稽ですらある。このような、低次元の言いがかりについては、いちいち反論する気も起こらない。しかし、だんまりだけでは、さすがにこちらにもストレスが溜まり、精神衛生上もよろしくない。そこで、何か「スマートな一撃」の仕方はないだろうかと、思っていたところ、たまたま一つの格好な事例があった。ノーベル賞の国別受賞者数である。
言うまでもなく、ノーベル賞は、ダイナマイトを発明したスウエーデンのアルフレッド・ノーベルが、一八九五年に創設したものである。一九〇一年から授与式が開始されており、「人類のために最大の貢献をした人」が授章の対象になっている。
それでは、「人類のために最大の貢献をした人」は、いかほどいるのか。国別の受賞者数を見ると、二〇一四年一〇月時点で、日本二二名、中国二名、韓国一名である。このうち、平和賞と文学賞については、政治色も反映されているとして、中国などが低い評価をしている。そこで、これを除いて自然科学分野だけを見ると、日本は一九名(のちに米国籍を取得した南部陽一郎、中村修二の二名を含む)で、一位のアメリカや、二位のイギリス、三位のドイツには水をあけられているが、四位のフランスに次いで、世界五位である。これに対して中国、韓国はどうかと言えば、両国ともに0である。要するに中国のノーベル賞は平和賞一と文学賞一、韓国は平和賞一だけなのである。驚くことに、ノーベル賞の本流とも言うべき自然科学分野の受賞者は、両国とも一人もいない。
国別の人口はそれぞれ、日本が一億二千七百万人、中国が一三億五千四百万人、韓国が五千万人であるので、大雑把な目途として、両国の、総人口に占める受賞者の割合が日本並と仮定すれば、中国の受賞者数は二〇二人、韓国は七名いても、おかしくないことになる。それが0なのである。この事実をどう考えるのか。恐らく、中国、韓国とも、この賞は欧米寄りの賞だなどと、愚にもつかない言い訳を羅列するのであろうが、何と言おうがこの差は歴然である。
この数字を見る限り、少なくとも、両国が日本より民族的に優秀であるなどとは、口が裂けても言えないのではないか。両国民の知的能力が相対的に低い理由の一つには、教育の仕方が悪いということがあるのかも知れない。しかし教育のことを言うならば、日本も負けず劣らず劣悪である、日教組の亡国教育と軸のずれた文科省のおかげで、日本の教育環境はズタズタにされている。
両国における、目に余る反日姿勢は、積年にわたって行われてきた誤った教育の結果だと思うが、残念ながら、近い将来にこれが是正される可能性は、低いと思われる。日本は両国の雑音に構わずに、粛々とわが道を突き進んで行くしかないのではないか。低次元の言い合いをする気は毛頭ないが、両国なみの低いレベルで、からかい半分に言えば、日本に対して、「小日本」などと失礼千万なことを言わずに、中国こそ、「中」国でなく、「小」国と国名を改めたらどうか。
(二〇一五年五月一日)
松井俊一コラム27年4月号
上段の「松井コラム」頁には過去のコラムも掲載されています。
[少年法の疑問 ]
 川崎市の中学一年生が、三名の不良少年(一八歳と一七歳)に多摩川で殺害された事件は、心にやりきれない痛みをもたらす。このような事件を二度と起こさせてはならないと、国(文部科学省)、川崎市、教育委員会、さらには地元の学校や父兄などが、再発防止に向けた努力を始めている。
しかし、「川崎市は公立学校が荒んでいるため、泣く泣く高い授業料を払って、子供を私立学校に行かせるしかない」という、会社の上司の嘆きを耳にしたのは、既に四〇年以上も前のことである。その後、川崎市の学校を取り巻く環境が劇的に改善されたという話は聞いたことがない。残念ながら、この事件も「喉元過ぎれば熱さを忘れる」ことになる恐れが強く、事件の再発を防止できるのか、はなはだ疑問と言わざるを得ない。
この事件を避けることができなかった原因は二つあるのではないか。一つは被害者の少年が、周囲に対して明確なSOSを発しなかったこと。もう一つは周囲が一歩踏み込んで、少年に救いの手を差し伸べなかったことである。おざなりと言われても仕方のないような対応をしたのは、家庭、学校、教育委員会、警察などである。そして周囲の大人の踏み込みの足りない対応は、被害者が明確なSOSを発しなかった原因にもなっている。被害者は、仮にシグナルを発しても、救ってはもらえない、誰も自分を助けてはくれないと思い詰めて、孤立感に苛まされていたのではないか。被害者の心情を察すると、ことさらいたたまれない気持ちになる。
今回の事件でも、違和感があるのは、「少年法」である。被害者が連日のように実名を報道される一方で、殺人者達は少年法に保護されて、顔写真はおろか、氏名すらも伏せられたままである。そればかりか、実況検分の時などは、ご丁寧に特製の覆いまで作って犯人を隠している。殺人者が二〇歳未満ということだけで、被害者の人権より殺人者の人権の方が、とりわけ手厚く保護されている。成人より悪質な犯人であっても、少年法の存在によって、このような不条理がまかり通っているのである。一九九九年、光市で母子が殺害された事件でも、一八歳の殺人犯をめぐって、少年法の問題が議論を呼んだことは記憶に新しい。
現行の少年法は、一九四九年(昭和二四年)に施行された。一九二二年(大正一一年)の旧少年法が、戦後、アメリカの少年法などを参考に、「国が親代わりとなって、非行少年の保護育成を図る」という思想(国親思想)を基本に改正されたものである。しかし、この法律の施行時と現代とでは、子供の躾と教育を取り巻く環境が激変している。変化の第一は、日教組の亡国教育の影響もあって、子供の躾と教育を第一義に行うべき、家庭と学校が完全に当事者能力を喪失し、子供を野放しに近い状態にしていること。第二は、社会全体が持つべき教育機能が雲散霧消し、子供の非行を諌めるどころか、俗悪なメディアやゲームなどが氾濫して、社会はむしろ非行を誘発するようにさえなってしまっていることである。
その一方で、非行少年に対して国が親代わりを果たして来たとは、とても言い難い。そもそも、家庭や学校で基本的な躾、教育ができていない世の中で、国が親代りを務めることなど所詮無理なのである。川崎の殺人事件の再発を防止する抜本策は、現在の躾と教育のあり方を、根本から再構築するしかないと思われる。
また、現行の少年法が、非行少年の更生に貢献しているという実感も、あまりない。それどころか、今回の事件の主犯格は、以前に別の事件を起こしていて、保護観察中の身であった。そもそも何のための「保護観察」なのか。この制度も意味不明である。
家庭、学校、社会の教育機能が崩壊し、子供を取り巻く躾や教育の環境が激変してしまった現代では、「未成年者の保護育成を図る」などと、恰好を付けているだけでは、ことは解決しない。多分に「少女趣味的」で、「したり顔」の少年法は、やはり抜本的な見直しが必要と思われる。仮に現行法を存続させるのであれば、刑法の例外措置として、その適用、運用はより厳格であるべきである。
例えば、死刑を含め、全ての刑事罰の対象年齢は一三歳以上とする。親による扶養が現実的に必要な一五歳未満の者が悪質な犯罪を犯した場合には、本人の氏名に加え、教育・監督責任を厳しく問う観点から、両親の氏名も合わせて公表する、などは、議論のタタキ台となるべき考え方ではなかろうか。
(二〇一五年四月一日)
袴田幹子さんの朝日新聞への投稿文
亡き佐藤繁君の町内座談会での文章を図書館で発見しました。
佐藤繁 志多町町内史座談会 平成21年5月17日 志多町自治会館
私が生まれたのは終戦の年の昭和20年の12月ですので、戦後63年経ったということになります。
私が5・6歳のころの志多町の一番の思い出はチンチン電車ですね。三島まで何度か乗ったことがあります。それと昔の三園橋ですね。今の橋ではなくて、昔は木製の橋でした。ちょうどあれは何年ごろだったんですかね、その工事をやっていました方が亡くなって大騒ぎになったことを覚えています。丁度、その堤防の下のところに、トロッコがありまして、当時はユンボとかブルドーザーとかが無かったものですから、セメントとかを動かして、子供でしたから好奇心が強くて動かしてみたことがあります。全般的には暗いイメージを持っているんですけど。鮮明に覚えているのはチンチン電車であるとか三園橋の建設とか堤防の建設のころのことですね。
この間、うちを調べていましたら、一番古いのは明治の後半ぐらいのものから昭和12・3年頃までの沼津の地図が出てきました。全部で80種類ほどありましたけど、うちで持っていてもしょうがないからということで、明治史料館の学芸員さんにみてもらったら、史料館にはない地図であるとのことでしたので寄付させていただきました。
丁度、沼津大火というものがあって、市内全部が焼け野原になったときに恐らく、チンチン電車の線路の位置が変わっているんですね。その地図ではいままでみたことがないというか、東京電力の敷地の半分くらいのところを通っているんです。昔はこの地図のように、ある程度はっきりした直線になってますが、当時のうちにあった写真によると沼津駅から東電の真ん中あたりを通って斜めにきているんですね。これは珍しいなということを言っていましたけど。
私の頭の中にある志多町の歴史というのはほとんど祖母から聞いたことです。沼津大火のときに、私のおじになる佐藤忠平さんがうちが燃えるときに、狩野川の対岸から見ていて大変なことになったということで、非常に感慨深いというかこれは大変だという話は聞いて、沼津は二度大火に見舞われて、この影響というのは非常に大きなものでありまして、ああ昭和2年ですよね。うちにあったのは昭和3年だったと思うんですけど。
(平成22年11月発行 「志多町のあゆみ」)
松井俊一コラム27年3月号
上段の「松井コラム」頁に過去のコラムとともに掲載。
ISIL(いわゆる イスラム国)による邦人二名の人質殺害事件ほど、本質的な良し悪しがはっきりしている事件はない。危険を承知の上で行動し、人質になった二名の分別の云々については、別途議論の余地があるとしても、本事件で悪いのは、理不尽極まりないISILである。世界の誰が考えても、悪さがこれほど明確な事件はない。日本政府はむしろ被害者と言ってもよいほどの立場である。一方、日本国民が、無法極まりない相手に対して辛うじて出来ることは、一致団結して政府を支えることである。
にもかかわらず、人質の命が奪われたのは、政府の責任であると叫ぶ人間が一部にいる。このような言動こそISILの思うつぼである。短絡的で平和安全ボケした人間はいつの世にもいるものであり、こういう者達には、敢えて反論する必要もなく、無視すればよい。
しかし国会議員となると話は別である。国会議員の身でありながら、ISILに対する非難をさて置いて、攻撃の矛先を政府に向けた者がいるのだから、驚きを禁じ得ない。今さら言うまでもなく、国会議員として最低限の必要条件は、日本人としての見識(物事の本質を見極める力)と良識(健全な常識)を具備していることである。しかし今回、一部の国会議員がとった言動には、間違いなくこの必要条件が欠落している。 トンチンカン極まりない発言をした国会議員は、筆者が気付いた者だけでも以下の者達である。
@衆議院議員池内沙織(日本共産党)、ISILを全く非難することなく、ひたすら安倍政権を批判。この常軌を逸した主張は、世間から非難の集中砲火を浴びた。A参議院議員山本太郎、「二億ドルの政府支援は止めろ」と仰天発言を行なった。B衆議院議員小沢一郎、「(政府の二億ドル支援は)、(イスラム国にとっては)日本も敵と捉えられても仕方ない。(支援表明は)イスラム国には宣戦布告ともいえる」と、軍事支援と人道支援を混同した、的外れな発言を行なった。C参議院議員徳永エリ(民主党)、あたかも安倍首相に事件の責任があるかのような発言を行なった。
何が何でも安倍政権にケチを付けたい、との思い込みから、このような浅はか極まりない発言になったのであろうが、曲がりなりにも国会議員である彼らの発言は、トンチンカンだけでは済まされない。ISILから、「渡りに船」とばかりに、揚げ足を取られる恐れがある、まさに百害あって一利なしの、売国、亡国的妄言である。
池内沙織は、物事を俯瞰する能力、知識が、なさすぎる。国会は、視野狭窄の学生がアジ演説をする場ではないのだ。もちろん、議員に学歴は不問であるが、教養は絶対に必要である。せめて、正常な社会人なみの教養を、身に付けたらどうか。
山本太郎は国会での服装問題、園遊会での直訴騒動など、もはや、常習のトラブルメーカーである。国会議員である以前に、日本人、社会人としての基礎が欠落している。
小沢一郎は、自分自身の影響力が下落するのに伴って、精神面でも急速に老いが進んだのであろうか。言動がますますおかしく、なりふり構わなくなってきている。
徳永エリは、これまでも数々のトンチンカン、低レベルな発言を行なったことで、国会では既に悪名高い人物である。この議員のレベルの低さは、もはや救い難い。
その後も国会議員の仰天発言は彼らだけに止まらなかった。人質が殺害されたことを受けて、これがあたかも安倍首相の責任であるかのような発言をする国会議員がいる。民主党衆議院議員岡田克也、枝野幸男、細野豪志、日本共産党参議院議員小池晃などである。彼等の発言には、手段を選ばず安倍政権の足を引っ張ろうとする魂胆があからさまに透けて見える。そのことばかりに目がくらんで、事件の全体像、本質を見誤り、自分たちの発言がISILを利し、ひいては日本の国益を害することを、気付いていないか、意に介していないようだ。これだから、民主党と共産党は救いがたい。
このように、低レベルで、売国、亡国的発言を平然と行うような人物が、国会議員の中に混在していることは、驚きを通り越して情けなくなる。どうしてこれらの人物が国会議員に選出されたのであろうか。
原因はつまるところ、これらの議員に投票した選挙民の、@レベル(民度)が低い、そうでなければ、A地元への利益誘導を期待するなど、投票の動機が不純、ということに帰着せざるを得ないのである。選挙民は自分の一票の重みを決して軽んじてはならない。国民一人一人の無責任な投票行動が、結果として、日本のみならず、世界に対して重大なマイナス影響を及ぼすことになることを、はっきりと自覚すべきである。
(二〇一五年三月一日)
松井俊一コラム27年2月号(二つのコラムです)のお知らせ
上段の「松井コラム」頁に過去のコラムとともに掲載。
[ 愚の骨頂 ]
この上なく愚かなことを、「愚の骨頂」というが、思わずこの言葉を口走りたくなるような、故郷に関する出来事が二つある。@伊豆市と伊豆の国市、A沼津千本松原の伐採計画、である。
@は筆者のルーツである伊豆の問題である。単刀直入に言うと、なぜ「伊豆市」と「伊豆の国市」が並存するのか、わけが分からない。旧来の地名との関係がどうなっているのか、いまだによく分からないし、あまりにバカげていて、知る気にもならない。「伊豆」の二文字をどうしても使いたい二つの地区が、互いに意地を張り合った結果ではないかと勘繰りたくなる。まさに愚の骨頂である。地名ならば、例えば他に「天城」などもあるではないか。とりわけ、「伊豆の国市」は滑稽である。「国」の下に市を付けるという珍妙な地名は、他にも岩国市や南国市など,無いわけではないが、伊豆の国市の場合は、隣接して伊豆市があるのだから、さらによろしくない。この地名を耳にするたびに、地元民の度量の狭さや発想の貧困さを見せつけられるような気がしてならない。決して胸を張って自慢できるような地名ではないと思うのは、筆者だけであろうか。
Aは生まれ故郷である沼津市千本松原の伐採問題である。側聞するところによれば、来るべき東海大地震の津波から逃れるための築山を海岸に造る、そのために松林を一部伐採する、とのことである。これも愚の骨頂である。
筆者には未だに腑に落ちないことがある。半世紀前に、津波対策と称して、千本浜に、狩野川河口から富士川河口に至る一九kmもの、長くて巨大な防潮堤を築いたことである。この防潮堤によって、千本松原の景観は著しく損ねられた。さらに、防潮堤に伴う不自然な波と風で、海岸は浸食され、松は頭の部分が飛ばされて、見苦しいものになってしまった。その後現在に至るまで津波は発生せず、結局は、美しい風景が完膚無きまでに毀損されただけである。そればかりか、今後予想される津波には、既存の防潮堤では役に立たないとの意見もある。ならば、この防潮堤は一体何であったのか。この半世紀に千本松原が失ったものは、あまりに大きい。
津波避難施設である築山を千本松原に造る沼津市の計画は、海岸近くに住む一部住民の要望に基づくものとのことである。行政当局にすれば、一人でも多くの命を救いたいと言うのであろうが、もし松の伐採がどうしても不可避であるならば、築山そのものの造成を止めた方がよい。硬直的に、人命優先の建て前だけを理屈の前面に押し出したら、日本中の海岸に巨大な防潮堤を造らなければならなくなる。自然災害に対応する究極的な術は、「逃げること」、しかない。「人命」のお題目だけで、自然に逆らい、自然を破壊することには所詮無理があり、そろそろ止めにすべき時期がきている。地球は人類だけのものではないのだ。
この際誤解を恐れずに言おう。一部の住民は一方で、松林の静かな環境に恵まれた場所に住んでいるわけである。どうしても津波が怖いのならば、安全重視で、松林の環境を諦めて、移住するしかない。居住環境と安全の双方を欲することは、山村の静かな環境の中に住んでいながら、都会なみの利便性を要求するようなものである。あれもこれもには、時に、自ずと無理がある。それよりも、気象庁や「地震の学者先生」が、もう少しレベルを上げて、予報、予知能力を向上させ、逃げるための時間を、一分でも多く捻出することの方が、はるかに重要である。
今後、万一津波が発生し、松林が流出したとすれば、それは自然の摂理で、松林が多少なりとも津波を弱めるという役割を果たした結果だと思い、諦めるしかないではないか。千本松原の伐採問題は、昔にもあった。一九二六年に起こった静岡県の伐採計画がそれである。が、若山牧水らの努力により、伐採を免れている。これ以上、防潮堤を作ったり、松林を伐採したりするような愚行は、繰り返さないほうがよい。
(二〇一五年二月一日)
[ 阪神淡路大震災から二〇年]
まさに光陰矢の如しである。阪神淡路大震災から二〇年が経過した。一九九五年一月一七日、午前五時四六分、筆者は神戸市灘区にある、銀行の単身赴任者用社宅(最上階の九階)で地震の直撃を受けた。震度七であった。それから一六年後の二〇一一年三月一一日、午後二時四六分、今度は流山市の自宅で東日本大震災に遭遇した。震度は五弱であったが、流山市は福島の原発事故に伴う、放射能のスポット汚染地区になった。
一生のうちに二度も大震災に見舞われ、命が無事だったことは、幸か不幸か分からないが、とりわけ阪神大震災の時は、被災地の真っ只中にいたので、震災直後における政府やマスコミの対応について、疑問を直接に肌で感じることができた。曲がりなりにも神戸という大都会で起こった大惨事が、何故昼近くまで、全国に伝達できなかったのか。いざというときに、何故マスコミは役に立たず、むしろ邪魔な存在でしかなかったのか、などである。この震災によって筆者の価値観も大きく変化した。日本という国が「平和安全ボケ」に陥っていることを実感させられて、ぞっとしたことは、とりわけ大きい。二つの震災に遭遇して、気に懸ることが幾つもあるが、その一つは、行政の対応である。
行政の対応は双方の震災ともお粗末極まりなかった。阪神大震災当時の首相村山富市は、「情報が入ってこなかった」と平然と言い放ち、当初の予定を変更することもなく、朝食会に参加していた。「情報は欲する者が自ら努力して入手に努めるもの」という、情報についての基本を忘れた行動である。ただ、村山には辛うじて「無知の知」(自分が無知であることを認識している)はあったようだ。初動のつまずきの後は、小里貞利を震災対策担当相に当てて、殆ど余分な口は挟まなかった。
対してひどいのが菅直人である。震災発生後、緊急災害対策本部を立ち上げはしたが、そのあとがメチャクチャであった。あたかも自分が先頭に立っていることをアピールするかのように、ヘリコプターで視察を行うなど、スタンドプレイや場当たり的な言動を繰り返し、むしろ初期の対応を妨げる要因となった。中でも致命的なミスは、新しい組織を作ることばかりに腐心し、一番肝心な「組織の運営」が二の次にされたことである。無知の知もなく、組織と運営のあり方についても無知蒙昧な者が、国のトップに立った悲劇である。この結果、天災に人災が加わって、被害はいっそう拡大されてしまった。
また、阪神大震災の場合は、兵庫県知事貝原俊民の震災発生直後の対応がひどかった。発生後、車が迎えに来るまで自宅で待機し、その後庁舎に向かうという無神経さで、いたずらに時間だけを浪費し、到着した時は、既に地震発生から二時間半が経過していた。さらに悪いことには、当時の法制が不備で、自衛隊への出動要請を知事以外の首長が、行うことができなかったため、自衛隊が出動できたのは、一部を除き、発生後四時間も経過した後だった。しかも要請したのは、知事ではなく、兵庫県消防交通安全課、課長補佐の機転によるものであった。死者六千余名のうち、八割の五千名が、建物や家具の下敷きになった圧死であることを考慮すると、知事の対応ミスの責任は、巷間言われている以上に重い。
双方の震災とも、お粗末な政治による対応ミスによって、被害がさらに拡大された。しかも阪神淡路大震災の教訓が、東日本大震災に生かされたという実感はあまりない。震災直後は、いくら歴史の教訓に学ぶなどと声高に叫んだところで、その後時間が経過するといつの間にか忘れられがちになる。そして、いざ災害が発生した時には、歴史の教訓よりも、その時点の政治能力に負わざるを得ないのかもしれない。危機対応能力の欠如した政治の下では、国民全体が悲劇に陥るという証左である。
ちなみに、震災時の政権は、阪神大震災の時が自社さきがけ、東日本大震災時が民主党と、ともに脆弱極まりないものであった。これはひょっとしたら、平和安全ボケにドップリと浸って、貧弱な政治を行っている日本を目覚めさせようと、神様が下した大きな試練であったのかもしれない。
(二〇一五年二月一日)
松井俊一コラム1月号外のお知らせ
上段の 「松井コラム」頁に過去のコラムとともに掲載してあります。
[ 日本農業発展の鍵 ]
政府から、改革を求められていたJA全中(全国農業協同組合中央会)が、二〇一四年一一月、自己改革案なるものを発表した。しかし案の定、出てきた答案は、改革とはほど遠い、名ばかりの代物であった。JA全中は地域農協の指導を変更するよう、求められていたにもかかわらず、改革案の中味は、農協に対する監査機能を維持するという、既得権の堅持を目論んだ、典型的な「看板の書き換え」である。
筆者はかねてから、JA全中の解体を主張している。今や、JA全中は、日本農業の衰退をここまで招き、さらにはこれから滅亡に追いやる元凶として、一刻も早く解体、消滅させるべき団体なのである。
JA全中の役割は、JA全農(農協)、JAバンク(銀行)、JA共済連(保険)を束ね、全国の農協の監査、経営指導などを行っている。戦後間もない頃は、経営がずさんな農協も多かったため、それなりの存在意義はあった。が、農産物の販売や農機具の購入ルートが多様化した現在では、全中の画一的指導が地域の農協の自由を阻害する要因となっている。要するに全中は、既に歴史的役割を完全に果たし終えた、一万人以上もの従業員を抱える、巨大な農業関連商社なのである。
全中の問題点は、第一に、閉鎖性と排他性にある。農業への新規参入の門戸を固く閉ざし、一般事業法人や個人の新規参入を頑なに拒んでいる。例えば、新たに農業に参入しようとすると、用地の取得や経営形態などについてだけでも、山のような障害が横たわっている。この結果、マーケットへの新規参入者は皆無に近く、そのため農業従事者の平均年齢は、毎年着実に上昇を続け、既に六〇歳を超えている。労働力の老齢化、枯渇により、日本農業が終焉を迎えるのは、もはや時間の問題である。
第二に全中は強力な政治圧力団体として、自民党を中心とする政党に圧力をかけ続けてきた。その結果もたらされたものは、生産性向上の見込みが無く、生産性向上意欲を有する農業従事者のやる気をも削ぐような、補助金のバラ撒き政策である。バラ撒きの原資はもちろん国民の税金であり、それこそ永年にわたり、巨額な税金のたれ流しを行い、財政悪化の要因にもなってきた。
全中は、我が国がTPPへ参加することを拒んでいる最大の反対勢力である。食の安全保障を維持するため、などと理屈は付けているが、本音は既得権と過保護の堅持である。自分たちの時代さえ何とかなればよいとの発想が透けて見え、消費者のことは二の次のようである。万一食糧危機に見舞われた場合でも、現下の農業が、終戦直後に行ったような、売り惜しみに走らないという保証は、全くない。
全中はTPPへ参加すると、日本農業は壊滅すると声高に叫んでいる。しかし本当にそうか。これまで国民は日本農業にいくら税金をつぎ込んできたのか。その結果日本農業は再生の兆しを少しでも見せたのか。答えは明らかに否である。
日本農業を再生するために必要なことは、関税などで障壁を高くして保護を厚くすることではない。むしろ、農業市場をオープンにして、生産性向上意欲の強い者がマーケットに参入できる環境を整えるべきなのである。全中が叫ぶように、市場開放が日本農業を壊滅させることなど決してない。日本農業はそこまで無能ではない。自由度を高めれば、むしろ生産性向上意欲の旺盛な農業従事者は増える。すでに、TPP参加を見越して、新しい動きが色々と出始めているではないか。
農林水産業が国内総生産に占める割合は、僅か二%未満である。我が国は圧倒的に二次産業と三次産業で成り立っている国であり、これら産業の国際競争力の維持、強化は喫緊の課題である。二%の産業のためにTPPへの参加を拒絶し、結果として、九八%の産業を窮地に追いやるような発想は、国民経済の観点からはどう考えても是認できない。
「閉鎖、排他」は、戦後の日本を蝕んだ生活習慣病である。JAを解体し、農業を束縛から解放することこそが、日本農業を再生させる実現性が高い方策である。本件は政権の鼎の軽重が問われる事案であり、安倍政権は全中の政治的圧力や脅迫に微塵も屈することなく、日本農業の生き残りと発展のために、断じて解体を実行すべきである。
(二〇一五年一月一四日)
松井俊一コラム27年1月号のお知らせ。
上段の「 松井コラム」頁に過去のコラムとともに掲載してあります。
[ 勝って兜の緒を締めよ ]
二〇一四年師走の総選挙は、自民党の圧勝に終わった。そもそもこの時期に、敢えて政策の執行を中断してまで、総選挙を行う必要が
あったのか。この疑問が、当初からあったくらいであるから、圧勝は当然の結果とも言える。
一方、野党、とりわけ第一党の民主党は惨めであった。議席数は大惨敗の前回から殆ど伸びず、あろうことか、海江田万里代表が議席を失った。総理大臣経験者の菅直人も前回同様小選挙区で落選し、辛うじて比例代表で首がつながったくらいであるから、民主党の危機的状況は明らかである。要するに、民主党政権時代に日本の国がいかに毀損されたかを、国民は鮮明に覚えているということである。民主党の立て直しは、数年程度でできるような簡単な話ではない。果たして数十年で可能なのか、もはや残された道は解党しかないのか、といったレベルであろう。その観点からすれば、民主党は、今回の選挙で消滅しなかっただけ、まだ健闘したほうだと言えるかもしれない。
民主党を始めとする野党各党は、この国の将来について、はっきりとした全体像を描けていない。小間切れに与党の政策のケチをつけているだけである。これでは結局、消去法でも自民党が残ることにならざるを得ない。
この中で、唯一共産党だけが顕著に議席数を増やしたが、この党は、つまみ食いで、国民の耳に心地よいことを言っているだけである。例えば、消費税の廃止などと景気よく叫んでいるが、これを廃止した場合、財政再建への道筋を全体像としてどう描くのか。法人税の増税でこれを補うなどと、単純なことでは答えにならない。法人増税に伴う企業の競争力低下は、日本経済にもたらす弊害が甚大で多岐にわたる。企業収益の低下、設備投資の減退、雇用者所得の低下などがその顕著な例である。それらをどう補うのか。また沖縄の米軍基地を撤廃して、日本、さらには極東の安全をどう確保するのか。共産党がこれらに明確に言及したことを聞いたことがない。
そもそも共産党の本質は、中国の現状を見れば、明らかである。平和のお題目で、日本の防衛力を削ぐことができれば、喜ぶのは、特に中国を始めとする北東アジア各国である。本籍が日本であるとは思えないこの政党の主張を真に受けると、日本は間違いなく衰退への道を歩むことになる。
安倍政権がなすべきことは山積している。経済・金融政策は緒に就いたばかりである。農業を始めとする各種産業の諸規制の撤廃・緩和など、日本の構造改革は、いまだ目に見える取組がなされているとは言い難い。さらに財政再建は、消費税の引き上げ時期の繰り延べで大きく頓挫し、憲法改正への道のりはまだまだ遼遠である。
「勝って兜の緒を締めよ」。安倍政権は、決して総選挙の圧勝におごることなく、また、族議員が跋扈して、日本農民党などと揶揄されることの無いよう、強力かつ粛々と政策を実施していくことを期待したい。
(二〇一五年一月一日)
澤田かおる先生の喜寿を祝う会(小松氏作成アルバム)
尚、拡大画像は上段の復活HPに掲載
○上段の「松井コラム」に過去のコラムも掲載されています、お読みください。
松井俊一コラム26年12月号:安倍政権の懸念
[安倍政権の懸念]
二〇一二年一二月に発足した第二次安倍内閣は、スタート以降、ほぼ合格点の政権運営を行ってきた。首相自らの精力的な動きもあって、政治手腕は内政(主に経済・金融面)、外交の両分野で、よく発揮されており、閣僚も次元の低いミスを行うことなく、久し振りに手堅く安定した運営を行った。放漫政治の挙句、民主党に政権を奪取され、野に下ったという苦い経験が、よい緊張感をもたらした結果とも言えよう。
しかし、二〇一四年九月に実施された内閣改造で、若干のケチが付いた。そもそも、何故敢えてこの時期に改造を行う必要があったのか。第二次発足時のメンバーの任期が永すぎたという意見もあるが、永いことが必ずしも悪いことではない。これまでのメンバーで、格別な不都合はなかったではないか。もちろん民主党政権の時のような、稚拙でオソマツな大臣も見当たらない。結局、古参議員の入閣を希望する声が大きかった為のようであるが、そもそも、大臣は名誉職ではないし、年功序列でなるものでもない。まさに適材適所こそが大事で、右も左もわからないような人物が大臣になると、それこそ官僚の思うつぼである。
第二次改造内閣の問題点は、能力的に疑問がある議員が数名入閣したことである。筆頭格は経済産業大臣小渕優子、法務大臣松島みどりの両名である。両名とも極めて次元の低い、「政治とカネ」で問題を起こし、野党から恰好の攻撃材料になった。このため国会審議が停滞し、両者は瞬く間に辞任を余儀なくされたのである。国の行く末を決する重要法案の審議をほったらかしにして、鬼の首を取ったような振る舞いの野党も、呆れるほど次元が低いが、足を引っぱられるようなことをする両名もレベルが低い。
言っては悪いが、経済産業大臣は、父親(小渕恵三)の急死で、何の政治経験も無いまま、ただ地元選挙民の地域エゴで議員に祭り上げられた人物である。また、法務大臣は、かの悪名高き売国新聞社(朝日新聞)の出身である。政治哲学や見識に果たして問題はなかったのか。女性の登用について反対はしないが、仮に、「数合わせ」が先行した結果だとすれば、まさに本末転倒と言わざるを得ない。
北東アジアの政治情勢に目をやると、不幸なことに、近隣各国は問題含みのリーダーで溢れている。北朝鮮はもとより論外として、韓国のパク・クネ大統領は、思考と行動が視野狭窄的で、大統領以前に、そもそも政治家としての資質に疑問がある。中国の習近平国家主席は、江沢民に負けず劣らず、中華思想の塊りで、他国領域への侵略と強力な日本敵視政策をとっている。対して日本が連携を強化すべき米国のオバマ大統領は、内政、外交ともに及び腰で、決断力がない。米国の世界に対する影響力は顕著に低下してきており、最近では最悪の米国大統領である。
このような情勢下では、なおさら日本は確たる政治力を発揮しなければならない。我が国の政治において、久し振りの健闘を続けてきた安倍首相は、引き続き粛々と日本を前進させて行くべきだ。この時期に敢えて総選挙を行う理由は見当たらない。安倍政権の政策を確認するためと言うが、説得力に欠け、貴重な国費と時間の浪費と言わざるを得ない。
今回の総選挙が、安倍内閣の新たなつまづきにならないことを、祈るばかりである。
(二〇一四年一二月一日)
同期各位
松井俊一コラム11月号:
上段の「松井コラム」に過去のコラムも含めて掲載してあります、お読みください。
[安全ボケの積み重ね]
御嶽山の噴火(二〇一四年九月)に巻き込まれた死者の数は、六〇人を超える模様である。戦後最悪の火山災害に遭遇し、落命された方々には、心から哀悼の意を表したい。しかし、この事故を冷静に振り返ってみると、いくつもの安全ボケが積み重なった挙句、発生したのではないかという、疑念を禁じ得ない。
まず、今回も安全ボケの醜態をさらけ出したのは、気象庁(国土交通省の外局)である。噴火の数日前から、群発地震や噴煙の異常な噴出など、いくつかの異変が発生していたにもかかわらず、これを軽視して、「噴火警戒レベル」(1=平常)を変更せず、格別な注意喚起も行わなかった。そして事故発生後は,恒例のように、後付けの言い訳を羅列している。
伊豆大島を始めとして、このところ日本列島の各地が大規模な土砂災害に見舞われているが、気象庁は警戒情報の発信の遅れや漏れを繰り返している。そしてミスを犯すと、その後の台風などには大げさな注意喚起を乱発する。まさに、「あつものに懲りてなますを吹く」である。要するに同じような失敗を、何度も何度も繰り返しているのだ。
気象庁がミスを多発しているそもそもの元凶は、人命に大きくかかわるミスを犯しても、誰も責任をとらないという、この省庁の無責任体質にある。五千人以上の職員を抱え、その過半が技術者・学者というこの集団の体制、体質のあり方を、抜本的に見直すべき時期がきている。
安全ボケの第二は、地震、噴火に関する、いわゆる「学者先生」たちである。普段は、地震や火山の予測は可能であるようなことを匂わせている。そして、いざ現実にそれが発生すると、事後であれこれと言い分けや理屈を並べた挙句、「今回のできごとは想定外だった」と、平然として言う。「想定外」などという言葉は、学問として安易に使ってはならない禁句ではないのか。この禁句を安易に使うくらいなら、始めから、学問や学者の看板を掲げないこと、そして地震や火山噴火の予知については、無力であることを、世間に対して、もっと声高に明言すべきである。
三番目は、行政の怠慢である。七年前に噴火が起こっているにもかかわらず、いざというときに登山者を防護すべきシェルター(退避壕)は、一つも設置されていなかった。阿蘇山が、三〇人収容可能なシェルターを九つ設置したこととは、まさに対照的である。この違いは、熊本県と、長野県の対応能力の差なのであろうか。御嶽山の場合は、観光面に目が奪われて、登山者の安全への配慮が二の次になっていたと、言われても仕方あるまい。
伊豆大島、広島市の土砂災害などから明らかなように、中央省庁だけでなく、地方行政の対応が「拙劣で後手」に回り、被害の拡大を招いている例が、最近目に余る。温暖化など、地球環境の変化を叫ぶのは口先だけで、地に足の着いた対応が全くできていないのである。広島市の土砂災害のように、実際に災害が発生してから警報を発出したことなどは、問題外である。
最後は、登山者自身の問題である。気象庁の怠慢やミスリードは、それ自体大罪であるが、果たして気象庁の情報を鵜呑みにしたままでよかったのであろうか。永年にわたり海に親しんでいる経験から、身に染みて感じていることだが、現在のように無責任な体質の気象庁を、過信することは禁物である。自分の安全を、あなたまかせにして、無防備、無警戒でいると、突然の危険に足元をすくわれてしまうことになる。結局は、「自分の身は、自分で守る」ことにならざるを得ないのである。
また、天災に対して人間が行うことができる予防的措置など、取るに足らないささやかなものである。災害に対して、究極の身を守る術は、「逃げること、避けること」である。個人の楽しみ(レジャー)に口を挟む気は毛頭ないが、レジャーは飽くまで「自己責任」で楽しむべきものである。一たび事故が起これば、多くの有為な人間が命を賭して、事態の収拾に当たらなければならないことも、決して忘れてはならない。
(二〇一四年一一月一日)
同期各位
松井俊一コラム10月号:腑に落ちない交通ルール
上段の「松井コラム」に過去のコラムも含めて掲載してあります、お読みください。
[腑に落ちない交通ルール]

日本の交通ルールには、どうも腑に落ちないことがある。
日本は世界に冠たる「歩行者の天国」で、時間、場所、事情を問わず、交通ルールが歩行者を手厚く保護してくれている。それはそれでよいのだが、最近では常識の枠を大きくはみ出した歩行者が多見されるのも、事実である。
狭い道路の真ん中を、数人が一塊になって歩く。他の通行人や自動車にはお構いなしで、夢中になって雑談をしている者もいる。信号のない場所で、左右の車に注意を払うことなく、堂々と道路を横断する。ひどい者は、信号機も横断歩道もない夜道で、自動車に注意を払わずに横断する者さえいる。歩行者が黒っぽい衣服を着ていれば、それこそ「闇夜のカラス」で、轢いてくれと言わんばかりある。さらには、酒に酔って道路で寝込んでいる者までいる。運転者に対して、このように非常識な人間にまで細心の注意を払えと言われても、それには自ずと限界があるのではないか。
傍若無人の振る舞いをしているのは、決して子供だけではない。むしろ高齢者が多いのだから恐れ入る。そして、こんな傍若無人の者達であっても、自動車に撥ねられたり、轢かれたりすると、日本の場合、多くは自動車が悪いということになる。
ひるがえって海外に目をやると、例えばイギリスのように、ルールが日本とは異なる国もある。イギリスでは、歩行者優先の横断歩道(ゼブラゾーン)があり、ここを横断中の歩行者に対しては、自動車は停車して、道を譲らなければならない。ゼブラゾーンで自動車が人身事故を起こした場合には、運転者には厳罰(例えば終身刑)が課せられる。しかし、ゼブラゾーン以外では、話は別で、歩行者の責任も厳しく問われることになる。仮に自動車がゼブラゾーン以外を横断する歩行者に対して死亡事故を起こしたとしても、歩行者に一方的な責任が認められる場合には、運転者は無罪ということもあり得るのである。
日英両国でこのような交通ルールの差異が生じた原因は、何であろうか。察するに、日本のルールは、自動車に比べて歩行者は弱者であるから保護すべしという、「弱者保護の思想」が強固なのである。対してイギリスでは、歩行者も自動車も、等しく交通ルールを守るべし、いわば、交通ルールの下では歩行者も自動車も平等である、との思想が根底にあるように思われる。いずれも合理性を有する考え方ではあるが、弱者保護に根ざした日本の交通ルールが、最近、歩行者と自転車との間で不合理な状況を生み出している。
日本では自転車が歩道を走ることが許容されている。世界、とくに主要国の中では、稀なルールである。自転車は自動車に比べれば弱者であるということで、これを認めたのであろう。しかし現実は、歩道上で歩行者に対してお構いなく、傍若無人の運転を行っている者が多い。この結果、自転車が歩行者に対して人身事故を発生させるトラブルが続発し、怪我に止まらず、時には死亡事故まで起こしている。弱者であるはずの自転車が、歩行者に対して、強者の立場で振舞っているためである。
昨今、歩行者や自転車に対する「過保護」が目に余ると感じているのは、筆者だけであろうか。このままではかえって、交通ルールに無頓着な歩行者や自転車が増える一方ではないかと懸念される。
日本は昭和三〇年代(一九五五年〜一九六四年)、交通事故の死者数が年間一万人を超えるという、「交通戦争」の時代を経験したが、交通信号機の増設や、道路交通における、歩行者や自転車に対する「弱者保護」の思想の徹底によって、これを克服した。最近、自転車に対するルールの見直しが一部実施されたが、そろそろ、交通ルール全体の思想について、弱者保護一辺倒から、「法の下の平等」を加味するという軌道修正を、検討してみる時期が来ているのかもしれない。
(二〇一四年一〇月一日)
同期各位
上段の「松井コラム」頁に松井コラム、「復活HP」に8月16日行われた沼一中同期会出席した鳥潟氏
から届いたコラムを掲載してあります。お読みください。
松井俊一コラム9月号:したり顔の罪
[したり顔の罪}
ものごとの良し悪しを論ずる時に、必ずと言ってよいほど出てくる意見がある。一見、「博愛主義」のような、「寛大で物分りのよい」意見である。この手の言い分は、まともな議論を見下したようにして、出されることも多い。度量が大きいように見えるが、冷静に考えると、実は無責任であることが殆どである。要するに、詰めるべき問題点を詰めずに、うやむやにする無責任論ということである。
周りを見回してみると、この「したり顔」のおかげで、物事が好ましくない状況を生んでいる事例が多いことに気が付く。例えば「子供の躾」である。「しつけ」とは、まだ人間になりきれていない者を、人間として育て上げることである。人は生まれた時は、限りなくサルに近い存在であり、これを分別のある人間に育てるものが、まずは家庭や学校における躾である。玄関ではきちんと靴を脱ぐ、食事をする時は箸を持つ、といった類いである。
分別がなく、サルに近い者を人間に育て上げるのは並大抵のことではない。時には厳しい指導も必要であるし、口で言って分からない時は、止むを得ず、体で覚えさせなければならないこともある。躾の過程で子供を中途半端に甘やかせることは禁物である。したり顔をして甘えさせて育てると、むしろ子供がダメになる。親から見れば、躾は子供との真剣なやりとりである。親にとっても辛い場面がある。が、安易に手を抜いたり妥協をしたりすると、子供はまともに育たない。「我慢すること」を知らないまま育ち、世の中は自分の欲求を満たしてくれて当然であるような、錯覚をしている子供が増えてしまう。なお、最近「しつけ」と称してわが子に暴力をふるう親が多見されるが、当然ながらこれは躾ではない。躾を身に付けることなしに親になってしまった者達が引き起こす、単なる暴力事件である。
また、自動車によるひき逃げ事件で、捕まった運転者が聞き捨てならない言い訳をすることも、近頃頻繁に耳にする。「怖くなったから逃げた」である。人を轢いた、殺してしまったかもしれない重大な事故を起しておいて、「怖くなったから逃げた」は、いくらなんでも、ないだろう。自分が逃げさえすれば、親か神様が、後始末や解決をしてくれるとでも思っているのか。頭の中の組み立てがどうなっているのか、理解できない。理屈以前の問題で、子供の時、まともな躾を受けてこなかったことの証左である。このまま子供達への無責任な躾が続くと、日本には、国や親にたかることしか考えないような人間がますます増えることになる。
子供の躾がもたらした悪事例は、「おれおれ詐欺」にも見ることができる。実子を装った犯罪者の常套句は、「自分がしてしまった失敗や悪事を、隠蔽するために金が要る」である。「自分の失敗や悪事は、自分自身で解決すること」と、諭すのが、まともな親の姿ではないか。子供の悪行を、金でごまかして解決を図ろうとするような、邪な気持ちを親が持っていなければ、金を渡す事件などは、そもそも起こりようがないのである。
したり顔が国益を大きく損なった事例もある。韓国、中国との関係である。既に戦後七〇年を経た今日でも、彼らの言いたい放題、やりたい放題は、一向に止まる気配がなく、エスカレートする一方である。歴史的事実を歪曲したものも多く、「歴史的事実を歪曲するな」とは、こちらこそが彼らに向けて言うべき言葉である。歴史的大失態である「河野談話」も、相手の言いたい放題を、したり顔で受けた結果である。竹島、尖閣諸島に対する横槍も、したり顔で脇の甘い対応をしてきた結果であるという意味で、過去の自民党政治に責任がある。まともな民主国家ではない中国や韓国を相手に、良識ある対応を期待して、したり顔をすることなど、根本的な間違いなのである。
したり顔の議論は、本質的な解決策を求めることをせず、中途半端に妥協して、無責任な結末を導き出すことが多い。世の中の出来事があやふやのままにされているのには、この「したり顔」が大きく与っているのである。
たとえ、人様から、「度量が狭い」などと言われようと、したり顔をしてごまかすようなことは、止めよう。ものごとに対しては真摯に取り組み、考え抜いて、良し悪しの結論を導くよう努力しよう。筆者の生きざまとしたいところである。
(二〇一四年九月一日)
平成26年8月16日沼一中12回卒同期会当日の写真と動画のご案内。
同期各位
36名の参加を頂き大盛況の同期会でした。
遠くから近くからお盆休みなか参加ありがとう御座いました。
動画は上段の「動画ブログ」に写真アルバムと当日資料(同期会たより)は、
上段の「写真集」にリンクご覧ください。
写真はコピーは自由です。
全国高総文祭 新聞最優秀賞に
沼津東と富士東 富士も優秀賞
7月28日、筑波大学に全国各地から多くの新聞部が集まり行われた全国高等学校新聞「年間紙面審査賞」表彰式では、全国142校の中から沼津東高校、富士東高校が最優秀賞に、富士高校が優秀賞に選ばれた。静岡県は最優秀賞、優秀賞に選ばれた計12校のうち、3校を占めたことになる。
沼津東高校新聞部長の池ノ谷泰周さんは「念願の賞を取ることができてうれしい。先輩方のおかげ」と感謝の気持ちを述べた。富士東高校新聞部長の中井春花さんは「昨年も最優秀賞を頂いているので、誇りに思う」と話した。富士高校新聞部長の山本雪絵さんは「最優秀賞を狙っていたので少し残念。後輩が最優秀賞を取れるようがんばりたい」と語った。(藤枝東・柴田篤志)
(静新平成26年8月17日朝刊)
平成26年度第30回香陵ゴルフ大会案内
松井俊一コラム8月その2
[ 朝日新聞のバケの皮]
ようやく、朝日新聞のバケの皮が、一部剥がされた。今さら言うまでもないが、朝日新聞は、韓国が世界中に向かって大騒ぎをしている「慰安婦問題」を捏造した張本人である。稀代の大うそつきである、自称・元山口県労務報告会下関支部動員部長、吉田清治の言動を巧妙に利用して、これまで慰安婦問題を捏造してきた。が、このたびようやく、吉田清治の言動がウソであったことを、認めたのである(二〇一四年八月五日付朝刊)。
一部には、「一歩前進」と評価する向きもあるが、必ずしもそうとは思えない。事実を捻じ曲げてウソを続けることが、四方八方から外堀を埋められて、いよいよ苦しくなったので、仕方なしに、一部を認めただけの話である。朝日新聞の記事を吟味すると、愚にもつかない言い訳と、居直りに満ちている。冷静な見方をすれば、訂正のふりをして、また新たなウソをつき始めたとも言える。
朝日新聞の罪は重い。ウソで固められたこの新聞の記事によって、日韓の間には埋めがたい溝が生じ、さらには、これに悪乗りした韓国の喧伝によって、世界が日本を誤解する事態が生じている。日本の国益をここまで損ねた責任は、一片の訂正記事などで、済まされるものでは到底ない。朝日新聞関係者への国会での喚問などだけでは不十分で、この際世界に対してついたウソの訂正を徹底的に行わせるべきである。
今回の事件は、この新聞社が抱える闇の部分の、いわば氷山の一角に過ぎない。戦前、野球を敵性スポーツと断じて、排斥運動まで行ったこの新聞社は、戦後、左翼思想に染まり、親ソ連、親中国の報道姿勢へと、一八〇度の変身をした。また、経営面では、大株主である村山社主家とのイザゴザ(一九六三年一二月に表面化)の火種も抱えている。この新聞社が、これまでに日本の国益を損ねてきた事例は、あまりにも多い。
例えば、北朝鮮を「地上の楽園」とはやし立てて、多くの人びとを北朝鮮へ送り込んだ罪は、一体、どう贖うつもりなのか。当然のことながら、「拉致問題」への取り組みも、消極的そのものであった。身近な問題で言えば、日本の受験地獄を批判しながら、一方で、大学入試には朝日新聞の記事が一番多く用いられている、などと宣伝する、支離滅裂さは何なのか。このような低レベルの新聞社の記事を、入試問題に採用するような大学に対しても、この際、見識を問いたい。余談ながら、「ことは言論の自由に係るものであるので、慎重な対応が必要」などと、朝日を庇うような発言をしている民主党の党首は、まさに笑止の沙汰である。
筆者自身が、朝日新聞の記事がおかしいことに、はっきりと気が付いたのは、昭和五〇年代半ば、銀行の調査部時代のことである。当時、仕事の一部として、毎日、大手新聞の主要記事を見比べていたのだが、同じ事件を扱っている記事でも、朝日のそれには異常な売国的バイアスがかかっていることが、一目瞭然であった。
それ以来ずっと、この新聞の異常さを言い続けてきたのだが、 もはや、この新聞社に自浄能力を期待することは、不可能であろう。それくらい、売国的偏向体質が隅々にまでしみ込んでしまっている。「朝日新聞」が、「チョウニチ新聞」などと揶揄される所以である。この新聞がタレ流す害毒を免れるために残された手段は、読者がこの新聞社の異常さに気が付いて、一刻も早く購読を止めることである。
(二〇一四年八月一二日)
門屋信行氏(東16回生)静岡新聞記事
田中さん門屋さんに感謝状
裾野市消防本部 民家初期消火に協力

裾野市消防本部は7日、同市須山の十里木地区で5月12日に発生した住宅火災で、初期消火に協力したとして現場の近くに住む田中卓さん(66)と門屋信行さん(70)に感謝状を贈った。
同日午前9時20分ごろ、近隣を散歩していた田中さんが民家から炎が上がっているのに気付いた。隣家の庭先にいた門屋さんに助けを求めるとともに携帯電話で通報し、門屋さんがバケツの水で消火した。火災は外壁などを焼くぼやで済んだ。
消防庁舎で行った贈呈式で手綱睦正消防長は「2人の行動がなければ被害は拡大していた」と述べ、感謝状を手渡した。
現場は別荘地。富士市との市境で、市内でも消防到着に最も時間がかかる地域だった。2人は「常時人がいない家も多い地域。たまたま居合わせて運が良かった」などと語った。
(静新平成26年8月8日朝刊)
松井俊一コラム8月号
又、上段の「松井コラム」頁にも掲載しました。
[高校野球の疑問]
今年も高校野球の夏がやってきた。
公共放送のNHKと、かっては野球を敵性スポーツと断じて、排斥運動まで行った朝日新聞の、異常なほどの肩入れによって、夏の甲子園は毎年盛り上がりを見せている。
「青春」、「ひたむき」、「汗、涙」。高校野球にはこのようなイメージが、おおむね定着しているようである。
だが待てよ、本当にそうなのか。最近の高校野球はそこまで純粋で清々しいのであろうか。以下は筆者の素朴な疑問である。
〔疑問その一、本当にアマチュア野球なのか]
高校野球はその名の通り、高校生が学業の合間をぬって行う野球である。しかし本当にそうなのか。少なくとも甲子園(全国大会)に出場するレベルの学校について言えば、その多くには、疑問符が付く。とりわけ甲子園の常連である高校の多くは、野球の上手い生徒を全国津々浦々から集め、合宿所をベースに、極めてハードで長時間にわたる練習を行っている。むしろ、野球の合間をぬって、辛うじて勉強をしているのが実態であろう。
練習用の施設も充実している。某高校の施設などはプロ野球のそれより立派だと言われるほどである。こうなると、もはや高校プロ野球ではないか。
地区予選で早々と姿を消すチームの多くは、学業の合間に野球をしているのも事実である。しかしこれらのチームがクローズアップされることは殆どない。脚光を浴びるのは、常に甲子園の出場校である。たまに公立の普通高校が甲子園に出場すると、地元以外からも大きな声援が起る。これは、このところ忘れかけている、本来の学生野球に対するエールであり、半ばプロ化した最近の高校野球への、暗黙の批判なのかもしれない。
〔疑問その二、地元の代表か〕
これも今や多くの地方には、疑問符が付く。例えば、ニューヨークヤンキースで活躍中の田中将大は、兵庫県の少年野球選手であった。が、高校は北海道である。このような、いわゆる「野球留学」は今や全国規模で行われている。マスメディアは、各県の代表チームを、あたかも郷土の代表であるかのような扱いで盛り上げようとしているが、白々しい。
[疑問その三、ひたむきな野球か〕
確かに生徒たちは、ひたむきに甲子園をめざして、野球に取り組んでいるのかもしれない。しかし一方で、それを取り巻く学校や応援者は、必ずしもひたむきであるとは言いがたい。
理由の第一は、経営の宣伝のための野球ではないかと疑われるような学校も存在することである。全国から人材を集め、練習用の施設も完備させるなど、できる限りの手段を講じて、一たび甲子園に出場すれば、学校の名前は全国に知れわたる。それをテコにして生徒を集め、学校経営の発展を図るという算段である。
第二は、他チームの足を引っぱるような、意地の悪い行為がみられることである。野球部員が引き起こしたささいな喧嘩などを、ことさら暴力事件として野球連盟などに通報し、ライバルチームの大会出場を不能にするといったやり方である。
[疑問その四、正々堂々と戦っているのか〕
高校野球は、大会の開会式で選手代表が宣誓を行う。宣誓の言葉自体はその年、その年で多少異なるが、「高校生らしく正々堂々と戦う」ということが本旨である。しかし、お世辞にも正々堂々とは言えないゲームが、一九九二年夏の甲子園で行われたことは、いまだ記憶に新しい。
それは、松井秀喜が、星稜高校の四番打者として、高知県の明徳義塾高校と対戦した時のことである。この試合で明徳義塾は、松井に対して全打席(五打席連続〕敬遠という、プロ野球でも見られないようなプレイを披露した。勝つためには手段を選ばないという、馬淵史郎監督の腹の中が見事に露呈したゲームであった。
この出来事に対しては、さすがにスタンドからブーイングが起こった。筆者も当時テレビ観戦をしていて、言いようのない不快感を覚えた。一部には、敬遠は野球のルールで認められているのだから、別に構わないという意見がある。監督本人も、いまだに反省することなく、愚にもつかない屁理屈をこね回して、監督に居座っている。
しかし、勝つためには、ルール違反にならない限り、何でもするというのであれば、もはや高校生が学業の合い間に行う野球とは言いがたい。仮にそれでもよいではないか、と言うのであれば、@選手の宣誓はしないこと、そしてA「青春」「ひたむき」「汗、涙」を売り物にはしないことである。松井に対する敬遠事件は、松井本人よりも、むしろ、監督の指示で、敬遠せざるを得なかった明徳義塾の投手の心に、一生の深い傷を負わせることになった。これでも高校野球が教育の一環などと言えるのか。
高校野球の原点は、飽くまで「高校生の野球」である。「甲子園に行くこと」、「勝つこと」が過度に重視され、一方で高校野球そのものが妙に美化されることが続くと、甲子園の将来は決して明るくない。
(二〇一四年八月一日)
沼津東高1年生 伊豆で海浜教室
伊豆市土肥の屋形海岸で16日、沼津東高の伝統行事「海浜教室」が始まった。1年生約280人が参加し、3日間にわたって遠泳などに取り組む。
初日は泳力別に五つの班に分かれ、海に慣れる訓練を行った。生徒たちは、校歌を大きな声で歌って互いに励まし合いながら沖合の離岸堤まで泳いだり、浅瀬で泳ぎの練習をしたりして波の感触を確かめた。
同校によると、海浜教室は明治時代に学友会水泳部によって行われた浜水泳が原点とされる。現在に近い形での実施は今年で58回目。
(静新平成26年7月17日朝刊)
松井俊一コラムとpdf版は↑の「松井コラム」に掲載。
松井俊一コラム26年7月号
〔 似て非なる日米の野球―MLBとNPB〕
父親の影響で、物ごころ付いたころから、読売巨人軍のファンであった。しかし、一〇年くらい前から、巨人軍のみならず日本のプロ野球そのものに対する愛着が薄れてきた。半面、アメリカのMLB(メジャー・リーグ・ベースボール)への興味が増してきて、最近では、日本のプロ野球を見ることは、殆どなくなった。アメリカで生まれた野球は、一八七二年に、遠く太平洋を隔てた日本にも紹介された。その後、日本の国民的スポーツと言われるまでに成長したが、現在、日米の野球にはかなりの差異が生じている。
MLBの野球は日本の野球より試合運びが速い。ピッチャーはテンポよく打者に向かって投球をする。バッターはこれに負けじとバットを振り回す。バント、スチールなどのきめ細かな攻撃にはさほどこだわらない。多くの場合、長打狙いの打撃で、一挙に得点を狙う。
これに対して、日本のプロ野球(NPB)は、いわゆる「スモールベースボール」である。試合運びがきめ細かで、ピッチャーとバッターの駆け引きにも、時間をかける。このため、自ずとゲームのテンポはゆっくりになる。ピッチャーとバッターの駆け引きこそが、野球の醍醐味だと言う人もいるが、このダラダラとしたテンポこそが、最近の野球離れの一因だと指摘する人もいる。筆者の意見は後者である。
選手の打力には明らかな格差がある。圧倒的にMLBが上である。日本でそこそこの打撃実績を上げた選手でも、米国では力負けすることが多い。その中で、イチローの一〇年以上にわたる活躍は、まさに驚異である。一方、打力に比べて投手力は、身体的に劣勢な日本選手が活躍できる余地がまだ大きい。スピードに加え、ボール、ストライクの出し入れが上手く、微妙なコントロールにたけた投手が何人かトップクラスの活躍をしている。
なお米国では、殆どの場合、一人の投手の投球数を、一試合あたり一〇〇球程度までに抑えている。肩の酷使を避けようとする意図からである。対して日本は、時折、過酷と思われるような連投もさせることがある。
国際試合は、野球がいまだに世界の中ではローカルなスポーツなため、日米ともに少ないが、国際化は米国の方が進んでいる。メジャーリーグの選手の四名に一名は、ドミニカ、ベネズエラ、キューバなどからの外国人選手である。日本人も、投手を中心に、数名が活躍している。
野球機構の弾力性や柔軟性は米国が上である。例えばインターリーグの試合(リーグ交流戦)の導入や、審判の判定に対して、ビデオ判定を申し立てできる「チャレンジ」制度の導入など、新しい仕組みやルールの取り入れには、米国の方が積極的で、貪欲である。対して日本は、新しい仕組みの導入などには、慎重、保守的であり、ややもすると現在のやり方に固執する。
さて、筆者が日本のプロ野球に別れを告げた理由はいくつかある。第一は、野球をろくに知らない、スポンサー企業のオーナーが、独断と偏見であれこれ、球団や野球のあり方に口を挟むことに、強い不快感を覚えたためである。日本の野球は一部の球団を除いて、スポンサー企業が前面に出ている。例えば「読売」巨人軍、「ヤクルト」スワローズである。これに対してMLBでは、「ニューヨーク」ヤンキース、「ボストン」レッドソックスのように、球団本拠地の「都市」の名が冠されている。スポーツは、究極的には市民のものであるという思想に立てば、アメリカは、この点でスッキリしている。
第二は、日本の野球は、球場全体が騒々し過ぎることである。カネやラッパの騒音と、観客の怒声で溢れかえり、「球音を楽しむ」ことからはほど遠い。最近の日本では、野球を楽しむのではなく、まるで観客のストレスを解消するためにあるようだ。日本のプロ野球は、一体いつからサッカーの試合のようになってしまったのか。少なくとも昭和四〇年代の後楽園では、まだ静かに観戦ができていた。ニューヨークに住んでいたころ、ヤンキースタジアムで観戦したことがあるが、時折進軍ラッパが鳴る程度で、日本よりはるかに静かであった。
第三は、致命的な出来事だが、公式の使用球を、ファンに対して内緒で、飛びの良いボールに変更してしまったという、信じられないような事件を引き起こしたことである。使用球の「飛ぶ、飛ばない」は、野球の内容を決定づけるほど、試合に大きな影響を与える。国際試合を促進するために、使用球はできるだけアメリカと規格を揃えた方が、望ましいという状況下にあって、これほどファンをバカにした話はないだろう。ピンポン球でいくらホームランを打っても、世界レベルでは、さしたる評価は得られない。この事件から、NPBがいかに傲慢で、ファンを見下しているかが透けて見えた。腹立たしいこと極まりない。
パワー、スピード、ダイナミズムなど、総合的にみれば、やはりMLBの野球は世界最高であり、見ていて楽しい。現在のように、今後もNPBが閉鎖的で硬直的な対応を続けていると、日本の野球は、ますますMLBの二軍(三A)のような、位置付けになってしまう。最近はNPBを経験せずに、直接MLBにチャレンジする日本の若者も出現している。
それでよいのなら、それまでのことだが、もし日本のプロ野球の不断の向上を望むのであれば、運営の仕方をもっと弾力的、柔軟にして、例えば「外人枠」などは、緩めるか撤廃してもよいのではないか。そして、何よりも、日本の有為な選手がもっと若い年齢でスムーズに、MLBにチャレンジできるような機会を、どんどん与えるべきである。
(二〇一四年七月一日)
沼一中12回期同期会案内
平成26年7月吉日
沼一中同窓会同期生 様
沼一中第12回卒同期会幹事
長谷川 徹、端山茂樹
遠藤光子、西島瑞枝、野木典子
同 期 会 の ご 案 内
お元気ですか。隔年開催の同窓会総会に合わせ、この度
古希を祝う同期会を下記のとおり開催します。 喜寿に向
かっての楽しい時を過ごしたいですね。
貴方の友と、お誘い合わせてのご出席をお待ちしています。
記
日時 平成26年8月16日(土) 午後6時〜
会場 「いろはにほへと沼津駅南口店」電話964-0622
会費 4,500円
※同期会出欠の返事は、7月末までにお願いします。
問合せ、出欠の変更は西島(旧姓稲葉)電話055-971-0764へ
・・・沼一中同窓会第16回総会・懇親会のお知らせ・・・
日時 平成26年8月16日(土)
総会14:00〜・講演会14:30〜・懇親会15:30〜
講師 塚本哲朗氏(沼津リハビリセンター病院長)
演題 気がつけば認知症、気がつかずに認知症
会場 プラサ ヴェルデ コンベンションホールB
沼津市大手町 1-1-4 駅北口東側 電話920-4100
会費 6,000円(総会・講演会・懇親会)
総会・講演会のみにご参加の場合は1,000円
※総会等の参加申込、問い合わせは、長谷川徹 電話962-2371
または端山茂樹 電話963-5295 まで電話でどうぞ。
26年度香陵同窓会総会案内
松井俊一コラム6月号「独占の落とし穴」
[独占の落とし穴]
大企業のトップによる「お詫び会見」が頻発している。常連は、東京電力とJR北海道である。哀しいことに、両社については、もはや、「驚く、怒る、呆れる」ことにも慣れてしまった。
ガバナンス(企業統治)やコンプライアンス(法令順守)の欠如、重要情報の伝達不徹底など、まともな企業組織の感覚では理解できないような事件が続発している。どうしてこのように奇妙な集団が出来上がってしまったのであろうか。もともと感性がおかしな人間だけを、入社の段階で集めたとは思えない。要は、劣悪な企業風土が既に確固と出来上がっていて、入社したまともな人間も、次から次へとそれに感染しているためであろう。
特にJR北海道については、ここまで事態が深刻化している以上、もはや会社そのものを解体したほうがよいのではないか。どうしても路線を残したいのであれば、この際、税金による支援は止めにして、利用する者や必要とする者(受益者)が負担して、第三セクターのような形で、一部を存続させるか否かであろう。
東京電力やJR北海道において、会社を根底から腐らせるような企業風土を創りあげた大きな原因は、「独占」である。筆者がたびたび述べるように、戦後の日本を蝕んだ三大疾病は、「平和・安全ボケ」、「閉鎖・排他」、「悪平等」であるが、電力、鉄道など、独占色が濃い産業には、これらの弊害が端的に表れやすい。人も企業も、競争相手の存在しない社会の中で悠々と繁栄することができるならば、これほど楽なことはない。しかし神様はよくしたものである。閉鎖、排他、独占は、必ずマンネリ、怠慢、堕落を生む。そしてマンネリ、怠慢、堕落は競争力の停滞、低下をもたらし、自由競争社会の中では、ついには脱落者とならざるを得ないのである。
加えて、問題が多発している企業には、共通して見られる現象がある。それは、経営トップが、自社の重要なマイナス情報を充分に把握できていない、ということである。独占的な企業は、「こと無かれ主義」に陥り易く、とりわけマイナス情報を隠そうとする傾向が強いためであろう。
マネジメントは、究極のところ、「決断と実行」である。そして「決断」を行うためには、その前提として、「正しい実情認識」が必要である。「正しい実情認識」を行うためには、まずは「正しい情報を入手すること」であるが、特に、「マイナス情報を正しく入手すること」は重要である。そして、マイナス情報を正しく入手するためには、「それを必要とする者、すなわち企業のトップなどが、情報が入って来やすいように、環境整備を含めた種々の努力を、謙虚な気持ちを持って行うこと」が大切である。
見識と良識に富み、人間味にも溢れている。どこから見ても立派であった経営者が、後年、狂っているとしか思えないような決断をして、驚かされることがある。こういう場合、必ずしも老齢のせいばかりが原因ではないだろう。側近から耳に心地よい情報(甘言)しか入らず、決断の前提となる実情認識を誤ったことが大きいのではないか。間違った、あるいは偏った情報に基いて下す決断が間違っているのは、むしろ理の当然である。
サラリーマン社会では、地位が上になればなるほど、部下との間隔は広がりがちになる。自分にそのつもりはなくても、部下の方から広げようとすることもある。従って、間隔を広げたくなければ、自らが間隔をせばめる努力をする必要がある。部下からの情報もまたしかりである。地位が上になるに従って、情報発信者との間隔が広がり、「裸の王様」に陥る危険がそれだけ大きくなる。
裸の王様になりたくなければどうするのか。少なくとも、マイナス情報(苦言)に関しては、「部下から情報を入れていただく」くらいの、謙虚な気持ちを持つことである。そして情報入手のため努力を、真摯に行うことである。ここで言う努力とは、単に自分が物理的に動き回るなどといった、狭い意味ではない。経営スタッフが、トップにとって耳の痛い報告や進言も、躊躇なく行うことができるような、仕組みや環境づくりまでを含めた、広い意味での努力なのである。
(二〇一四年六月一日)
[ 昔の芸人 ]
毎日、自宅で腹膜透析を行っている。これに費やす時間は、一日あたり六時間以上に及ぶ。日常生活のかなりの部分が犠牲になっているが、命に係わることなので、仕方がない。このため、透析の間はコラムの執筆をしたり、テレビを見たりしながら過ごすことが多くなった。
テレビを見る頻度が上がるにつれて、改めて思い知らされることがある。日本のテレビ番組は、知的水準がどうしようもなく低い、ということである。とりわけ、日本テレビ、テレビ朝日、TBS、フジテレビの民放四局には、ごく一部の番組を除いて、見るべきものがない。この四局は、申し合わせたようにして、似たり寄ったりの、低俗番組をタレ流している。まるで国民の知的水準を引き下げることを競い合っているかのようだ。(筆者は密かにこの四局を「四バカ局」と呼んでいる。)加えて最近では、NHKまでが、この四局にすり寄るように、低品質の番組を増やしている。チャンネルに頓着せず、番組だけを見ると、NHKなのか民放なのか、即座には判別しにくいことが多くなっている。これでは若者のテレビ離れが進むのも当然である。貴重な人生の一部を、下らないテレビの番組などで費やすのは、それこそ時間の無駄遣いである。
こうした中で、「掃き溜めに鶴」と言うとやや大げさだが、良質な番組が比較的多いのは、テレビ東京である。他局の動向にあまり引きずられることなく、独自の路線を歩んでいる。この局の一つの特徴は、現役のサラリーマンやOBなど、大人の社会人をターゲットにした、番組が多いことである。中には韓国ドラマのように、下らない番組も混在しているが、金融、経済、産業、個別企業の動向などの、経済金融関連番組は、NHKを上回る質の良さである。また、ものづくりなど、日本の産業に関する啓蒙的な番組も豊富である。
総じて、日本のテレビ局のレベル低下を端的に表している現象は、「お笑い芸人」の多用であろう。NHKも含めた各局で、さしたる芸も、気の利いた話もできない芸人達が跳梁跋扈し、連日、低俗な言動を繰り返している。このようなお寒い芸を連日見せつけられると、反射的に昔の芸人が一人、脳裏に浮かんでくることがある。それは、三木のり平である。映画、芝居、CMと、幅広く活躍した彼の芸は、無条件で楽しむことができた。映画では森繁久弥との共演による、いくつかの「シリーズもの」、舞台では八波むと志と組んだ「お富さん」などが代表的な作品である。芸能界の中でも、お笑い芸人はややもすると、低く見られていた当時において、卑猥や下品に流れることなく、一途に健全な笑いを心がけていた。お笑い芸人が一応の社会的地位を認められるようになったのは、この人の功績によるところが大きい。
本人が自分の芸に磨きをかけるために人知れず払った努力は、大変なものであったようだが、もともと能力そのものも高い人であった。このことは、森光子主演の舞台「放浪記」で演出を務め、森から尊敬されていたことからも明らかである。能力の高い者が、それに溺れることなく、さらに自分に厳しく、謙虚に精進する。能力にも疑問があり、中途半端な芸の上にあぐらをかいて、よしとしている、現在のお笑い芸人達にそれを求めるのは、恐らく無理であろう。テレビ局が彼らを利用している最大の理由は、「安価なコストで時間をつぶせる」ことにあると思われるからである。NHKで週一回、若手芸人の七人がコントを披露する番組があるが、内容は小学生の学芸会なみで、見るに堪えない。
お笑いの話題のついでに、落語の世界についても、一言触れておきたい。芸の未熟な最近の落語家の話を聴くたびに、いま一度話を聴きたいと思う落語家が二人いる。「東の志ん朝、西の枝雀」である。
三代目古今亭志ん朝(一九三八年〜二〇〇一年)、二代目桂枝雀(一九三九年〜一九九九年)の両名とも、残念なことに、これからさらに芸に磨きがかかるという時期に他界してしまった。二人の芸には江戸と上方の違いこそあるが、披露される話には、ぎりぎりまで鍛錬された味がある。聴く者は瞬く間に彼らの話術の世界に導かれ、どっぷりと浸ってしまう。まさに、志ん朝、枝雀でなければ醸し出すことのできない独特の味である。
音楽と同じで、「古典」は落語の基礎であろう。古典落語に創意工夫を施した上で、現代人を楽しませてこそ、古典の意義がある。親の七光りだけで由緒ある名跡を継ぎ、まともな落語も語れないまま、タレント活動に熱中しているような落語家の話は、失礼だが、全く聴く気が起らない。お笑い芸人も落語家も、昔は本物がいたと思うのは、筆者の歳のなせる業だろうか。
(二〇一四年五月一日)
[国家百年の計]
国家の構造改革に異を唱え、特定集団の既得権益を主張し続ける政治家や官僚には、「国家百年の計」などという言葉は、もはや死語になってしまったようだ。国民経済が浮沈の瀬戸際に立たされている時においても、真摯に国家、国益の視点に立脚していると思われる言動が、彼らには殆ど見られない。
ひるがえってみれば、太平洋戦争敗戦後における日本の精神的バックボーンは、米国を始めとする世界の一流国に「追いつけ、追い越せ」であった。国家の計というより、スローガンに近いものであったが、それでも何もないよりはましであった。そして実際に、一部の産業では高度化が実現された。その代表格が、電機、自動車などである。
もっとも一方では、失敗を重ねた政策も少なくなかった。顕著なものが農業政策、住宅政策、教育政策である。農業は、生産者にすり寄るだけの補助金バラ撒き政策によって、ものの見事に競争力を失い、いまや再起が困難な状態に陥った。住宅は、国としての理念や青写真が不在のまま対応を続けた結果、経済発展とは裏腹に「遠、高、狭」になった。そして教育は、「個人、自由、権利の片面だけに奇妙なバイアスがかかった結果、「国家」のアイデンティティが希薄で、自由と放任、権利とわがままを混同するような人材を、学校教師も含めて豊富に輩出することになった。
しかし、このような政策面での失敗にもかかわらず、これまで日本が、なんとか全体の帳尻を合わせてやってくることができたのは、経済の面で、とりわけ電機、自動車などを始めとする製造業の頑張りがあったからに他ならない。誤解を恐れずに
言えば、製造業が血のにじむような努力で、世界を相手に産み出した付加価値の恩恵に、他の産業のみならず、政治も浴してきたのである。
現在の日本が直面している問題は、これまで日本の屋台骨を支えてきた基幹産業の競争力に動揺が生じ、一方で、その他のかなりの産業が、あい変わらず脆弱のまま、ということにある。
今もって特定集団の権益を主張している人びとには、この点についての認識に、致命的な甘さがある。
また、首相がトップダウン式に決断を下すやり方を、「ファッショ」と言う批判がある。それならば、誰がどのような発言をしたのかさえも明らかでなく、結果責任も問われることがないような非公開の場で、重要な政策を実質的に決めてしまうようなやり方は、民主的で国民の総意に基づく政策なのであろうか。
もちろん問題は、国政に携わる者だけではなく、それを選出する側にもある。一部の地域や団体では、依然として利益誘導の政治を期待する投票行動が、根強く残っている。一方では、若年層や大都市圏を中心に、現状の国政に不満や問題意識を持ちながら、投票を放棄する者が増加している。
@国政に携わる者にとって、国家、国益という視点は不可欠の条件である。Aまた、権限には常に相応の責任が伴うという認識と行動も、不可欠である。B国政選挙においては、それらを具備している者を選出するのが当然である。C国民の選挙権は権利であると同時に、義務である。
どれもこれも、民主主義国家、自由主義国家として、当たり前のことばかりである。しかし、このようにしごく当たり前のことが、当たり前でないところに、日本の問題がある。日本を「当たり前の主権国家」へと育成するために、なすべきことは、政治だけでなく、投票する国民の側にも多い。
(二〇一四年四月八日)
松井俊一コラム26年3月号「安倍政権一年余の評価」 |
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
 |
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
安倍政権一年余の評価pdf
[安倍政権一年余の評価]
安倍政権が成立してから一年余りが経過した。日本の国を破壊しまくった挙句、総選挙で惨敗の天罰を受けた民主党に替わっての登場であった。民主党政権があまりに「異次元のオソマツ政権」であったため、次の政権は普通にやっていても好評価を得られるという、有利な立場にはあった。が、それを差し引いても、この時点での安倍政権の評価は、「久しぶりのまともな政権」と、言うことができる。
まず外交面を見ると、中国、韓国に対して、領土問題の妥協は一切しないというスタンスは、当然で、まともである。アセアン各国と連携して、対中国包囲網の構築に注力していることも評価できる。中国の習近平、韓国のパク・クネは、近年最悪の体制である。これら両国がそろって安倍政権を警戒、用心していることは、安倍政権が日本のまともな政権であることの証左でもある。今後も毅然として筋を通すべきである。
折にふれて述べている通り、北東アジアの近隣四か国である中国、北朝鮮、韓国、ロシアとの付き合いは、深入りをしないことである。「衣食足りても礼節を知らぬ中国」、「発達障害の韓国」など、軸がおかしい近隣四か国との社会全体の交流は、四か国がまともな民主国家になってから改めて検討すべき話である。それまでは、直接投資は行わない形の経済取引に止めるべきである。筆者は以前から、これを「日本型モンロー主義」と称している。
一方で、米国との絆は一段と強化すべきである。それとともに、東アジアの近隣で全方位の交流を積極的に目指すべき国は、台湾(中華民国)である。さらにアジア地区では、ベトナム、タイ、フィリピン、シンガポールなどのアセアン各国やインドと、将来を見据えた着実な交流を図るべきである。
なお、中国、韓国は、安倍首相が靖国神社に参拝したことを、ことさらに非難しているが、参拝するか否かは、日本国の首相の立場や、日本人個人としての信条の問題であり、他国からとやかく言われる筋合いのものではない。タチの悪い内政干渉であり、首相は自身の信念を貫いてよい。
靖国参拝問題については、日本のマスコミにも大きな責任がある。何故ことさら、他国を扇動するような報道の仕方をするのか。日本のマスコミは身勝手である。時には、「国民の知る権利」を振りかざして報道の自由を前面に出しながら、その一方では、「ヘイトスピーチ」の事実を平然と握り潰して、知らぬ顔の半兵衛を決め込んでいる。このような問題こそ、知らぬ顔で無視すべき問題ではないのか。また、特定の宗教と関係が深い公明党による靖国参拝非難も、トンチンカンで理解に苦しむ。
次に内政面では、とりわけ経済の面で、(別稿‐「アベノミクス一年の評価」の通り)、生産活動の持ち直しや企業収益の増加など、アベノミクスと称される経済政策の効果もあって、平成の初頭以降二〇年近く続いた経済不振から立ち直る兆しが一部に見えてきた。今後の課題はこの萌芽をいかに順調に育んでいくかにかかっている。また、金融、財政面での、日銀との連携プレイも目下のところ及第点である。
「決められない政治の日本」から、ようやく脱却を図りつつある安倍政権であるが、今後も、大胆かつ細心に、決める政治を断行し、さらに、「五体満足な主権国家づくり」に邁進することを期待したい。戦後七〇年近くにわたって染み付いた古い体制を打破し、新しい国家、社会のしくみを構築すべき課題は極めて多く、かつ広範囲にわたる。ざっと指摘するだけでも左記の通りである。
@憲法改正(軍事力保有と集団的自衛権行使の容認などを含め、二十一世紀の主権国家にふさわしい憲法への脱皮)A領土、国境の保全に関する法体系の整備、 B防衛能力の一段の強化、C「平和・安全ボケ」「閉鎖・排他」「悪平等」の(日本社会のあらゆる面からの)払拭、D各種規制緩和の貫徹、E農業を始めとする第一次産業の規制緩和と再構築(例えば農地の流動性強化、民間企業の農業参入の促進、既存農業団体の解体)などである。
これまでのところ、改革に取り組む姿勢を意欲的に見せている安倍政権であるが、母体の自民党には、農業、医療など既得権益を守ろうとする議員も多い。将来の持続的経済発展に向けて、この際小手先でない規制改革を実行できるのか。最大の敵は身内である自民党内部にある。
最後にやや余談になるが、現官房長官の力量は高く評価すべきである。一見地味ながら、「縁の下の力持ち」で、必要な対応を抜け目無くしっかりと行っている。思い起せば、スタンドプレーばかりで、余分なことはペラペラ喋るが、肝腎なことは及び腰で何もできなかった、民主党政権の官房長官とは、雲泥の差である。
(二〇一四年三月一日)
|
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
全国高校新聞コンクールで最高賞 |
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
|
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
「沼津東高新聞」に文科大臣奨励賞
全国高校新聞コンクールで最高賞
東高(杉本淳光校長)の新聞部が、第43回全国高校新聞コンクールで最高賞の文部科学大臣奨励賞を受賞した。同部は昨年まで二年連続で二位と、あと一歩で最高賞を逸してきただけに、今回、全国から百四十四校が応募した同コンクールで、初の「全国一」に部員や、OB、OGらの喜びはひとしお。
2年連続の2位から悲願達成
OB会が受賞記念の祝賀会計画
高校新聞部の全国レベルの大会には、全国高等学校総合文化祭(高文祭)と全国高校新聞コンクールがあり、審査対象となるのは、いずれも十一月一日から翌年十月三十一日までの発行物。東高新聞部は全国高文祭には二〇〇四年から昨年まで十年連続出場。既に今年の出場も決めている。
同部が発行する新聞は三種類。年三、四回発行の「沼津東高新聞」はタブロイド判二ー十二ページ、年四十数回発行の「東風(あいかぜ)」はB4判一面、速報性を重視し年百回程度発行の「Blossom」はA4判一面。
合わせて年百五十回程の新聞発行について顧問の上杉剛嗣教諭は、「全国でも三本の指に入るのではないか」と話す。
同部の取材、編集のテーマは「自治」と「防災」。「自治」については昼休みと放課後に校内で取材できるが、「防災」は校外での取材もあるため、近場は放課後に取材し、離れた場所に出掛ける場合には土・日曜日などとなる。また、運動部の試合を取材する時には県大会まで。
部員は、取材項目を検討協議のうえ企画書を上杉教諭に提出し、了解を得てから取材を開始。三種類の新聞のうち、「沼津東高新聞]の印刷は外注で、四ぺージ組みの場合、取材から編集、印刷まで約一カ月。「東風」「Blossom」は校内のカラープリンターで印刷している。
同校の主なイベントには校外で実施するものがあり、このうち一年時に土肥で行う「海浜教室」と二年時に長野県志賀高原で行う「高原教室」は、その学年の部員が現地から、写真と文章を携帯電話で送信。学校に残った他の学年の部員が編集などしている。
「沼津東高新聞」は、西武百貨店沼津店の撤退や、県議会が否決した中部電力浜岡原子力発電所に関する住民投票条例制定案、原発再稼動に対する校内アンケート、津波被害を免れるための内浦重須地区の高台移転、原発に代わる新エネルギーなどについても、若い目で精力的に捉えている。
現在、二十一人の部員をまとめる秋山珠沙部長(二年、片浜中出身)は「取材した部員の思いが、どのように読者に伝わるか。取材対象者と読者が反応してくれる姿を見ると、部員の思いが伝わったと思え、うれしい」と新聞作りの魅力を語る。
また、休日に運動部の試合を取材し、写真を撮り、選手に話を聴くが、「取材した選手が記事を目にして喜んでくれると、新聞部に入って良かったと思う」との感慨も。
運動部の試合を応援できなかった生徒達には、試合結果の速報が喜ばれる。また、校内自治について、部員が代議委員会定例会を傍聴。記事にして全校生徒に知らせている。
顧問十一年目を迎える上杉教諭だが、当初は名義借りの部員が二人いただけだという。十年前に正規の部員が入ってからは年々増え、昨年、三年生が引退するまでは三十二人を数える大所帯だった。
上杉教諭は「全国一は部員達の悲願だった。受賞の連絡を受けてから部員を集めて発表した時は、その背後で悔しい思いをしてきたOB、OGの顔が浮かんだ」と振り返るとともに、「審査員評は『部員の息づかいが感じられる』というものだった。日頃の部活動が評価されての受賞だと思う。校長からも『学校の活性化にも貢献している』と評価されている」と話す。
同部の創立は、戦後間もない一九四八年。当時は旧制中学から新制高校への切り替えの時期で、旧制沼中は新制の沼津第一高等学校となり、同年十月に「沼一高新聞」第一号を発行。六号まで出したが、校名が沼津東高に変わったため、「沼東新聞」となり、その後、現在の新聞名になった。
「沼東新聞」第一号発行当時に部長を務めた堀米徹さん(高校二回卒)は「我々の頃と違って部員も多く、よくやっていると思う。取材も部員が分担して取り組んでいるようで、全国一は卒業生にとってもうれしい」と話す。
昨年八月には新聞部OB会が設立され、堀米さんが会長に選ばれたが、「我々の頃と違い、紙面に広告がないのに驚いた。当時は広告集めに苦労したもの」だと六十数年前を懐かしむ。
OB会では、後輩達の受賞を記念する祝賀会を同高の卒業式が行われる三月一日に開く予定だという。
また、同高卒業生らの香陵同窓会が、校内で活躍した個人・団体を表彰する。「香陵久遠賞」を設けており、厳しい審査で毎年の受賞はないが、このほど行われた選考会で同部が選ばれた。なお、部員は次の通り。
▽三年=山口夏野(土肥中出身)、大迫未歩(御殿場原里)、稲葉紗波(町立清水南)、瀧静香(原)、立脇鈴菜(町立清水南)、福島満理奈(金岡)、森口佳奈(沼津五)、渡辺莉奈(小山)、井深廉(今沢)、遠藤利奈(裾野富岡)、小林千伽子(沼津五)
▽二年=佐藤ひかる(沼津四)、廣瀬史織(片浜)、秋山珠沙、高倉将希(裾野西)、土屋珠美(門池)、永坂優香(沼津三)
▽一年=田中あゆ(町立清水南)、山本眞海(松崎)、吉田由里恵(沼津三)、鈴木栞菜(富士須津)、池ノ谷泰周(長泉北)、青木和正(沼津五)、鈴木仁平(裾野深良)、杉村優作(沼津二)、長江桃果(沼津五)、市村康祐(三島北上)、菊地彩里(御殿場富士岡)、鈴木紀香(町立清水南)、高須優(三島北上)、戸村駿太(熱海小嵐)、山田一樹(裾野東)
《沼朝平成26年2月20日(木)号》

|
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
i一小で6年生が校史を学ぶ |
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
 |
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
一小で6年生が校史学ぶ講座
徳川転封による子弟教育で開校
一小(大嶽薫充校長)は三日、校史講座「第一小学校・沼津の歴史を知り、未来を考えよう」を開き、六年生四十二人が受講した。同校で総合的な学習の時間を利用して行われている「効(かい)ある人づくり」授業の一環で、明治史料館の大庭晃さんが講師を務めた。
同校の発端は明治元年(一八六八)九月に創設された「代戯館」で、これは明治維新による徳川家の駿河転封に伴って沼津に移住した旗本や御家人の子弟のために設けられた。同年、沼津兵学校が設けられると、兵学校附属小学校となり、廃藩置県や学制公布を経て明治六年(一八七三)には、公立の小学校「集成舎」となった。ほぼ同時期に「明強舎」も設立され、こちらは二小の前身となった。
その後、集成舎は「小学沼津学校」などを経て、三十年(一八九七)に沼津町立沼津尋常高等小学校となり、現在の八幡町の土地に定着した。この間、徳川慶喜が揮毫した「沼津黌」という額が贈られており、このレプリカは、今も一小校内に飾られている。
昭和三年(一九二八)に当時の沼津市内の学校を整理して番号で呼ぶことになり、第一から第四までの尋常小学校が誕生。「第一」という校名は現在に続いている。
大庭さんは、こうした一小の沿革を話した後、兵学校附属小学校について解説し、掟書(おきてがき=校則)の内容を紹介。武士だけでなく町人の子弟も入学できたこと、七歳程度から入学できたが二十歳で入学する人もいたこと、暴力を伴う体罰は校内では禁止されていたこと、狩野川や我入道で水泳をしていたこと、徳川家康の命日や当時の徳川家当主の誕生日が休日になっていたことなどを話した。
また、附属小学校の卒業生として、日露戦争で活躍し陸軍大将にもなった井口省吾(大岡出身)や、札幌農学校(現・北海道大学農学部)でクラーク博士に師事し、後に農業振興に尽力して「二十世紀ナシ」の命名者にもなった渡瀬寅次郎などを紹介した。
兵学校附属小学校では机も自己負担だったことや、昭和三十年ごろの一小は全校児童数が約二干人(現在は約二百七十八)だったことなどを聴いて児童達からは驚きの声があり、附属小学校では乗馬の授業もあったことを知ると、「いいなあ」という声も聞かれた。
《沼朝平成26年2月6日(木)号》
|
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
松井俊一コラム:平成26年2月号その2「マスコミのバカ騒ぎ」 |
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
 |
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
コラム「マスコミのバカ騒ぎ」縦書きpdf
[マスコミのバカ騒ぎ]
小保方晴子さんが、将来、人間の万能細胞の簡易な作成に道を切り開くかもしれない、大きな発見をした(STAP細胞。二〇一四年一月三一日発表)。発表時の年齢は三〇歳という若さの、なかなか魅力的な女性である。彼女の功績は日本人として大変誇らしく思うし、今後、研究がいっそう進展することを心から祈りたい。これは、ごく良識的な国民が抱く、当たり前の気持ちであろう。
ところがである。発表後のマスコミのバカ騒ぎ振りは一体何なのだ。まさに、「開いた口が塞がらない」どころか、「開いた口がなお開く」といった状態である。親戚、友達、同僚などを巻き込んで、彼女の小・中学校時代のエピソードや作文、卒業アルバムなどを紹介したかと思えば、挙句の果ては、ファッションのことにまで、こと細かに言及して大騒ぎしている。まるで芸能番組ではないかと錯覚するほどだ。本当に、日本のマスコミはレベルが低い。彼女の思いもかけぬ災難に同情し、研究生活に支障をきたさなければよいがと心配していたところ、やはりそれが現実になってしまったようだ。同様な出来事のたびにマスコミが繰り返す、応援とは名ばかりの、妨害活動である。
しかし、彼女の賢さは、次のような形になって発揮され、これには、思わず快哉を叫んでしまった。それは、「報道関係者の皆様」に宛てられた、「お願い」(二〇一四年一月三一日)であり、次のように記してある。
一、研究発表に関する記者会見以降、研究成果に関係のない報道が一人歩きしてしまい、研究活動に支障がでている。
二、本人や家族のプライバシーに関わる取材が過熱し、世話になってきた知人・友人をはじめ、近隣の人にまで、迷惑が及んでいる。
三、真実でない報道もあり、その対応に翻弄され、研究を遂行することが、困難な状況にある。
四、報道関係者は、STAP細胞研究の今後の発展にとって、非常に大事な時期であることを、理解して欲しい。
マスコミ各社が、周りの迷惑など一切考慮せず、傍若無人の態度で取材している様子が、目に浮かぶようである。そしてこの「お願い」は、文面こそ丁寧ではあるが、言うべきことはハッキリと書いてある。彼女の手際よい対応に拍手をしたい。
それとともに、一人の若い女性から、ここまで噛んで呑み込むような形で説教されなければならないような、程度の低い日本のマスコミを睥睨し、猛省を促したい。報道関係者諸君、これは、君達の知的レベルがオソマツ極まりないことを自覚、猛省して、少しでもまともになるよう、真剣に努力しなければいけない、という警告でもあるのだ。
(二〇一四年二月四日)
|
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
松井俊一コラム:NHK新会長を応援する |
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
 |
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
コラム縦書きpdf
[NHK新会長を応援する]
NHK籾井勝人新会長が、二〇一四年一月二五日に就任記者会見を行った。そこでの発言が、物議を醸している。一部の政党やマスコミは、新会長の責任を問う声を上げているが、発言内容を吟味すると、新会長の言っていることは至って正論である。
記者会見での発言内容は、NHKの経営、番組についての基本方針から、番組内容、領土問題、慰安婦問題などに至るまで、NHKの会長としては、かなり踏み込んだものであった。具体的には、@NHKの経営、番組制作については、(放送の公平・公正を旨とする)放送法を遵守する。A番組内容については、現在の番組は民放化しているようであり、検討する必要がある。B領土問題は、海外向けの国際放送で明確に日本の立場を主張する。C慰安婦問題は、日韓基本条約で国際的に解決済みであるのに、それを蒸し返している韓国の対応はおかしい。その他には、首相の靖国参拝について、現状の報道のありかたは疑問であるなど、日本の公共放送として、しごく当たり前でもっともなことばかりである。
本人はその後、従軍慰安婦問題などについて、「就任の記者会見の場で、私的な考えを発言したことは間違いだった」と恐縮しているが、記者側の誘導尋問もどきの質問に対し、個人的な意見と前置きをして自説を開陳したものであり、過度に萎縮する必要はない。今後正々と職務を推進してもらいたいものだ。
筆者に言わせれば、むしろ、新会長の発言に対する、会見の場での報道機関の質問、その後のテレビや新聞報道のほうが、相も変わらず定型的、硬直的であった。まず、会見での記者の質問は、韓国や中国の言いたい放題を鵜呑みにしたようなものが多かった。とりわけ従軍慰安婦問題についての質問などは、諸外国における戦時慰安婦の実情について無知で、それをごまかしながら、低次元の揚げ足取りに終始した。記者の勉強不足が丸出しである。
また、テレビ朝日やTBSの報道は、いつものことだが、反日的で、親韓国・中国の色彩が露骨であった。新聞の論調でも、朝日新聞は相変わらず、売国的スタンスに立って新会長を批判した。ただしその一方では、産経新聞のように、新会長に対して、偏向しているNHKの是正を期待する声もある。政党では、民主党を中心に野党が責任追及の声をあげているが、政権担当能力が全く欠如し、無益有害で日本を破壊してしまった政党が、「責任問題」など口にするのは、笑止の沙汰である。
既に別稿(「軸がおかしいNHK」)でも述べたように、NHKは軸のズレが顕著であると断じているのは、筆者だけではない。現状の日本のマスコミが社会に与えている影響、特に悪影響について、多少なりとも思いを致したことのある人達の間では、ごく一般的な意見である。
例えば、中国の深刻で様々な出来事について、NHKが時に隔靴掻痒の報道しかしないのは、自局番組(例えば「シルクロード」など)の取材や放映で、中国に借りがあるためだ、という見方さえある。さらに、NHKの問題点に関して、筆者が経験したことを言えば、「みなさまの声にお応えします」という、NHKの視聴者向け対応欄に、次のような筆者の「声」を送ったことがある(二〇一〇年九月二九日付)。原文のまま記すと次の通りである。
BS1、二〇一〇年九月二七日、午後五:〇〇〜五:二四分ごろの解説番組の件です。解説をした加藤青延氏の解説スタンスに疑問があります。尖閣列島がわが国の固有の領土である旨をはっきりと述べない(少なくとも明確に述べてはいなかった)一方で、「中国の立場からすれば、中国の領土である」旨を数回述べていました。中国の理不尽が明白な今回の事件の解説として、公共放送としてのバランスを失した不適切なものでした。
翌二八日の民放の番組で、元NHKの池上彰氏がこの事件について、極めて的確、明快に解説されていましたので、少しは勉強されたらいかがでしょうか。なお、加藤氏の解説は、いかにも原稿丸読みのスタイルで、この点でも視聴者の聴く気を削ぐものであったことを申し添えておきます。
以上の通りである。しかしこの「声」に対して、NHKからは、「お応えします」というタイトルとは裏腹に、いまだ回答が無いままである。
現状のNHKは、大胆に改革のメスを入れる必要がある。そのためにも経営トップについては、NHKの生え抜きを排除し、まともな常識やバランス感覚を有する民間企業などの出身者が務めるべきである。新会長はこの問題で辞任する必要はない。そして、軸足が左にずれているNHKを、文字通り公正、中立でまともな公共放送へと是正していくことを期待したい。
(二〇一四年二月一日)
|
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
松井俊一コラム:アベノミクス一年の評価―日本経済の現状 |
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
 |
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
[アベノミクス一年の評価―日本経済の現状]
日本経済は、大きな流れで見ると、平成の初め頃から二〇年近くにわたって不振が続き、生産活動も物価も、横ばいないし下落傾向で推移するという、デフレスパイラルの状況に陥っていた。この間、GDPの総額は、世界第二位の地位を中国に譲り渡した。国民一人当たりのGDPでは、日本は依然として中国の一〇倍もあることを考慮すれば、この現象自体はさほど大げさに騒ぐべきことではない。が、相手は非常識な中華思想の持ち主であり、政治体制と経済体制が矛盾している国である。突如として防空識別圏を勝手に設定するなど、世界第二の地位になったことに悪乗りをして、何を言ったり、し始めたりするか分からないという危険性はある。
永きにわたる日本経済の悪循環から脱却を図るべく、一年前に発足した安倍政権は、「アベノミクス」と呼ばれる大胆な経済政策を導入した。アベノミクスは「三本の矢」と称する政策からなる。具体的には、@大胆な金融政策、A機動的な財政政策、B民間投資を喚起する成長戦略、の三本である。この政策は、三本の矢が好循環をすることが出来れば、持続的な経済成長を生み出す可能性はあるものの、一歩間違えば、経済、金融財政状況が格段に悪化するという、大きなリスクを抱えている。
仮にこの政策によって、景気の回復が一過性に止まるようなことになれば、結果は悲劇である。例えば、財政赤字の一層の拡大、円安下の輸出不振による国際収支(経常収支)の悪化、コストプッシュ型インフレの高進、金利の高騰など、様々な弊害がもたらされる可能性がある。
それでは、安倍政権一年後の現在における経済状況はどうなのか。結論を言えば、幸いにして日本経済は回復する兆しが生じつつある。一例をあげれば、円安を要因として、企業収益が増加していることがある。今後、企業収益の増加が、設備投資の増加や雇用者所得の増加をもたらすことになれば、日本経済は、二〇年来の不調から脱して、回復への大きな足がかりを掴むことになる。従ってこのような兆しをいかに大事に育てていくかが鍵になるが、雇用者所得が増加するためには、企業経営者による雇用者所得への経営的配慮(労働分配率のアップ)が不可欠である。従来の常識では考えられないことではあるが、首相自らが企業経営者に対して、雇用者の所得アップの呼びかけを行ったことは、それなりに画期的である。
ただ、日本経済が本当の回復をするためには、とどのつまりは、各種の規制緩和を始めとする、日本経済の構造改革が絶対に不可欠である。抜本的な改革のためには、戦後日本に根付いた三大疾病、すなわち、「平和・安全ボケ」、「閉鎖・排他」、「悪平等」を根絶することが避けて通れない。が、これは各種の既得権益集団と本腰を入れて闘うことを意味する。農業、医薬業界などを代表とする既得権益集団とどこまで本気で対決することができるのか。
自民党は各種の既得権益集団と浅からぬ係わり合いを持つ政党である。農業や医療を始め、最近、再びこれら集団の動きが活発になり始めている。アベノミクス完遂のための最大の関門は、自民党自身の中にあると言って過言ではない。
かつて民主党との選挙争いに破れ、野に下って身に染みた教訓が本物であったか否か。本当に試されるのは、むしろこれからである。
(二〇一四年一月二〇日 )
|
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
|
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
|
|
|
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
|
|
|
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
2014年01月05日 05時36分 |
平成26年日の出・象山・狩野川・街 |
 |
同期生明けましておめでとうございます。
狩野川越のの象山から登る日の出です。
上の段の「同窓会動画ブログ頁」に掲載しました、
又、左の画像をクリックでも動画にいきます。
以上 正月の沼津の日の出です。 |
松井俊一コラム26年1月号:「組織か運営か」 |
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
 |
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
[組織か運営か]
企業の組織には、必ず何らかの目的や狙いがある。例えば人事部であれば、「適材適所の人材配置、人材の育成、公正な人事評価などを、効果的、効率的に実現する(ための組織)」ということになろう。
組織の変更には相応のコストがかかる。単に施設やレイアウトの変更といった物件費(カネ)にとどまらない。組織をスムーズに運営させるまでに必要な時間、その間に生じる種々の混乱、人材育成に要する時間などまでを含めると、「組織変更のコスト」は見た目よりはるかに大きい。もちろん組織の変更は必要に応じて実施すべきである。が、一方でコストの観点からすれば、組織は長持ちできるものであるなら、それに越したことはない、ということになる。
組織変更の是非を判断する重要なポイントは、現在の組織の下で生じている不都合の原因が、「組織」にあるのか、それとも「運営」にあるのかを見極めることにある。そのためには、現在の組織の運営が果たして当初の目的や狙い通りになされているのか、厳正なチェックと評価を行うことが不可欠である。
「運営」は、運営する人、とりわけ組織の長の問題に帰着する。そして運営のチェックは必然的に運営する人の評価につながることになる。辛いことかもしれないが、不都合の主因が運営のマズさにあるのなら、変えるべきは、組織ではなく人である。運営のマズさを不問にして、組織の変更を行う、さらには運営する人に合わせて組織を変えるといったような事態は、まさに本末転倒である。企業の「組織」と「運営」では、どちらが大切か。究極の択一をするならば、それは間違いなく運営である。
最近、組織と運営に関する無知蒙昧が見事に露呈した事例があった。東日本大震災、福島原発事故の発生時に、当時の首相、菅直人がとった行動である。いまだ記憶に新しいが、菅は事故に対応するためと称して、既存の組織の運営の仕方にさしたる工夫や努力を払うことなく、次から次へとやみくもに新しい組織をつくった。そして政府を大混乱に陥れ、その結果、天災である震災が人災に転化されてしまった。実はこの時、日本が行うべきであった方策は、組織を変えることではなく、組織と運営について、理解、応用する能力が全く欠如した、菅直人を変えることだったのである。
さて、企業の各組織(部署)の多くには、組織としての権限が付与されている。その理由は企業がその目的を達成するために、必要だと判断されたからに他ならない。見方を変えれば、権限を与えられた部署がその権限を充分に行使してこそ、企業の目的が達成されると言うこともできる。
ただでさえ経営を取り巻く環境の変化が、複雑かつ目まぐるしい昨今である。経営トップは急激な環境の変化はもとより、緩慢であっても着実に進行するであろう変化の兆しを、いち早く察知しなければならない。そして、たとえ見た目の動きは緩慢であっても、それが構造的な変化であるならば、早め早めに確たる対策を打つ必要がある。
しかしながら、変化の見極めと対策の断行は言うべくして容易ではない。しかもこの手の意思決定はボトムアップ方式には馴染まないことも多い。とりわけ、緩慢でありながらも着実に進行する変化については、数字やデータでの裏付けが難しく、意思決定の究極の決め手が「感性」によらざるを得ない場合も多いからである。
従って、経営環境の変化の見極めと対策の断行は、まさにトップ自らに課せられた重大な職責である。今後の企業経営においては、このような意思決定を下すべき事態がますます増えていかざるを得ないであろう。だとすれば、その経営を支えるためにも、各部署が予め付与された権限内の事項については、速やかに決断し、権限を行使するという必要性が益々高まっていくことになる。
そして権限を行使し、その結果不都合が生じた場合には、権限を行使した部署が責任を負う。これは何も難しい話ではない。権限の濫用を防止するための当然の理である。権限を付与されているにもかかわらず、やたらトップや他の部署に相談することが多いような部署は、親切でも民主的でもない。権限の行使を留保して、責任を他にヘッジしているだけである。このような部署から生じる不都合は、部署(組織)そのものに原因があるのではなく、むしろ運営する人に原因がある場合が多いと言って、あながち過言ではないのである。
(二〇一四年 一月二日)
|
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
がんばる学校応援事業 |
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
|
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
伝統文化で新年準備
沼津第一中 料理や書き初め

沼津市立第一中で24日、日本の伝統文化に触れる授業が行われた。全校生徒約150人が、ミニ門松、フラワーアレンジメント、正月料理、絵手紙の年賀状づくり、書き初めの5講座で、新年を迎える準備を体験した。
体験授業は市の「がんばる学校応援事業」の一環で、地域の専門家や生徒の保護者が講師を務めた。正月料理づくり講座では、約30人がサツマイモを使った「フルーツきんとん」「くるみ入り田作り」「柿なます」の3品に挑戦した。慣れない手つきで包丁を持ち、ダイコンやニンジンの皮をむいたり、千切りしたりした。料理が完成すると、丁寧に皿に盛りつけた。
家でも料理をするという後藤颯人さん(15)は「正月料理は初挑戦。手間はかかるけど、家族にも食べさせたい」と笑顔で話した。
《靜新平成25年12月25日(水)朝刊》
|
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
松井俊一コラム12月号「沼津東高等学校への思い」 |
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
 |
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
[沼津東高等学校への思い]
これから記す内容は、沼津東高等学校の関係者から顰蹙を買うことになるかもしれない。筆を執ることに多少のためらいもあった。が、生来のへそ曲がりゆえ、冥土への道のりが短くなるにつれて、卒業生の中にはこのような意見の者もいたことを言っておいた方がよいかもしれない、との思いが強くなり、あえて記すことにした。
筆者は、昭和三六年の四月から三九年三月までの三年間を、静岡県立沼津東高等学校で学んだ。家内も途中で東京の高校へ転校はしたが、入学は沼津東高であり、妹とその夫も、また沼津東高の卒業生である。当時の校舎は、いかにも戦後の急ごしらえの木造で、旧制沼津中学校の跡地にあり、JR沼津駅から徒歩一五分程度の距離にあった。旧制沼津中学校は戦災で殆どが消失したため、辛うじて焼け残った正門の門柱とプールが、わずかに当時の面影を残すのみであった。学校の東には香貫山が迫り、北には狩野川が流れ、その奥には富士山がそびえている。そして西の彼方には駿河湾があり、手前には千本松原が横たわっている。四季の移り変わりを肌で敏感に受け止めることができる立地であり、学び舎としての環境はまことに申し分なかった。
今改めて思い返してみても、東高で得ることのできた最大の財産は、友人であった。生徒は、沼津市内はもとより、富士川以東、御殿場方面を含め、伊豆半島全域から集まっていた。いわゆる「越境入学者」も多く、JR沼津駅近くの街中で育った筆者には、大げさに言えば、日本にはこれほど多様、多彩な人間がいるのかと驚くくらい、数多くの友人達と交遊ができ、新鮮な刺激を受けることができた。現在でも親交を続けている東高時代の友人達は、筆者のかけがえのない財産になっている。
当時でも、学区外からの入学は否ということにはなっていたが、規制の実態は緩やかなものであったように思う。筆者は、常々、「平和・安全ボケ」、「閉鎖、排他」、「悪平等」の三つの因習が、戦後の日本を蝕んだ最悪の「生活習慣病」だと考えている。その観点からしても、生徒が沼津市などに限定されることなく、県東部の地域からあまねく集まることは、素晴らしいことである。当時の東高の最大の長所であり、かつエネルギーの源は、実は、「生徒どうしの切磋琢磨」にあった。そして、校舎が沼津駅から徒歩圏内にあることは、電車やバスで通学する生徒にとって、特筆すべき利便性だったのである。越境入学大いに結構。そればかりでなく、むしろ本来の学校のあり方は、「学区」などは設けずに、オープンにすべきなのだ。
いまだに疑問に思うのだが、何故東高は校舎を移転させてしまったのか。周囲の環境が悪化したからという理由を、側聞したことがあるが、それは明らかに嘘であろう。ちなみに、環境を問題視するのであれば、例えば東京都立新宿高校を見るがよい。旧沼津東高がいかに恵まれた環境にあったか、一目瞭然である。また、東海大地震と津波を想定し、高台に移転したとも言われるが、だとすれば、依然として沼津市内に立地している小、中学校や高校などは、どういうことなのか。
さらに、同じ場所で立て替えるとコストが多くかかるため、という理由も聞くが、一時的なコストの問題と、長期にわたって日本の屋台骨を背負うべき優秀な人材を育成することの重要性とを比較すれば、どちらを重視すべきかは、自ずと明らかである。まさか、特定の建設業者や団体の、利害や思惑が絡んだ移転であったとは思いたくないが、いくら考えても、校舎を移転させた理由が、いまだに納得できない。
ひるがえって、JR沼津駅からさらにバスに乗らなければ行けないような、現在の立地は最悪である。理由は明快、この立地が遠方から通学する上での大きな障害となっているからに他ならない。現在のような学校のレベル低下をもたらした原因は、もちろん、理数科の設置に遅れをとった、学校運営の哲学、基本方針が的確でなく、先見の明に欠けていた、ことなども考えられ、決して校舎の移転ばかりが原因ではないと思う。が、自分の愛すべき母校の基盤が停滞していることを聞かされるたびに、いかにも残念で寂しい気持ちになる。
筆者はいささか複雑な思いをもって、旧制沼津中学の跡地にあった学校を「旧制沼津東高等学校」、現在の学校を「新制沼津東高等学校」と呼んでいる。そして筆者の母校は、「旧制沼津東高等学校」なのである。
(二〇一三年一二月三日)
|
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
j松井俊一コラム「軸がおかしいNHK」 |
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
 |
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
[軸がおかしいNHK]
最近NHKのテレビが、以前にも増して、おかしくなっている。民放各局のレベルのひどさは今さら言うまでもないが、仮にもNHKは、「公共放送」の看板を高々と掲げ、決して安くはない受信料を国民から徴収している。民放の模範となるような、より高い品質が保持されて当然であるにもかかわらず、最近は、お笑い芸人の多用など、むしろ民放にすり寄るようにして、益々レベルダウンしている。
具体的には、第一に、NHKのCMと言うべき自局番組のPRが、あまりにも多いことである。番組の合間毎に、これでもかと言うほど、PRを行っている。ひどい時は、これが延々と数分間にも及び、地上波、BSを問わず、頻繁に行っている。とりわけ、NHKが毎回売り込みに躍起となっている朝の連続ドラマについては、ひどさが目に余る。
筆者は、俗に言う「朝ドラ」には、全く興味のない視聴者の一人である。この手のドラマは既に四〇年以上にわたって、全く視聴したことがない。朝ドラのPRが始まると、これを見たくないので、チャンネルを変更することが多いが、変更した先のチャンネルでも同じPRを行っているということが頻繁に起こる。こうなると理屈抜きで不愉快である。こういう視聴者の迷惑をNHKは、本気で考えたことがあるのだろうか。NHKの態度は、日本国民であるならば、朝ドラを見るのが当然といった風にさえ思える。いいかげんにして欲しい。視聴者はNHKのPRを見るために視聴料を払っているのではないのだ。
第二は、まさに報道機関としての本質に関わる問題である。テレビ朝日、TBSなどの民放ほどにひどくはないにしても、特定の問題についての報道姿勢に、偏向した意図や恣意が働いているのではないかと、疑われるケースが時折ある。
その代表例は、「インタビュー」への取り組み姿勢である。各種のインタビュー放映の中には、賛成、反対の意見数や内容などが、きちんと全体の傾向を反映したものになっているのか、疑わしいケースがある。分かりやすく例をあげて言えば、例えば国民の過半数が賛成している問題でも、反対意見の者を三名登場させる一方で、賛成の者を二名に止めれば、それを見た視聴者は、国民全体では反対意見の方が多いのではないか、という錯覚に陥りやすい。仮に人数は相応のバランスがとれている場合でも、賛成者と反対者の発言時間がアンバランスであれば、同様な錯覚は起こりやすい。実は報道機関の恐ろしさはここにある。報道機関は運営の仕方ひとつで、国民の判断をミスリードすることが可能なのである。
「政治討論会」もインタビューに似たところがある。政党が一堂に会して行われる政治討論会において、通常は冒頭などに、各党の主張を披露する場面がある。この時、各党の持ち時間は概ね同等に割り振られていることが多いが、このやり方には疑問がある。国民の僅か一%程度の支持しか得ていない泡沫政党が、国民の数十パーセントの支持を受けている政党と同じような持ち時間で意見を述べる場を与えられるのは、一見公平のように見えるが、果たしてそうであろうか。実質的には、泡沫政党に過大な持ち時間が与えられていることになり、むしろ政党支持率を加味して各政党の発言時間も比例配分するほうが、より合理的と言える場合がある。
さて、NHKのみならず、現在の日本の報道機関は、筆者に言わせれば、既に「報道の自由」を飛び超えて、「報道の濫用」の領域に入ってしまっている。それに対して僅かでも歯止めをかけたり、節度を求めたりすると、「国民の知る権利」を盾にして、反対、大騒ぎをする。自分達の行動を少しでも束縛する恐れのあるものは、とにかく排除するという姿勢である。
しからば日本の報道機関に問う。「国民の知る権利」とは、報道機関にとっては、すなわち「国民に知らせる義務」ということになるが、果たして報道機関はこの義務を充分に履行しているのだろうか。答えは否である。日本の報道機関は最近でもとりわけ次の二点で、国民の知る権利を明確に阻害している。
第一に、日本の政治に対する近隣各国、中でも中国、韓国、北朝鮮三か国の反応は、各々の政府の報道官を通じて頻繁に伝えるのに対して、日本政府サイドの報道官による主張は、殆ど報道されることがない。これでは、肝心の日本国民が、日本政府の立場や方針を正しく把握することは困難である。
第二に、より重大なことは、例えば在日韓国人などに対する日本人の抗議活動(ヘイトスピーチ)など、特に近隣三か国が過剰反応をする恐れのある事件については、黙殺を決め込んで、報道をしていないことである。中国漁船が領海侵犯と狼藉を行った尖閣諸島事件の際も、日本国民が中国に対して起した抗議行動について、殆ど報道することがなかった。この場合、「国民の知る権利」を標榜している報道機関は、果たしてどういう理屈でこの重大な不作為や黙殺を釈明するのであろうか。どちらかの肩を持てと言っているのではない。このような出来事が、日本の国内で勃発しているという事実を、事実として国民に知らせるのが、まさしく報道機関の責務ではないのか。
さらには、第二の逆で、閣僚の靖国神社参拝問題などに見られるような、過剰報道もある。そもそも、靖国神社を参拝するか否かは、個人としての考え方の問題である。他者、まして他の国がとやかく言うべき問題ではない。祖国のために命をささげた人に、哀悼、畏敬の念を抱くのは、日本人として当然の心情であり、閣僚の中には親族に殉死者がいる場合もある。本来は報道にすら値しない、あるいはむしろ報道すべきでないような出来事を、ことさらに取り上げている。近隣三か国に対して媚を売り、言いがかりを助長、扇動しているとしか思えない対応である。
「報道の自由」は、決して「報道の放任」ではない。もちろん、「報道の濫用」は厳にあってはならないことである。日本の報道機関が持つ危うさは、実は、報道の自由を標榜しながら、巧妙に報道の濫用を行っていることにある。現在の報道機関に必要なものは、まさに「見識」と「良識」である。そして、見識とは「ものごとの本質を見抜く力」であり、良識とは「健全な常識」なのである。
(二〇一三年一一月四日)
|
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
内田文喬弁護士「秋の受章」(沼津市立第一中学校8回期生卒) |
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
|
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |

旭日小綬章(人権擁護・弁護士功労)
内田文喬(うちだふみたか)氏
(人権擁護委員、元日本弁護士連合会常務理事、沼津市)
人権問題時代を反映
人権擁護と社会正義の実現が弁護士の使命と考え、活動してきました。人権擁護委員として、主に子どもたちを対象にした悩み相談や人権教室などに取り組んできました。この受章が地道に活動する県内約300人の委員の励みになればと思います。いじめやインターネット上での中傷など、人権の問題は時代を反映しています。変化に対応できるよう、常に学んでいきます。
《靜新平成25年11月3日(日)秋の受章》
|
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
松井俊一コラム:25年10月青首と桃太郎 |
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
 |
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
[青首と桃太郎]
青首と桃太郎。ご存知の通り、日本全国を席巻した大根とトマトである。
青首大根は首の部分が緑色の大根で、肉質は柔らかく、辛味が少なくて、煮崩れがしにくい特徴がある。桃太郎トマトは、青臭さや酸味が殆どない、フルーツ感覚のトマトである。さらに最近では、これよりも一段とフルーツ色の強いトマトも出現している。青首も桃太郎も、その特徴が多くの人に歓迎されたからこそ、全国制覇を成し遂げることが出来たのであろう。しかし待てよ、である。世の中には、例えば筆者のように、青首より辛味のきいた大根や、桃太郎より酸味のあるトマトを好む人間も、いるのである。
大根には、「下ろす」という調理方法がある。言うまでもなくソバなどの薬味として用いる場合である。薬味としてのダイコンは「辛味」が命であり、辛味がなく薄甘い大根では、とてもではないが、さまにならない。昨今は青首以外のダイコンを店頭で見つけるのが難しいため、ダイコンを薬味として用いる場合には、仕方なく、先端の部分を皮ごと下ろして辛味を出す工夫をしている。が、これとても辛味は不十分である。
また、トマトは、外殻と中身の双方にしっかりとした歯ごたえがあり、かすかに酸味のあるものこそ、筆者の好みであり、幼い頃から好んでトマトを食べるようになったのは、トマトの持つ、この特徴のゆえである。しかし、最近のトマトは外殻がしっかりしているものでも、中身は柔らかいものが多い。酸味も殆どないため、トマトを旨いと感じることが、年々薄れてきている。
トマトなどの野菜に限らず、最近は、ミカン、イチゴ、リンゴなどの果物類も、総じて酸味が薄れ、甘みだけが増してきているものが多い。しかし酸味がなく、ただ甘いだけのミカンやイチゴは本当に旨いと言えるのだろうか。甘さだけの勝負なら、それこそ砂糖を舐めればよいではないか。ミカンやイチゴが旨いのは、甘味と酸味のバランスがほどよくとれているからに他ならない。酸味があってこそ、甘みが生きてくるとも言えるのである。筆者は幼いころ、ミカン、とりわけ伊豆で採れる酸味のきいたミカンが好物であった。しかしミカンが甘くなるにつれて、年々食する機会が減ってきて、最近では、沼津の「西浦ミカン」を入手できた時に、食べる程度になってしまった。
味の画一化だけでなく、総じて日本の野菜や果物は、形状の画一化も進められているようだ。梱包や輸送時、店頭に並べる時の効率などを考えてのことだろうが、果たしてこれだけでよいのだろうか。消費者のニーズは、必ずしも「金太郎飴」と化した野菜や果物にばかりあるのではない。品揃え、すなわち、幅広く選択の余地が大きいということも、重要なニーズなのである。この点では消費者のニーズが充分に満たされているとは言い難い。
消費者にとって選択の余地が狭められていることは、味と形だけでなく、価格の面でも同様である。日本では殆どの農産物が、ひたすら高価格化のみを目指しているように見える。しかし、例えば一個百円のトマトのほかに、形は悪く不揃いだが、価格は安いといった類のトマトも、もっともっと店頭に並べられてよいのではないか。
日本の農業生産者、農業団体、大型小売店などには、作り手や売り手側の論理だけでなく、もう少し、消費者のニーズに対して真摯に応える、本当の意味での消費者志向があってよいと思われる。
(二〇一三年一〇月二日)
|
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
躍る雲平成25年9月12日号 |
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
 |
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
沼津市立第一中学校だより

 |
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
同期生・川島泰彦君ラトビア関係者として来沼(栗原市長の隣) |
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
|
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
ラトビア大使館関係者らが来沼
15日までの企画にちなみ市長表敬も

東欧バルト三国の中央に位置するラトビア共和国の関係者が十一日、市役所を表敬訪問し、栗原裕康市長と面会した。
沼津駅南口前の沼津商連会館ビル一階のギャラリーぷらざで十五日まで開催甲の「ラトビアウィークin沼津」にちなんでのもの。当初は駐日ラトビア大使のノルマンス・ペンケ氏が来沼の予定だったが、家庭の都合で急きょ帰国したため、同国大使館次席のダナ・ルダカ氏が市長を訪れた。
ルダカ氏は通訳を介して「ラトビアのことを沼津の皆さんに紹介できたら」と話し、栗原市長は「ラトビアはソ連に占領され、スターリン時代も経験しています。ラトビアの人達は、そうした、日本人にはない体験を持っている。今後、日本との交流が強化されることを期待します」と応じた。
また、市長はルダカ氏に英語で話し掛けながら沼津ゆかりの記念品を渡したほか、ルダカ氏が富士登山をしたことを知ると「山頂まで登りましたか」と英語で尋ねた。
ラトビアは平坦な地形で、最高峰の山も標高三〇〇b級であるため、欠席したペンケ大使も富士山には強い関心を抱いているという。
《沼朝平成25年9月12日(木)号》
|
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
同級生交歓:文芸春秋平成25年10月号「東高第23期生」 |
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
|
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |

旧制沼津中学から受け継ぐバンカラな校風、下駄履きで闊歩する東高生は沼津の名物であった。東海大地震・津波を想定して市街地から東名高速道路下の高台の現校舎に移転した第一期生が我等である。
日本ペンクラブ歴代会長二名、大賀典雄氏など著名な先輩が在学中に講演に来校、運動部のインターハイ優勝、国体出場と文武両道に秀でた同級生も還暦を迎えた。後藤(行宏)君は地元で家業を継ぎ有力企業に発展させ、同姓の後藤(正博)君は世界最優良と称される地方銀行の大幹部として地元企業を金融面で支援している。
医師も多く、東北大学病院から仙台郊外で整形外科を開業した浅井君や関東逓信病院から細君の地元、松島で透析クリニックを手掛ける中山君の両名は、自宅・医院が共に大震災で被災したにも拘らず翌日より昼夜兼行で診療を開始。東芝の主幹産業医を勤めた本多君は、医師として労働衛生コンサルタントとなり、秘かに作家への転身も目指す。
高野山大学から金剛峯寺に残った五味君は、阪神淡路、中越、東日本と震災の度に持ち前のバイタリティーで被災者を物心両面から支えている。
一橋大学の同じゼミでも一緒に学んだ園部君は、欧米勤務が長く、丸紅常務から系列リース会社の社長となり、渡邉は三菱商事、米国投資銀行、世界銀行勤務を経て、帰国後は事業再生、企業買収・提携等のコンサルタントとして世界中
を飛廻り、東北復興の案件にも微力ながら携わっている。(渡邉)
【文芸春秋25年10月号:同級生交歓】
|
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
松井俊一氏9月コラム:広告界の体質 |
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
 |
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
[広告業界の体質]
去る八月六日付けのコラム(「下品なテレビCM」)について、高校時代の同期生Eさんから、有難いご意見を頂戴した。Eさんは、かつて広告代理店のD社に勤務されていたようで、いわば広告業界のプロである。ご意見の要旨は、概ね次の通りであった。
@人々を不快、不安にする広告は、印象が強ければよいとのアメリカで開発された広告技法によるものである。視聴者は眉を顰めながらも、結局は当該商品を買っている。Aアメリカではコマーシャルをより多く投下した方が勝つとされている。これが民主主義の現実である。B日本のテレビ放送に、俗悪番組や知的レベルの低い番組が多く、また、「お笑い芸人」が多用されているなどの原因は、テレビ各社が経済原則に基いて「コスト・カット」をし、安価に視聴率をとろうとしているためである。C広告主やテレビ局の経営者たちは、視聴者のレベルは低いと考えている。Dテレビが日本国民を愚民化した面もあるが、それ以前に日本人は占領政策で愚民化されていたのではないか。E広告業界にも当然倫理綱領はある。虚偽広告や、反社会的表現は禁止されており、自主規制な監視機関もある。「キンチョール」のコマーシャルはこれらをクリアーしたものであり、米国に比べればおとなしいものである。F広告業界の社会的存在価値は、商品・サービスの最新情報を提供することと、報道機関としてのメディアを下支えしていることである。広告がなければ、日本の新聞の価格は二倍半の月額一万円以上に、テレビとラジオはNHKだけにするか、ペイTV、またはオンデマンド方式ということになる。Gテレビを視聴することは強制されてはいない。見たくない人は見なければよいだけの話。H広告を非難することは簡単だが、対案はあるのだろうか。
ご意見は多岐にわたるが、要するに、日本のテレビCMやテレビ番組が下劣である原因は、もともとCMの先駆者であるアメリカが悪いこと、テレビ視聴者、広告主、広告代理店のレベルが低いこと、経済第一主義や悪しき民主主義などに由来する、とのことである。平たく言えば、「日本のテレビ番組やCMが下劣であるのは、飽くまで外部要因によるものであって、広告業界が悪いのではない」ということであろう。なお、文中でアメリカが相当に悪者扱いされているが、米国の中でも、筆者がかつて生活していた東部十三州は、敬虔なキリスト教徒やWASP(White Anglo‐Saxon Protestant)が多く、日本よりはるかに保守的で厳格な土地柄である。
銀行勤務時代、今は故人となってしまったが、筆者には親しくしていたD社勤務の友人がいた。彼がよく口にしていたのは、「広告業界は、会社の形態こそとってはいるが、実態は個人事業者の集合体のようなものであり、企業としてのガバナンス(統治)が働きにくい」ということであった。日本で有数のガリバー型企業が、自浄能力なく暴走する業界は、「百害あって一利なし」である。
D社には「鬼十則」と言われるものが存在するようである。一九五一年、四代目の社長によりつくられた社員の行動規範である。一部を紹介すると、@「仕事とは、先手先手と働きかけていくことで、受身でやるものではない」A「大きな仕事と取り組め、小さな仕事はおのれを小さくする」B「取り組んだら放すな、殺されても放すな」、などといった、挑発的なものである。さらに、一九七〇年代に提唱された「戦略十訓」なるものには、@「もっと使わせろ」A「捨てさせろ」B「無駄使いさせろ」C「混乱をつくり出せ」、などが掲げられている。業界の暴走体質を彷彿とさせる規範である。
実際のところ、D社は、従業員の過労死自殺事件(一九九一年)を起こしたり、公正取引委員会から業界における独占化が問題視(二〇〇五年)されたり、元部長が知人の経営する会社から一億六千万円をだまし取った疑いで逮捕(二〇一一年)されたりする事件を起している。広告業界における「コンプライアンス(法令順守)」や「コーポレートガバナンス(企業統治)」は、有名無実であるようだ。
筆者の勤務していた銀行業界もさして誉められたものではないが、国民経済の視点に立ち、エネルギー、鉄鋼などの素材型産業から、自動車や電機の組み立て加工型産業に至るまで、日本の屋台骨を支える産業に資金を供給して、戦後の日本経済の発展に多少なりとも貢献してきたという自負や、公共性の高い業務に携わっていることの自覚と自浄能力は、はるかに有している。
「テレビを視聴することは強制されてはいない。見たくない人は見なければよいだけの話」は、この手の議論によく使われる常套句である。あえてそこまで見たくなくても、勝手に玄関をこじ開けるようにして、次から次へと一般家庭の中へ入り込んでくる、現在のテレビ放送の押し付けがましい実態こそが問題なのに、である。
また、「広告を非難することは簡単だが、対案があるのか」との問いが投げかけられたが、答えはある。その一つは、Eさんも言及しているように、テレビとラジオは、NHKと、ペイTV、またはオンデマンド方式だけにすることである。そうなれば、料金を払ってまで見ることに耐えられないような低品質の番組は、自ずと淘汰されることになるからである。そして、何よりも有効で抜本的な解決方法は、コラムにおいて筆者が述べたように、下品なCMを流している会社、下品な番組のスポンサーになっている会社の商品を、消費者が断じて購買しない、ということである。
(二〇一三年九月一日)
|
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
松井俊一コラム「下品なCM」 |
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
 |
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
[
[下品なテレビCM]
テレビ放送を視聴していて、下品で不愉快なCMを見せつけられることが頻繁にある。
下品なCMの代表格は、殺虫剤メーカーのそれである。例えば、中年女性がいかにも品のない踊りをしながら、商品の宣伝をしているものなどである。これを見て、商品の購買意欲を高める視聴者は果たしてどれほどいるのだろうか。仮にいるとしても、それは大阪地区のごく一部の人間だけのような気がする。筆者の場合は、下品なCMを見せつけられる都度、この会社の商品は買うものか、という気持ちを新たにしている。
はっきり指摘すると、下品なCMの主はキンチョウを始めとする各社である。何故この業界は、競うようにして下品なCMを流すのであろうか。視聴者に受けているとでも思っているならば、それはとんでもない思い違いであり、眉をひそめている視聴者の方が圧倒的に多いはずである。呆れたことに、普通の製薬会社までもが、虫除け商品については、いかにも下品な歌い方をするCMを流している。
そもそも日本のテレビCMには、商品やサービスそのものが、公の電波に乗せるべきではないと思われるものが幾つもある。例えば、パチンコ、生理用品、予備校などのCMである。パチンコについては、親が夢中になっている間に、連れてきた子供が誘拐されたりする事件や、自動車の中で待たせていた子供が、熱中症で死亡したりする事故が発生している。北朝鮮との不透明な関係が噂されたりもしており、パチンコが日本経済の健全な発展に貢献している産業であるとは、微塵も思えない。アメリカでは、タバコやウイスキーですら、テレビによるCMが禁止されている。日本のテレビ局はいかにも脇が甘く、社会に対して無責任であるとのそしりを免れない。
CMだけでなく、日本のテレビ放送には、人の弱みや痛みをもてあそぶ俗悪番組や、知的レベルの低い「井戸端会議」のような番組があまりにも多い。そしてこれらの番組の多くを支えているのは、さしたる芸も能もない「お笑い芸人」達である。最近の民放には、テレビ東京の一部の番組を除き、良質な啓蒙番組や教養番組が極めて少ない。視聴した後で、単なる時間の浪費に過ぎなかったと、後悔させられるような番組が大半である。日本人の白痴化を推進している原動力の一端は、間違いなく現在のテレビ放送が担っている。
さらに、特定の政党をターゲットにして批判するなど、偏向した政治姿勢を露わにしたため、当該政党(自民党)から取材禁止を受けたようなテレビ局もある。かのオーム真理教事件で、オーム側に情報を漏洩し、坂本弁護士一家の殺害を誘発した、あのTBSである。政治に関する番組で、偏向が目立つテレビ局は、テレビ朝日もまたしかりである。他方で日本テレビやフジテレビは、瞠目するような質の良い番組が少ない。そしてNHKをも含めたテレビ局の全てが、無節操に、「百害あって一利なし」の韓国ドラマを垂れ流している。
公共放送であるNHKについては、最近、番組の低俗化が顕著である。また、NHKは自局番組の宣伝がやたらに多いが、いいかげんにしろ、である。視聴者はNHKのCMを見るために視聴料を払っているのではないのだ。
このところ、若者のテレビ離れが顕著と言われる。このような日本のテレビ局の惨状を見れば、当然の帰結であろう。このままであれば、これからも、若者のテレビ離れは進み、インターネットへの傾斜がますます強まっていくものと思われる。
テレビ局の現状を批判すると、この業界は必ず「言論の自由」や「報道の自由」を盾に取って、言い訳と抵抗をする。彼らの言う、言論の自由や報道の自由の実態は、「言論の放任」であり、「報道の濫用」であるにもかかわらず、である。
結局のところ、下品なCMや低俗番組を一掃できるのは、視聴者しかいないのかもしれない。その決め手は、下品なCMを流している企業や、低俗番組のスポンサーになっている企業の製品を、一切購入しないということである。
(二〇一三年 八月六日)
|
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
平成25年7月27日(土)山村君・端山君・長谷川 |
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
|
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
沼津夏祭りにて端山氏と山村氏と長谷川。
尚、上段の同窓会動画ブログに別の写真掲載。
明日、写真集2に多数の写真をアップします。
又、↓の画像をクリックしますと、沼津音頭入りのスライドに行きます。

|
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
松井俊一氏コラム[安倍政権の評価―ユニークな物差しを使って] |
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
 |
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
[安倍政権の評価―ユニークな物差しを使って]
二〇一三年七月の参院選は、自民党の圧勝、民主党の大敗に終わった。民主党は獲得議席が一七にとどまり、結党以来の最低で、文字通りの歴史的敗北である。民主党の惨敗は、政権を担当した三年余における、数々の売国的、亡国的悪行を考慮すれば、当然の報いであり、驚くには値しない。むしろ獲得議席が0近くまで落ち込み、党が一気に崩壊に向かって滑り出したとしても不思議ではなかった。今後の党の動きを注視したい。
その一方で、安倍政権についてはどう評価すべきか。この際、政権の良し悪しを評価する一つの尺度として、ユニークな物差しを採用してみたらどうであろうか。その物差しとは、中国、北朝鮮、韓国、ロシアの近隣四か国が、日本の政権を警戒しているのか否か、平たく言えば、彼らの評判が良いのか悪いのか、というものである。
この近隣四か国は、チャンスがあれば日本の国力を弱体化しようと、虎視眈々としている。中でも彼らが一番神経を尖らせているのが、日本の防衛力である。日本の軍事力が脆弱で、自国の防衛もままならないような、「五体不満足な国家」であればあるほど、彼らは自分達のペースでやりたい放題ができることになる。中国による尖閣諸島への侵食、韓国による竹島の不法占拠などは、まさにやりたい放題の代表例である。
日本が憲法九条に象徴されるような、「少女趣味的平和主義」を唱えることは、近隣四か国は大歓迎である。この「空念仏」は、日本の防衛力を弱体化させるのに好都合の理屈として悪用できるからである。その意味では、「空念仏」を唱えている、日本の社民党、共産党、民主党などは、四か国にとってはまことに愛すべき政党ということになる。
逆に日本が、「五体満足な主権国家」、すなわち、「自分の国は自分で守ることができる、あたり前で常識的な主権国家」を目指して、防衛力を整えようとすると、たちまち「右傾化」、「軍国化」などと大騒ぎをする。日本の閣僚の靖国参拝という、内政問題についてまで次元の低い干渉を堂々と行い、中国に至っては、自国の非民主的で人権無視の憲法や、強烈に増強中の軍事力をさておいて、日本の憲法改正への動きを非難するのだから、笑止の沙汰である。
日本のマスコミが、少女趣味的な平和主義を叫ぶことも、四か国は大歓迎である。具体的には朝日新聞、毎日新聞などのマスコミは、四か国の応援団の役割を立派に果たし、彼らの傍若無人ぶりをますます助長する結果をもたらしている。日本の弱体化に情熱を燃やしているとしか思えない、これらの政党やマスコミの本籍は、日本ではなく、中国や朝鮮といった外国にあると見たほうが妥当のようだ。
それでは、近隣四か国の評価を物差しにして、現在の安倍政権を見ると、どうか。近隣四か国は、安倍政権に対して警戒感を強めている。評判も悪く、「右傾化」、「軍国化」などと非難している。ということは即ち、安倍政権は、久しぶりで日本に誕生した、「まともになり得る政権」であると言える。とりわけ領土問題に対する取り組み方針は今のところ是である。この方針は微塵も崩すべきでなく、むしろさらに強化すべきである。
ただし、安倍政権に対して今後しっかりと注視していくべき点も、数多くある。まず、自民党が自分達で言うほどに、生まれ変わっていないとすれば、過去の歴史の繰り返しで、またぞろ派閥の長老や族議員たちが頭をもたげ、跳梁跋扈を始める懸念がある。俗に言う「日本農民党」などの復活である。さらには、農業、医療、郵便、電力の業界など、「既得権益集団」の横槍に屈することなく、これらに抜本的なメスを入れ、本当に日本の構造改革を断行できるのか。また、農業を始めとする国内の既得権益集団の圧力を跳ね返し、TPPに筋を通した対応ができるのか。さらには、中国、韓国に対して「戦略的互恵」などと言う、非現実的な「言葉のまやかし」を、きっぱりと捨て去ることができるのか、などなどである。
政権の今後を、これからもしっかり注視していきたいと思う。
(二〇一三年七月二二日)
|
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
日記のタイトル |
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
|
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
甲子園を懸けた球児たちの戦いが、今年も静岡の夏を熱くするー。
第95回全国高校野球選手権静岡大会は13日、草薙球場で開幕する。参加校は学校統合により、昨年から2校減って117校。
清水商と庵原が清水桜が丘、静岡市商と静岡南が駿河総合として新たな一歩を踏み出す。開会式は午後1時から、開幕戦「島田ー東海大翔洋」は午後2時50分からリニューアルされた草薙球場で2年ぶりに行われる。順調に日程を消化すると、27日に準決勝、29日に決勝を行う。昨秋からしのぎを削る常葉菊川と静岡の最終決戦となるのか。連覇を狙う常葉橘、初制覇を目指す飛龍など第三の勢力が割って入るか。序盤から目の離せない戦いが続きそうだ。
《静新平成25年7月12日(金)》
沼津東校等学校
蔵元主将
夏の大会をイメージしながら、春の県大会の反省点だった守備力の向上に取り組んできた。さらに練習を重ねて自信を付け、チーム全体が最高の状態で本番に臨みたい。
《静新平成25年7月12日(金)》

|
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
松井俊一コラム:末期的症状のスポーツ団体 |
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
 |
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
[末期的症状のスポーツ団体]
スポーツ団体のドタバタ劇が相次いでいる。とりわけ騒ぎの大きいのが、全日本柔道連盟(全柔連)と日本野球機構(NPB)である。
指導者の暴力沙汰や助成金の不正受給問題を起した全柔連は、関係者一同の脳ミソが「筋肉化」しているのではないかと疑いたくなるほど、次元の低い醜態をさらしている。このままでは、「柔道は知性のないスポーツ」とのレッテルが貼られそうである。また、二〇一三年のシーズンが佳境に入ってから発覚したプロ野球の統一球変更問題は、NPBが、組織としてもはや末期的な状況に陥っていることを露呈している。
日本相撲協会を始め、どうしてこのようにスポーツ団体の不祥事が頻発するのであろうか。組織や人材面の問題もさりながら、根本的な原因は、戦後の半世紀の間に、日本全体がはからずも感染してしまった、「閉鎖・排他」という「生活習慣病」が、スポーツの世界にまで蔓延してしまっている、ということであろう。
NPBの問題について多少補足すると、NPBは二〇一一年、加藤良三コミッショナーの肝いりで、米大リーグの公式球に近いとされる低反発球を導入した。目的は日本の野球の国際化を促進するためであった。ここまでは是である。ところが、三年目のシーズンを前にして、ファン、選手、球団に何ら告知することなく、統一球を「飛ぶボール」へと変更してしまった。しかも、今年のボールは、いままでより飛びが良いのではないか、と疑問が出されると、「変更はしていない」と嘘を言った上、関与したメーカーに対して、口止めまでしていた。そして挙句の果てに、実は、二〇一一年に導入した統一球の中には、当初意図した規格より反発力が小さい球が混入していたことまでが、露呈してしまった。もはやオソマツでは済まされない、悪質極まりない事件である。
野球は、世界規模で見れば、競技人口、観客数ともに、サッカーよりはるかにローカルなスポーツである。ローカルな野球をさらに世界に普及させるためには、国際的な交流試合を活発化させることが不可欠であり、各国の球団が統一的な規格のボールを使用することは、このための土台をなすものである。
日本は世界の中では珍しいほど、古くから野球が盛んな国であり、それもあって一部は独自の進化を遂げてきた。例えば使用球に関して言えば、軟球の発明などである。しかし日本の野球が国際的な競争力を高めるためには、使用球を日本独自のものから、アメリカを始め、各国が使用しているものに歩調を合わせることが欠かせない。ようやくと統一球を使用することに漕ぎ着けて、一歩前進と思った矢先の、この事件である。
この事件で何よりも唖然とさせられたのは、組織のトップである加藤コミッショナーが、「自分は(使用球の変更を)知らなかった」などと、平然と言い放っていることである。一方で、事務局長は、「コミッショナーに相談した上で変更した」と言っている。いくら何でもこのような重大な事柄を、事務局長が独断で行ったとは考えにくい。
もしコミッショナーが嘘をついているとすれば、これほどファンを見下して、バカにした話はない。日本のプロ野球界は、アグラを掻いてふんぞり返っていても、ファンは集まってくるとでも思っているのだろうか。組織のトップが、国民、ファン、選手を欺いて、自分の責任逃れに終始する姿を目の当たりにすると、かつて外務省の官僚として培ってきた役人根性が、丸出しに発揮されていると思えてならない。官僚が民間の分野で下手に活動すると、「百害あって一利なし」の結果を生むという格好の事例である。
また、もし本当に、コミッショナーがこの事実を知らなかったとすれば、それはそれで、組織の長としてのマネジメント能力に重大な欠陥がある由々しき事態である。その場合には、醜い言い訳などせず、自らの不明を恥じて、世間に頭をさげ、即座に責任をとって潔く辞任するというのが、まともなトップのあり様である。
日本のプロ野球は、最近、サッカーに多くのファンを奪われて、退潮ぶりが顕著である。この際、NPBの組織と人材にも徹底的にメスを入れたほうがよい。そうでないと、日本のプロ野球は今後さらに衰退の道を歩むことになる可能性が強い。
(二〇一三年七月八日)
|
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
第一中学校沿革 |
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
|
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
沼津市立第一中学校沿革最新版を↑上段の「一中校沿革」頁に追加しました。ご覧ください。
 |
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
柳幸子さんの書道展 |
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
|
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
柳(多家)幸子さんの書道展が平成25年6月17日〜22日
東京交通会館 地下1階ゴールドサロンにて開催。
端山氏が訪問され、撮った写真集を上段↑の写真集2に掲載ご覧ください。
↓の画像をクリックでも写真集に行きます。
それと、↑の同窓会動画ブログにスライド(校歌付)を掲載しました。
 |
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
松井俊一コラム:会議はコケる |
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
 |
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
[会議はコケる]
会議とは、@会して議する、A議して決する、B決して行う、ものである。ひらたく言えば、@集まって意見を戦わせ、A結論を出し、Bこれを実行する、のが会議ということになる。当たり前と言えばそれまでだが、現在「会議」と称されているものが、果たしてこの三つの条件を満たしているのか。打ち合わせ会、放談会、雑談会などとの混同は生じていないのか。時に吟味してみる価値はある。
「打ち合わせ会」とは「前もって相談すること。下相談。」(広辞苑)である。いわゆる「根回し」はこの部類だろう。だとすると、予め根回しが済んだ後に開催される「会議」なるものは、「発表会」もしくは「披露宴」とでも称すべきものである。
「放談」とは「思いつくままに順序もなく語ること」(広辞苑)であり、「雑談」とは「とりとめのない談話」(同)である。従って、@着地の見えない発言(人工衛星型発言)、A議論を拡散させる発言(惑星探査機型発言)、B議題や議論の説明的発言(能書型発言)などは、放談、雑談の部類に属すると言うべきである。
また、放談、雑談とはやや異なるが、議論の分かれ目では沈黙し、大勢が決した後になされる発言(大政翼賛型発言)は、会議の効果的な運営を妨げるという点で、有害なことが多い。
会議は議論をする場である。なすべき議論は正々と大いに行うべきである。そして、戦わせるべきものは意見であって、人格や能力や感情ではない。
「激論」は「激しく意見を戦わせること」(広辞苑)であり、口論は「くちげんか」)(同)である。激論は議論の一形態であるが、口論はそうとは言い難い。口論の場合は、戦わせているものが意見ではなく、人格、能力、感情であることが多いからである。従って冷静に考えれば、会議において激論は可とするが、口論はすべきではないということになる。
しかしながら激論と口論の区分けは難しい。スタートの時点から判然としないケースもあれば、激論が口論へと変化するケースもある。ひとの意見には、その人の人格や能力が色濃く反映されていることも多いからである。
だからと言って、口論を恐れるが故に、激論を回避するようなことは、あってはならないだろう。例えば、会社の進むべき方向に誤りなきを期すため、必要であるならば、激論も行うべきである。不幸にして激論が口論に転じてしまったとしても、お互いの意見の軸が「会社の発展のため」にあるならば、口論のわだかまりが尾を引く期間はさほど長くならないと思われるからである。
また、会議において「〜ではないか」といった具合に、末尾に疑問や反語の「か」が付く発言は、意見ではなく「感想」である。会議に感想は不要である。
さらに、会議での意見は明確であるべきだ。仮に議案についての意見であるならば、賛成か反対か、何故か、を少なくとも明確にすべきである。反対の場合には、できれば対案を示すに越したことはない。さしたる対案もなしに、ただ議案の難点をいくつかあげつらうに止めるものも、意見とは言えない。
会議は出席者が真剣に意見を戦わせる場である。とすれば、会議の時間はせいぜい一時間程度が限度である。三時間も行うことができる会議の実態は、放談会や雑談会であることが多い。@会して議せず、A議して決せず、B決して行わない、名ばかりの会議は、自ずとコケてしまうのである。
(二〇一三年六月一八日)
|
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
松井俊一氏コラム「しっくりこない国民栄誉賞」 |
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
 |
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
[しっくりこない国民栄誉賞]
長嶋茂雄と松井秀喜が国民栄誉賞を受賞した。国全体は概ね祝賀ムードであり、マスコミの報道も、NHKまでが特集番組を組むほど、盛り上がっている。このようなおめでたいムードの中で、敢えてケチを付けるのは、必ずしも本意ではないが、今回の国民栄誉賞については、二つの点で、どうもしっくりとこない。
第一は、松井秀喜の受賞の妥当性についてである。長嶋茂雄はさておき、何故、松井秀喜なのか。米国大リーグでの活躍ということであるならば、例えば、本人が辞退したイチローは言うに及ばず、野茂英雄の方が功績はよほど大きい。野茂は移籍問題を始めとする幾多の困難が横たわる中で、日本人選手が米国大リーグで活躍する道を切り開いた先駆者であり、その活躍ぶりも目覚しかった。米国での勝ち星は一二三勝(日米通算二〇一勝)に上り、一九九六年、二〇〇一年の二度にわたってノーヒット・ノーラン試合を達成(米国史上両リーグでの達成は四人目)するなど、日本人として、まさに誇るべき足跡を残している。
一方の松井秀喜はどうか。ホームランの本数ということであれば、一七五本、日米通算でも五〇七本で、王貞治(通算八六八本)には遠く及ばず、打率も二割八分二厘(日米通算二割九分三厘)と三割に満たないレベルである。「国民栄誉賞」に値する活躍が一体何なのか、素直には浮かんでこない。
敢えて、二〇〇九年のワールドシリーズで、ニューヨーク・ヤンキースの優勝に貢献し、最優秀選手(MVP)に選ばれたということであれば、これはむしろ、ニューヨーク市民栄誉賞の問題ではないか。
松井について、とりわけ納得がいかないのは、第一回ワールドベースボールクラシック(WBC)において、日本中が彼の出場を熱望していたにもかかわらず、国民の期待に背いて出場を拒否したことである。辞退に際してのもっともらしい言い訳も、とどのつまりは利己的な発想であることが透けて見えたため、わが家では、この事件をきっかけに、以後松井秀喜の応援は一切止めることにした。
要するに、米国大リーグの世界における松井の評価を、筆者なりに端的に言えば、イチローが一〇年、あるいは一〇〇年に一人の天才であるのに対して、松井は毎年一人以上現れる程度の、中距離打者だったのである。
次に、今回の国民栄誉賞がしっくりこない第二の点は、長嶋の受賞の時期である。永年のファンであった筆者にすれば、国民的人気を博した長嶋の受賞は、松井に比べて違和感が少ないが、今という受賞時期が理解できない。例えば、国民栄誉賞が創設された時(一九七七年)や、監督を引退した時ならば、まだ納得がいくが、何故今なのか。仮に松井の現役引退に歩調を合わせたのだとすれば、あたかも松井の付録のようであり、それこそ、長嶋に失礼な話ではないか。
二〇一二年十二月に第二次安倍内閣が誕生してから四か月余りが経過した。これまでのところ、各種政策への取り組み状況は、民主党政権があまりにお粗末であったことも手伝って、比較的健闘していると評価できるが、今回の決定については、どうもいただけない。国民栄誉賞の趣旨が曖昧で、時の政府の人気取りやご都合主義のため恣意的に受賞者が決められたのではないかと、疑われるような事例が続くと、この賞は、将来国民の支持を失って消滅の道を辿るおそれがある。
(二〇一三年 五月一一日)
|
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
松井俊一氏コラム[サッチャー女史の死を悼む] |
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
 |
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
[サッチャー女史の死を悼む]
イギリスの元首相、マーガレット・サッチャー女史が、四月八日、天に召された。享年八七歳であった。
女史については、筆者は個人的にも、赤の他人とは思えないほどの親近感を持っている。もう三〇年以上も前のことになるが、多分、女史が首相に就任して間もない一九七九年の頃、ニューヨーク市内のホテルで、幸運にも、女史とJ・カーター米国大統領の二人がそろって短い演説を行うセレモニーに出席する機会を得た。演説の詳細は殆ど記憶にないが、英国と米国が一致団結することの重要性を力説する彼女の堂々たる演説は、カーター大統領のそれが霞むほど、迫力満点であったことを、今も鮮明に覚えている。
筆者はその後日本へ帰任し、銀行の調査部で、日本のマクロ経済分析の仕事に携わることになった。その関係で、イギリスのマクロ経済の動向にも少なからず注意を払っていたのだが、サッチャー首相就任当時のイギリス経済は、俗に「イギリス病」と呼ばれるほど疲弊し、弱体化が進んでいた。これに対して、女史は就任するや、国の復活に向けて、各種の政策を矢継ぎ早に実施した。政府の市場介入の抑制、国有企業の民営化、規制緩和、金融システム改革など、いわゆる「小さな政府」や「自己責任・自助努力」等を旨とする、「新自由主義的政策」(サッチャリズム)を次々と断行し、そして見事にイギリス経済を復活させたのである。
翻ってわが国では、鈴木善幸内閣の時代で、メリハリのない、隔靴掻痒の政治がダラダラと行われていた。それだけになおのこと、サッチャー首相の政策は新鮮であり、爽快でもあった。
また、「鉄の女」とも称された女史の確たる政治姿勢は、経済政策の面だけではなかった。一九八二年、アルゼンチン軍が南大西洋のフォークランド諸島を侵略した折(フォークランド紛争)の処理も鮮やかであった。間髪を入れずに艦隊や爆撃機を投入し、犠牲を厭わず毅然とした対応を貫いて、領土を奪還した。「領土は国家そのものである。領土なくして国家はなく、国家なくして、国民の生命・財産などを守ることはできない」、との信念からである。北方四島と竹島を他国に侵略され、尖閣諸島までが脅かされているにもかかわらず、これまでさしたる手を打たず、傍観していたような国は、大いに学ぶべきである。
女史に対しては、「社会的弱者」と称する者達から、「弱者切り捨ての政治家」との批判もあるが、この手の批判は気にすることはない。何をおいても、国を支えるべき、「ごく普通の国民」が疲弊していたのでは、国は成り立たず、国が成り立たなければ、弱者救済など出来ないからである。誤解を恐れずに言えば、「弱者の保護や救済」なるものは、国や社会基盤がしっかりしていて、初めてあり得るものなのである。
国を二分するような議論の時にこそ、敢然とリーダーシップを発揮し、断じて行うことができる有為の政治家に、毀誉褒貶は付きものなのかもしれない。さしたる定見もなく、愚民迎合にうつつを抜かし、国家を危機に陥れた、どこかの国の民主党の政治家とは根本的に次元が違う。女史が実践した政策は数多くの教訓を生むことになった。わが国の現政権における「アベノミクス」にも多大な影響を与えている。
二十世紀を代表する稀代の政治家が、また一人、この世を去った。まことに寂しいかぎりである。
(二〇一三年 四月一八日)
|
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
2013年04月12日 13時48分 |
沼津市立第一小学校校庭の藤の花 |
 |
←をクリック動画にジャンプします。
一小の校庭の藤の花と児童たち。 |
沼津東3年杉山七海さんが「ハッピーニュース高校生」受賞
《静新平成25年4月5日(金)朝刊》
|
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
 |
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
 |
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
2013年04月04日 05時01分 |
戦没同窓生284人しのぶ |
 |
沼津東高OBが平和祈念式典
戦没同窓生284人しのぶ
県立沼津東高(旧制沼津中)卒業生でつくる香陵同窓会は3日、同校の跡地に建つ沼津市御幸町の市民文化センターで戦没同窓生を追悼する平和祈念式典を開いた。
木村博彦同窓会長が「戦没者の努力と命のおかげで今日があることを忘れずに、平和の尊さをかみしめて生きていきたい」と述べ、約40人の会員が献花した。出席者の中には戦争で兄弟や同級生を失った人もいて、涙を流しながら校歌を歌う姿も見られた。
同センター玄関前には太平洋戦争で命を落とした284人の同窓生と教官をしのぶ「平和祈念之碑」が建立されている。この日は悪天候のため、屋内で式典が開催された。
《静新平成25年4月4日(木)朝刊》
|
2013年04月01日 17時21分 |
第一小桜・桜・桜のお知らせ |
 |
平成25年4月1日(月)
沼津市立第一小學校校庭の桜・桜・桜の動画を
上段の復活沼一中・東HPに掲載。
又は←の画像をクリックして下さい。 |
松井俊一氏コラム〔闘病記〕 |
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
 |
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
〔闘病記〕
二月一三日から三月二一日まで、都内の病院への入院を余儀なくされた。親譲りの高血圧がもたらした慢性腎不全が原因である。腎不全との格闘は、かれこれ一〇年近くに及ぶ。とりわけ最近の三年間は、かなり厳しい食事制限を行ってきたのだが、昨年秋ごろから急速に病状が悪化し、ついに透析が必要な末期状態に陥ってしまった。
二月の診察時に、「至急入院」と、医者から告げられた時は、永年にわたる努力が空しかったという悔しさが先に立ち、即座に従う気には、なれなかった。ようやく腹を決めて入院したが、初日の夜は、これまでの闘病の記憶がよみがえり、さらには、これからの入院生活や手術などに思いが至るなどして、ほとんど一睡も出来ずじまいだった。まんじりともしない暗闇の中で、ラジオ(NHK)から、イヤホンを通じて西田佐知子の歌が流れるのを聞き、体に何の不安も無かった青春時代を思い出して、いっそう感傷的な気持ちに落ち込んだ。
かくして始まった入院生活は、一言で言えば毎日が苦痛の連続であった。病気そのものに伴う苦痛は、腹膜透析を導入するために行われた、カテーテルを腹の中に挿入する手術くらいのものであった。手術は二月二六日に行われ、全身麻酔で、略四時間を要したが、痛みは手術直後の一日がピークであり、かつて尿管結石で入院した時に味わったそれに比べれば、我慢のできるものだった。腹膜透析に向けての準備は、概ね順調に進んだ。筆者の入院したフロアー(四階)は患者が、約五〇名、そのうち二〇名強が腎臓を患っている者であった。腎臓病患者専用のフロアーのため、医師はもちろん、看護師も、腎臓の疾患には手慣れた者が多く、自分の身を委ねるのに、不安は微塵もなかった。大学の付属病院ならではの安心感である。
苦痛は、むしろ精神面のそれであった。一日の生活のスケジュールは全てが、杓子定規にきちっと決められている。午前六時起床、午後九時消灯。午前八時、正午、午後六時に食事。食事は、一日当り一七〇〇カロリー、食塩六g、蛋白質五〇g、腎臓食で感動的にまずい。飲み水は一〇〇〇CCまで。入浴は一日おきで、一人当たり三〇分。午前一〇時と午後五時に血圧、体温、脈拍の検査。そして数日おきに採血。といった具合である。
当然のことながら、病院からは一歩たりとも出ることが叶わない。生活空間は寝起きするベッドとそのわずかな周囲のみ。散歩の真似事ができるのは、病室前の長さ三〇メーターの廊下だけ。右腕には本人識別のためのリストバンドがはめられたまま。鉄格子こそ無いが、まさに獄中の囚人である。
単調な毎日の繰り返しで、二四時間がとてつもなく永い。これまでの生活は、午後八〜九時就寝、午前三時ごろ起床というパターンであったため、目が覚めてから起床時刻の六時までの時間が、とりわけ永い。多少頭を使って、あれこれと思いをめぐらす時間は十二分にある。しかしこれも曲者で、一旦マイナス思考に落ち込むと,底なし状態になり、精神衛生上極めて悪い。
食べたい時に食べたいものを食べ、寝たい時に寝る。気が向けば、いつでもどこにでも外出できる。自分のリズムとテンポで、自由な生活が出来るということが、いかに貴重で有難いものか。時折、基本的人権や言論の自由が存在しない中国や北朝鮮の国民が負わされている、人間否定のストレスは、この比ではないだろう、などと妙なことに同情してみたりする。
ごく当たり前で言い古されたことではあるが、「自由」の二文字の有難さが心底身に染みた、延べ三七日間の入院生活であった。
(二〇一三年 三月二九日)
|
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
2013年03月22日 05時36分 |
高橋正登氏沼津副市長退任 |
 |
副市長人事案を最終本会議に提出
沼津市議会議運
沼津市は21日開かれた市議会議会運営委員会で、高橋正登副市長(67)の後任に、元市企画部長の井原三千雄氏(62)を充てる人事案を提出すると説明した。
22日の2月定例会最終本会議に追加提出する。高橋氏は任期を2年残しているが、健康上の理由で3月末で退任する意向を示していた。
《静新平成25年3月22日(金朝刊)》
|
松井俊一コラム:「故郷は遠きにありて」 |
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
 |
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
〔故郷は遠きにありて〕
ふるさとは遠きにありて思ふものそして悲しくうたふもの(室生犀星)
筆者は生まれてから高校卒業までを沼津で過ごした。その後上京し、大学を卒業した後は、銀行マンとして、各地を転々とした。住んだ場所は、東京、名古屋、京都、大阪、神戸、さらに海外のニューヨークといった具合である。根無し草のような生活を長い間続けた末に、現在は流山に住んでいる。様々な気候や社会風土の下での生活を経験してきたこともあって、とりわけ故郷の沼津には愛着を感じ、思い入れも、ことのほか強い。
富士山は目の前にあり、駿河湾の海の幸を始め、日本茶、蜜柑などの山の幸や里の幸にも恵まれ、気候は温暖、雪が降ることも滅多にない。住む人の性格も、至って鷹揚で穏やかである。「おてんとうさまと米の飯はついてまとう」が、祖母の口癖であった。
今でも、法事や趣味の魚釣りなどで、時折沼津の実家へ帰ることがある。しかし、犀星ほどの思い込みはないものの、故郷での滞在は、せいぜい一週間くらいがよいと思うことが多い。「沼津に帰って住む気はないのか」と周りから聞かれることがあるが、「住む気はない」とあっさり答えている。
理由の一つは、これまでの根無し草生活によって、生活のテンポやリズムがそれに染まってしまったためと思われる。
首都圏や大阪、名古屋などと沼津とでは、どうしても生活のそれが異なる。もちろん沼津の方がテンポは緩やかで、リズムも穏やかである。帰郷した直後はいつも、このことがたまらなく嬉しいのだが、一週間も経つと、それが徐々に「所在のなさ」へと変わっていってしまう。
さらに、故郷での滞在は一週間程度と思う、もう一つの理由は、滞在が長びくにつれて、心の隅にある「微かなわだかまり」が、時折ふと、頭を持ち上げて来るためである。
筆者の二つ年下の妹は、既に故人となったが、脳に障害を持っていた。終戦二年後の一九四七年に受けた、天然痘の予防接種が原因であった。生まれてから二か月で最初の接種を受けたが、それが不充分ということで、間もなく二度目を受けることになった。生まれて二か月余での、二度にわたる接種は、身体への負荷があまりに大き過ぎたのであろうか。接種の後、高熱を発し、それが続いた末、仮死状態に陥ってしまった。スプーンで食べ物を与えようと、口の中に入れても、それを飲み込むことなく、いつまでも舌の上に乗ったままであったそうである。
両親は心当たりの医者を片端から訪ね、何とか助けてくれるよう頼んで歩いたが、どこの答えも、「もはや手遅れ」であった。最後に訪ねた台湾出身の開業医から、「最近ペニシリンという新薬が開発されたと聞いている。進駐軍なら手に入るかもしれない。」と、アドバイスがあり、叔父が苦労して座間の米軍キャンプを訪ねて、何とか入手することができた。
「後遺症が出るかもしれないが、それでも良いのか」と、医者から言われたが、両親は迷うことなく「とにかく、命だけは助けて欲しい」と懇願した。医者は英語の処方箋を片手に、かなり高単位のペニシリンを投与したそうである。
何とか、命は助かった。しかし脳にかなり重度の障害が残った。当時はまだ広く世間には知られていなかったが、今日振り返れば、明らかに種痘の副作用である「種痘後脳炎」であったと思われる。それでも両親は、その医者を命の恩人として、感謝することを終生忘れなかった。小児科医であったにもかかわらず、それ以来、大人も子供も、病気も怪我も、家族に何か起こると、真っ先にその医者に駆け込んだ。四六歳で逝った母の最期を看取ってくれたのも、その医者であった。
妹は、見た目は至って普通であるが、注意深く見ていると、言動の軸がどこかずれている。社会常識を逸脱したことを時折行い、家族全員が問題の解決に奔走することもたびたびあった。そのくせ、電話番号の記憶力などは抜群で、もし病気にさえなっていなかったら、兄妹の中でこの子が一番頭は良かったのではないかと、父母は折にふれて言っていた。両親を始め、家族全員が、口では言い尽くせない苦労を山ほどした。母が夭逝したのも、多分にこの苦労が与っていたと、今でも思っている。今の世であれば、国や市を相手どって、薬害の訴訟沙汰にでもするのであろうが、妹も両親も既にこの世に無く、それも叶わない。
本人自身が周りからいじめを受けるのは日常茶飯事だったが、筆者と、もう一人の四歳下の妹も、辛い思いは数え切れないほどした。一部の子供達から、「お前の妹は馬鹿だ。頭がおかしい。」と言われた。陰口も言われたようである。病気の後遺症であるのに、家系が原因であるかのように言われたり思われたりすることが、悔しかった。
「馬鹿と言っているお前は、俺より馬鹿じゃないか。そんな人間が他人に向かって、馬鹿と言える資格があるのか。」そう言い返してやりたくて、悔しさをバネに、勉強とスポーツの両方に励んだ。後で聞いた話だが、末の妹も全く同じ気持ちだったようである。
子供は残酷である。よく、「純粋」などと言うが、そうではない。限りなく動物に近いだけで、他人の傷や痛みを平気で攻撃する。他者への思いやりや気配りなどが身に付くのは、人間としての分別がしっかり身に付いてからの話である。極めて身勝手なことだが、身内を除いて、筆者はいまだに幼い子供をあまり好きになれないでいる。
故郷についての「微かなわだかまり」とは、幼い頃味わった、妹にまつわる様々な出来事なのである。
(二〇一三年二月一〇日)
|
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
松井俊一コラム:箱根駅伝へのエール |
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
 |
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
[箱根駅伝へのエール]
今年も、正月の風物詩である「箱根駅伝」(東京箱根間往復大学駅伝競走)が、盛況のうちに終了した。
「最近の箱根駅伝はあまりに肥大化しすぎて、弊害も多い」との批判もあるが、筆者は素直な気持ちで、もの心付いたころから、箱根駅伝を応援し続けている。毎年、一月二日の往路、三日の復路をじっくり堪能してから、初めて新しい年を迎えたという実感が沸いてくる。
箱根駅伝の最大の魅力は、「母校の襷をつなぐ」一心で、若者が真摯に走る姿勢にある。出場選手の多くは、競技者として、まだまだ未熟であるから、それなりの気負いや失敗例も多い。それでもめげずに、一心不乱に取り組む姿は、清々しい。
今年の駅伝もよかった。二日の往路は向かい風が強く、三区以降、とりわけ五区の山登りの選手には気の毒であったが、天候の良し悪しが付き物であることも、この大会の特性であり、また見所でもある。今回総合優勝した日本体育大学の健闘は、充分賞賛に値する。一年前の大会では、最下位から二番目の一九位、しかもタイムオーバーにより、八区で襷が途切れてしまった。その後、予選会から勝ち上がっての総合優勝は、九七年の神奈川大学以来、史上二校目の快挙である。大失敗にめげず、これを糧に変えて、一年で見事によみがえった好事例を、目の当たりにすることができた。
毎年楽しませてくれる箱根駅伝であるが、一方では気がかりなこともある。
第一は、テレビの実況中継のあり方である。箱根駅伝のような競技大会こそ、NHKが放映すべきである。片道五時間余にわたって行われる競技の放映が、CMの都度中断されるのは勘弁して欲しい。白熱する競り合いの場面をCMによって妨害されることが、これまでに何度あったことか。民放では、五時間余もCMなしということは到底不可能であろうから、このような競技こそ、NHKには是非とも、放映権を取得してもらいたいものである。
さらに現在の放映局である日本テレビは、アナウンサーや、局そのものの体質も問題を含んでいる。実況担当のアナウンサーは、何故あれほどまでに絶叫しなければならないのか。ラジオと異なり、映像が映っているのだから、しつこく大げさな実況は、テレビ局側の、独りよがりによる自己満足としか思えない。かえって視聴者をしらけさせるだけである。今年の大会にも、とりわけひどい者がいた。二日間にわたってこのようなアナウンサーを放置していたのは、上司や周りの者もこれを是としていたからに他ならない。とどのつまりは、局の体質そのものが下劣なのである。
また今年は幸いにして遭遇せずに済んだが、タイムオーバーで襷が途切れる場面が生じると、襷を渡すことが出来なかった選手の打ちひしがれた様子を、カメラがいかにも執拗に追い続ける。人の傷に塩をすり込むような悪趣味は、止めるべきだ。
気がかりの第二は、競技参加資格者としての、いわゆる「留学生」の問題である。誤解を恐れずに言えば、留学生は除外したほうがよい。戸籍の信頼性がいまひとつで、年齢も正確か否か断じがたいような、桁外れのスピードを持った留学生の参加は、本大会の趣旨にはそぐわない。
「マラソンの父」と呼ばれた金栗四三が、そもそもこの大会を創設したのは、「世界に通用するマラソンランナーを育成したい」との思いからである。オリンピックでマラソンランナーとして失敗した自らの体験を踏まえ、彼の念頭にあったのは、世界に通用する日本人のランナーを育成することであったはずである。本大会は、記録だけを追い求めているものでは決してない。オリンピックで活躍できるような日本人ランナーを育成することも、一つの大きな目的であるのだ。
今年も本大会で、山梨学院大学と日本大学が外国人留学生を起用した。山梨学院大学と言えば、箱根駅伝に外国人留学生を起用した最初の大学であり、その後も執拗に毎年起用し続けている。大学の売名のために、箱根駅伝を利用しているように見える大学は、とても応援する気にはなれない。
そもそも、箱根駅伝の参加資格を有する学校は、記念大会を除いて、「関東学生陸上競技連盟」の加盟校である。関東ではなく、甲信越(山梨県)にある大学に、何故連盟への加入資格があるのか。そのこと自体が不可解である。
これら二つの気がかりな点を解決すれば、箱根駅伝はさらに楽しめる大会に育っていくことができると思われる。
(二〇一三年一月二九日)松井俊一
|
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
松井俊一新年第1回コラム「EU(欧州連合)の構造的欠陥」 |
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
 |
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
〔EU(欧州連合)の構造的欠陥〕
ヨーロッパの信用不安が止まらない。
ギリシャに端を発し、スペイン、イタリアなどの各国に、連鎖的な不安が生じている。不安を生んでいる主因は、各国の巨額な財政赤字である。そして赤字の原因は、国民に対して大盤振る舞いを続けてきた、バラマキ政策によるところが大きい。積年にわたる、選挙目当ての愚民迎合政策と、「大きな政府」の、なれの果てとも言える。
財政赤字を厳しく削減しようとすると、途端に、国民から大反対の合唱が起こる。甘やかされて育てられてきた人間を、規律と節度をわきまえた大人の世界に導くのは、容易なことではない。財政再建の道のりは限りなく険しい。
日本も他人ごとではない。国の借金はGDPの二倍に達し、世界で群を抜いている。「身の丈にあった生活」や「入るを計り、出ずるを制す」などという言葉は、もはや死語になってしまったようである。立派な体をした若者が生活保護を受け、ゲームセンターやカラオケでうつつを抜かしている。乗用車を乗り回していながら、生活が苦しいと言って、子供の学校の給食費を払わない親も多い。巨額の財政赤字について、日本の場合は他国と異なり、国内の貯蓄で国の借金(国債)を賄うことができているから大丈夫だと言う人がいるが、そうはいかない。国の借金残高は、既に家計(個人)の貯蓄総額に迫りつつあるのだ。
話しをEUに戻すと、財政再建に四苦八苦している国が多い一方で、優等生のドイツは、マルク時代に比べ、ユーロが安価になったことで、輸出増による経済の繁栄を謳歌している。そのくせ、ドイツはEUの構造改革のために、率先して自らの血を流すことには消極的である。ドイツと並んでEUのリーダー格とされるフランスも、自国経済の脆弱性という爆弾を抱えている。
ヨーロッパ連合には、色々メリットも多い。しかし、メリットを享受するためには、その土台となるべき、相応の規律と努力が大前提になる。一つの独立した国家であっても、現在は世界の多くの国が、財政赤字の削減と景気回復の二律背反に、四苦八苦している状態なのである。
ヨーロッパ連合が、巷に言われているようなメリットを享受するためには、財政、金融部門を土台から再構築する必要がある。少なくとも、各国の財政政策について、同一国並の運営ルールとガバナンスは絶対に不可欠である。経済全般の運営方針についても統一出来るならば、さらに良い。これらが構築されない限り、ヨーロッパの信用不安は無くならない。下手をすればEUそのものが崩壊することすら懸念される。しかし、経済状況がバラバラな各国が独立を保ったままで、これらを実行することは、至難の業である。
実はEUとよく似た話が、日本にもある。
確たる指導力が無く、躾も教育もままならない教師の下で、優等生も劣等生も同一の教室に入れ、甘やかしの授業に終始した結果、劣等生はもとより優等生、さらにはクラス全体の崩壊を招くことになってしまったという、日本の教育のことである。
(二〇一三年一月六日)
|
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
松井俊一コラム〔人間とサルのあいだ―類猿人の存在 |
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
 |
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
〔人間とサルのあいだ―類猿人の存在〕
ヒトは生まれた時はサルである。サルが言い過ぎであるならば、限りなくサルに近いヒトである。ヒトに近いサルのことを類人猿と言う。ならばサルに近いヒトは、筆者はこれを「類猿人」と名付けている。
そして類猿人をヒトに変えるものが、親や家庭の教育である。この場合の教育とは、近所の人に出会ったら挨拶をする、玄関では靴を脱ぐ、食事をする時は箸を持つ、といった、主として躾の類いである。類猿人の教育は並大抵のことではない。相手は脳ミソが殆ど真っ白な状態であるから、「言って聞かせる。やらせてみる。」の、辛抱強い繰り返しが必須である。しかもこれだけで、必ずしも全てが身に付くわけではない。時には不本意ながら、体で覚えさせなければならないこともある。
アメリカの一般家庭の躾は、現在の日本よりもはるかにしっかりしている。ニューヨークでよく目にした光景だが、子供が入ることを許される、いわゆるファミリーレストランといえども、子供が椅子の上に立ち上がったり、騒いだりしようものなら、すかさず親が注意する。それでも改まらない時には、頬をつねる、尻を殴打するなども珍しくはない。
体罰はもとより好ましいことではない。しかし、サルとは異なるヒトとして、最低限守るべき基本ルールは、その後の永い人生の土台をなすものである。「三つ子の魂百までも」の重さを考えれば、時には心を鬼にして行わなければならないこともある。
次に、類猿人を脱皮し、一定の躾を身に付けたヒトを、人間にするのが、学校教育と家庭教育である。人間とは、ヒトが社会に所属する一員であることを自覚し、社会の一員として最低限守らなければならないルールを、守るべくして守る者のことである。
最近の通勤電車の中は、さながらマナー違反者の陳列ケースのようだ。長くもない足を投げ出して椅子に座る者、他人の鼻先で新聞を広げる者。臆面も無く化粧をしたり飲食をしたりする者。サルのまま歳だけを重ねてきたような人間で溢れかえっている。これらの者に共通しているのは、「電車は皆で利用するもの」という自覚の欠如である。そしてこの自覚の欠如は、家庭と学校における、教育の欠如と誤りとに起因する。「教育の欠如」とは、真の「自由」、「権利」とは何かを、徹底して教えていないことであり、「教育の誤り」とは、「自由と放任」、「権利とわがまま」は厳に異なる旨を教えていないことである。電車や道路は自分一人のものではない。そして多くの人が共同で利用するものには、自ずと利用に際して最低限まもらなければならないルールがある。
かつて、ニューヨーク市のマンハッタン区で、自動車の運転免許の試験を受けたことがある。当時、マンハッタン区の道路の混雑振りは全米一、試験の難しさも全米一と言われていた。しかし、運転技術そのものについての試験はさほど難しいものではなかった。右折、左折、Uターン、路肩駐車など、ごく日常的で基本的な技術だけである。筆記試験も同様で、常識で考えれば答えることができるような問題が過半であり、日本のように難解で、現実離れした問題は見当たらなかった。
むしろ試験に際して重視され、強調されたことは、「道路は皆で使うもので、自分一人のものではない。他の人に迷惑を及ぼすような行為をしてはならない。」という思想であった。ちなみに第一回目の実地試験は不合格であった。技術面はほぼノーミスであったと思っていたので、少々意外であったが、「(他の車が接近中の)信号機のない交差点で一旦停止を怠ったことが、(他の車を巻き込んだ事故となりかねない)極めて危険な行為であり、致命的な減点要因である。」との指摘を受けた。
皆が共同で利用するものに守るべきルールがあることは、電車や道路に止まらず、広く「社会」についても同様である。人が社会の一員である以上、社会の一員として最低限守るべきルールを守るのは、当り前のことである。社会の中における自由と権利の行使には、自ずと、「他の人が自分と同様に有する自由と権利を、侵さない」といった、責任や義務を伴うことになる。ヒトを人間に育て上げる教育は、学校だけ、あるいは家庭だけの一方で成り立つものではない。両者が相まって、さらには社会全体も一体となってこそ、実効をあげることができるものである。
教育は、短期間で顕著な成果が出るものではない。「言って聞かせる。させてみる。」ことを長期にわたって持続させることであり、教える側に立てば、まさに長丁場にわたる、忍耐と我慢の連続である。そして教育の手順については、@基礎・基本は、厳しくしっかりと身に付けさせる。Aその後は徐々に手綱を緩めていく。最後に、B応用・創造は自由にのびのびと活躍させる。というのが、オーソドックスなやり方であろう。
家庭での教育を放棄しておきながら、学校に責任を転嫁する親。自らの教育能力の向上に不断の努力を払わないで、家庭の教育不足を言い訳にしたがる学校教師。「教師」である前に、「労働者」であることを旨としてきた日教組。現実を直視し、正面から問題解決に取り組むことを怠ってきた行政。他人の子供であれば、否、時には自分の子供でさえ、周りの人に迷惑をかけていても注意しようとしない倫理、道徳の欠如した社会。
わが国の教育改革の道のりは、前途多難である。
(二〇一二年一二月一二日)
|
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
松井俊一氏コラム:TPPと日本農業 |
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
 |
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
〔TPPと日本農業〕
TPP(環太平洋経済連携協定)に対する農業界の反発が激しい。TPPへの参加はもとより、協議への参加についてさえ、強烈な拒絶反応を示している。TPPに参加すれば、日本の農業は壊滅するとまで言う。しかし、本当にそうか。
では問うが、これまでわが国は「国内農業の保護、育成」というお題目で、何十年にわたって国民の税金をつぎ込んできたのか。その結果、日本農業は復活の兆しを少しでも見せたのか。答えは明白である。農業に新規参入する若者は皆無に近く、農業従事者は減少の一途をたどり、高齢化だけがひたすら進んで、もはや先の展望が開けない状態に陥っている。
TPPへの参加を拒否したら、農業は復活できるのか。これも、答えは否である。日本農業を現在のような閉塞状態に追いやったのは、実は、「日本農業の閉鎖、排他体質」なのである。農協を中心とする業界団体は、独占的権益を享受し、農業への新規参入者を頑なに拒み続けてきた。例えば農地一つをとってみても、新規参入者が利用できるようにするのは、幾多の障壁に阻まれて、至難の業である。企業の進出はもとより、個人でさえ、容易には参入ができない状態である。これでは、若者が農業へ参入しようとする意欲は削がれざるを得ない。
今、国がなすべきことは、補助金(国民の税金)をバラ撒いて、生産性向上意欲のある農業従事者の「やる気」までを削いでしまうことではない。例えば、農地の円滑な貸借を促進する制度の創設など、企業や個人が新規参入を行い易くなるような、各種の制度をととのえること、既存の農業団体を解体または再編し、開放的な団体へ改革すること、などである。要は、農業のマーケットを開放して、企業や個人事業者の新規参入を促進し、それによってビジネスチャンスを拡大することである。この方が、現状よりはるかに日本農業が復活する可能性は大きいと思われる。
わが国の農業、漁業など、第一次産業が国内総生産に占める割合は、僅か数パーセント(約一・五%)に過ぎない。日本は圧倒的に二次産業と三次産業に依存して成り立っている国なのである。
国土面積が狭小(世界の〇・三%)で、天然資源も殆ど皆無の日本が、世界のトップグループの一員として生きていくことが出来るのか否か。命運は二次産業と三次産業がいかに国際競争力を保持し、輸出産業によって、一次産業を始めとする他の産業全体の脆弱性をカバーできるか、にかかっている。とりわけ、二次産業における国際競争力はその鍵を握っている。
これまで日本の経済成長を牽引してきたのは、自動車、電機に代表される輸出産業である。しかしこれらの輸出産業は、近年、韓国、中国、台湾などの追い上げを受け、比較優位性が急速に低下してきている。従って、関税のように輸出の障壁となるものが、他国よりハンデキャップを負っていても構わない、などという余裕は、もはやない。TPPは、そのハンデキャップに係わる重要な討議の場なのである。一・五%の産業を守るために、九八・五%の産業はどうなっても構わないという理屈は、国民経済の観点からは、どう考えても成り立たない。
TPPについては、一刻も早く協議へ参加することである。一日遅れるごとに、日本の意向が全く反映できずに、事態はどんどん進んでいってしまう。協議に参加し、そして協議の結果、万が一、日本の国益に重大な悪影響を及ぼす事項があり、それがどうしても解決できないということであるならば、その時点で、参加を見送ることもやむを得ない、ということである。
TPPはまた、傍若無人ぶりが目に余る最近の中国を牽制する上でも、相応の意義があると思われる。
(二〇一二年一二月二日)
|
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
松井俊一氏コラム |
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
 |
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
〔 厚顔無恥の世代―万里の長城遭難事件など 〕
中高年が絡んだ、恥さらしの事件や事故が多発している。
韓国の男子芸人を追いかけて、かの国にまで、のこのこと出かけて行き、反日運動の標的にされたり、事件に巻き込まれたりする中年女性がいる。そうかと思うと、無謀な山登りや山歩きで遭難し、世間に迷惑を掛ける中年男女も多い。救助に向かったヘリコプターが墜落して、前途ある隊員の命が犠牲になったという、やりきれない事故も起きている。
先日もまた、恥さらしの事故が起きた。中国、万里の長城で日本人の男女四名が、雪に見舞われて立ち往生し、うち三名が死亡した、というものである。悪天候になるとの天気予報を軽視し、軽装で物見遊山を強行した挙句の事故である。危険予知能力の欠如、状況判断の甘さ、無防備な服装、体力の過信など、言い出したらきりがないが、そもそも、尖閣諸島をめぐるゴタゴタの最中に、わざわざ中国へ出かけていく神経そのものが、理解できない。まさに、「平和・安全ボケ、ここに極まれり」である。
中高年の無神経や傍若無人ぶりは、事件や事故だけに止まらない。国の財政が破綻の危機に瀕し、老人医療費の自己負担額を多少増やしたり、年金を減額したりしようとすると、たちまち、「年寄りの人権を守れ」などと言って、大騒ぎをする。
いい歳をして、国にたかったり、社会に甘えたりするなと言いたい。若い頃から、旅行や娯楽などを多少我慢しても、老後に備えるため、貯蓄に努めることは、日本人として当たり前のことではないか。老後は、天から神様がいろいろ恵んでくれるとでも思っていたのか。イソップ寓話のアリとキリギリスの話は、自分とは無関係な世界だとでも思っていたのか。彼らが自分と同年代であるだけに、なおさらのこと腹が立つ。
さらに耐えられないことは、現在の日本には、このように厚顔無恥な中高年が蔓延しているかのように、思われていることである。これにはマスコミの偏向的な報道も大いに与っているが、とんでもない。筆者の周りには、「我慢」、「自助努力」、「受益者負担」などを旨とする中高年の人達が圧倒的に多い。皆一様に、だらしのない中高年に対して、悲憤慷慨している。
自分達が若い時は、年寄りの世代を支えてきた。しかし、タチの悪い官僚が、年金や社会保障について、いいかげんな制度設計を行ったおかげで、いざ自分達が支えられる世代になったら、若者の負担があまりにも過重になってしまった。結局、自分達は割りを食うことになる。が、それはめぐり合わせの悪さであると言い聞かせて、我慢するしか仕方がない。世界に類を見ない急速な少子高齢化を前提とした、新しい社会制度を構築することは、将来の日本と若者達のために、是非とも必要であり、何としてもやり遂げなくてはならない。これに伴う応分の負担増は、甘んじて受けようではないか。そして、それと同時に、現在の若者達に対しては、人生の先輩として、なすべき叱咤、激励をもっと堂々と行おうではないか。妙に沈黙したり、萎縮したりすることはない。
現在の中高年は、戦後、日教組の売国、亡国教育だけを受けて育った世代である。しかもその親の多くは、戦前、正しいと教えられてきたことが、敗戦で全て否定されてしまったため、教育の自信を喪失し、自分の子供に対する教育を放棄してしまった。いわば、教育の空白の中で育った世代である。しかし、現在の日本には、自己研鑽に励んで正しい知識と知恵を身に付けた、まともな中高年も負けず劣らず多いのである。
まともな中高年の皆さん、この国の将来のために、もっと声を大にしようではないか。
(二〇一二年 一一月)
|
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
松井俊一著「言いたい放題ー気の向くままにー」ご案内 |
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
|
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
松井俊一氏より著書「言いたい放題ー気の向くままにー」の発刊の知らせがあり、
早速上段の「言いたい放題」をDPF形式で掲載しました。お読み下さい。

 |
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
この国の進むべき道:松井俊一著ご案内 |
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
|
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
松井俊一氏が29日の同期会に最新著書が提供されました。
上の段の「この国の進むべき道:松井俊一著」にPDFで掲載しましたのでお読み下さい。

 |
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
9月29日三島プラザホテル・アネックスで開催された「東高16回期同期会」の動画と写真集のお知らせ。 |
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
|
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
三島プラザホテル・アネックスで開催された「東高16回期同期会」の動画は上の段の
「同窓会動画ブログ」と「復活沼一中12東HP」に掲載。
写真集は上段の「写真集2」にアルバムとして掲載。ご覧ください。
 |
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
杉本富太郎氏:沼津市立第一中学校10回期生 |
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
|
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
沼津市役所に自主製品の販売拠点を設けた障害者団体代表
杉本富太郎(すぎもととみたろう)さん (沼津市)

知的、精神、身体の各障害者8団体でつくる「沼津市の障害者福祉の充実を考え求める会」をまとめる。市役所の地下に販売店「パイン」を開設した。店名は市の木の松にちなんだ。68歳。
ー店の特徴は。
「障害者が作ったパンや弁当、文具、布製品など約60種類を並べた。各団体が商品を持ち寄ることで品ぞろえを充実させた。私たちが一堂に集まって常時販売できる場所はこれまでなかった。とても喜んでいる」
ー開設の経緯は。
「障害者と健常者が日常的に接する場所がほしかった。パインでは障害者が店員として働く。積極的に足を運び、理解を深めてもらえればうれしい」
ー障害者をめぐる課題は。
「障害者自立支援法施行後、障害が重い人ほどサービスを受けた時の自己負担が大きくなった。私は精神保健福祉団体の代表も兼ねているが、精神障害者への偏見はまだある。こうした課題を解決するには各団体が手を取り合うことが大切。パインの運営を通して協力関係をより強めたい」
◇
ゴルフと囲碁を月1回楽しむ。
(静新平成24年6月6日「この人」)
|
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
同期の鳥潟浩司氏からの便りです。 |
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
|
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
同期の皆さん
ご無沙汰しています。
景気のことは、言わずもがな。相変わらずです。
最近、例のNHK:あなたが主役50ボイスの企業編がダイアモンド社から出版されました。
小さなナンバーワン企業の集約集です。
(画像四枚です)
良い季節ですが、梅雨入りもまじかです。おからだご自愛のほど、お祈り申し上げます。
鳥潟




|
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
沼東バレー部5人けが |
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
|
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
沼津東バレー部5人けが
高校総体遠征途中 バスに乗用車衝突 東名・菊川
26日午前7時50分ごろ、菊川市牛渕の東名高速道下り線で、千葉市稲毛区の塗装業男性(61)の乗用車が、県立沼津東高の男子バレーボール部の生徒らが乗ったマイクロバスに衝突した。乗車していた1、3年生の女子マネジャー4人と、2年生の男子部員の計5人が首や胸などを打ち、軽いけがをした。乗用車の男性と同乗者の2人にけがはなかった。
同校によると、バスには部員19人と顧問の教諭1人が乗っていた。同日開幕の高校総体県大会に出場するため、掛川市内の体育館に向かっていた。けがのなかった部員14人は代替の車で会場に向かい、試合に出場した。
県警高速隊によると、乗用車が追い越し車線に進路変更した際、後ろから来たバスとぶつかったという。
御宿正士副校長は「けがが大事には至らず、ほっとした。久々の県大会出場で万全の状態で戦ってもらいたかったので残念」と話した。試合はOー2で敗退した。
(静新平成24年5月27日朝刊)
|
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
旧制沼津中沼津東高 OBら平和願い式典 |
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
|
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
戦没同窓生しのぶ
旧制沼津中沼津東高 OBら平和願い式典

旧制沼津中と沼津東高のOBでつくる香陵同窓会は3日、戦没同窓生を追悼する平和祈念式典を沼津市民文化センターで開いた。
旧制沼津中があった同センター玄関脇には284人の同窓生をしのぶ平和祈念之碑が建立されている。この日は悪天候のため屋内で開催した。約40人の出席者は全員で校歌を歌った後、花を手向けた。
同会平和祈念実行委員会の江藤敬広委員長は「戦争によって今でも語り合えたはずの多くの仲間を失った。平和を当たり前のものとしていかなければならない」と述べた。
(静新平成24年4月4日朝刊)
|
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
沼一中一回生回想「おばあちゃんは大先輩上・下」 |
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
|
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
「沼一中一回生回想」
おばあちゃんは大先輩 上 花村邦子
孫が沼一中に入学する。子どもの成長は早いもので、追いかけるように私も、もうすぐ七十八歳。
ゲームに熱中している時の孫の指さばきの見事なこと。時折、「ウー」とか「ゲー」などと、おかしな声を出す。「この子、大丈夫かな」と、しばらく顔を見つめる。少年ぽい、その横顔がチラッと私を見る。
「そんなにゲームに夢中で、本当に中学生になれるの」彼の返事。「今年の子はさ、皆幼いんだってサ」
沼一中一回卒の私としては、この際、話しておきたいことが山ほどある。
「おばあちゃんは、お前の大先輩なんだョ」と話し出すと逃げ腰の彼。「きょうはトランプではなく私の話に付き合って」と、きっぱり言った。
「日本が戦争に負けてアメリカの言うことを聞かなければならなくなったのは知っている?」「うん」
「小学校の教育も軍国主義から、自由と権利を大切にする民主主義に変わったの。それまでの『お国のために生きなさい』という教育から人間の権利を大切にする教育方針にガラッと変わったの。義務教育が六・三制になり、小学校の六年間と中学校の三年間。その後は高校が三年間、そして大学というようになったの。その時の新制中学第一回卒業生は、今のお前と同い年。お前達は、小学校を卒業した後、当たり前のように一中に入学。『一年生、おめでとう』でしょう」「当然!」ときた。
「おばあちゃん達は一中生になっても校舎がなかった」「なぜ」
「戦争の時、空襲で沼津のまちは丸焼けになり、家も学校も焼けて、なんにもなくなったんだよ」「知っている」と孫。
「小学校六年の時、学校はこれからどうなるのか不安だった。教育制度が変わり、試験を受けなくても義務教育として中学生になることができるようになった。焼けずに校舎が残っていた私立の学校を受験して進学した子もいたけれど、ほとんどの子が一中生になった。制度は決まっても校舎がないの。そこで、残った公社、海軍工廠、軍需工場の宿舎などを校舎として使うことになった」
「それでも足りなくて、一中は金岡中と一緒に勉強することになった。一年生の足で家から金中までは遠かった。毎日が遠足のようだった。雨もよく降り、大雨になると一つ目ガード(今の中央ガード)は汚水混じりのプールになった。浅くて歩ける時はジャブジャブ歩き、通れなければ、ガードの上に止まっている貨車の下を潜って登校した。それでも学校に行くのがイヤなんて、一度も思わなかったョ。戦争に負けた国だから何もなくても仕方ないと思っていたし、恐ろしい空襲はないし、何か前より楽だったからー」
「でも、辛かったのは、お弁当の時間。金中生は、ほとんどが家は焼けないし、農家だったから、白いご飯のお弁当だった。私達一中生は、商家が多いし、家も焼け、何もなかったから皆、貧しかった。お弁当だって代用食のおイモなどで、まともな食事は誰もできなかった。今、考えると、なんて冷酷な組み合わせだったのかと思うよ。一中生は皆、栄養失調。だから金岡の子の体力には負けるけど、"勉強で勝つ"と心に決めていた。やっぱり子どもだもの。変な意地も張ったりしながら、その頃が一番辛かった」
孫の手が何回か目元にいく。黙って私を見詰めている。
そんな孫の様子を見ながら私は話を続けた。(つづく)(市揚町)
(沼朝平成24年3月31日号)
おばあちゃんは大先輩 下 花村邦子
「二年生になる時、一中生は、今市立高のある場所に大きな公社があって、そこに引っ越すことになったの。本光寺さんとかPTAの役員さん達の世話で金岡中と一中は教材を分け合って、それを二`くらいの道のりを皆で運んだ。栄養失調の十三歳の子達が、机、椅子、黒板、理科の実験の教材などを胸に抱えて運んだの。大変だったけど、うれしかった。本当にうれしかった。
まだ三月で肌寒く、その上、まともな靴もなく、足はグショグショで冷たい。皆、笑顔なのに泣いていて、顔も足もグチャグチャになりながら歩いた。疲れては休み休みして、目的地に向かう途中の野原には、クローバーの白い花やピンクの小さな姫あやめが咲いていた」
話しながら私は、その風景に再会していた。ポロポロと落ちる涙を孫に重ねていた。孫の目も濡れていた。
「二年生になり、一中生だけの仲間、幸せだった。校舎の東側半分には市立高のお兄さん連がいた。西半分が一中。お弁当の時間も楽しいものになり、少しずつ物が出回り始めて分け合えば足りるようになった。男子は野球、マラソン。女子は歌や、分かりもしない恋愛論など何もない分、希望がいっぱいだった。二期生も入って来て、少しずつ学校らしくなってきた。
そんな頃、一中の校舎が丸子町に決まった。私連一期生は、新校舎に入れないことは分かっていても、これからできる一中の校舎に夢をふくらませて、何度も運動場の整地に行った。小石を拾い、手に豆を作りながらコンクリートで出来た大きなローラーを引き、文句たれたれ、よく働いたよ。"後輩に幸あれ"と願って私達一期生は、辛い思いをいっぱいしたから、その分、頑張れたんだよ」
ここまで話し、「これが沼一中の始まりだよ。何か感想は?」と水を向けると、「さほど感動的とはー」と孫は口を濁したが、その目は確かに濡れている。
この話も戦災による犠牲の実態であるが、それでも夢も希望も持てた。食べるもの全てがおいしかった時代ー。
沼一中一期生から数えて今年は六十五期生となる。この歳月の流れを「時代」だと一口でくくりたくない。教育の力は、かくも恐ろしいものかと今さらのように思う。その上、現在にあっては、天災、人災、原発、世界的経済不況と、どこまで犠牲を強いられるのか。
東日本大震災から一年を過ぎた。家があっても帰ることができない人達。一方で、除染をしても放射能への不安が消えないままの帰郷。「がれき」の文字が私の心に突き刺さる。
原子爆弾を落とされ、その怖さ、悲惨さを肌で感じて」「ノーモア、ヒロシマ」「ノーモア、ナガサキ」のはずの私達が無関心で過ごしてきた一時代。それが今度は「フクシマ」を生み出してしまった。孫達の未来.のため、限られた"いのち"の中で、今こそ脱原発を発信するしかないと思う。
孫達の未来に花は咲くのだろうか。
ーあの救世主の花は本当に咲くのだろうかー。(おわり)(市場町)
(沼朝平成24年4月1日号)
|
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
OBの川口育夫さんが講演 |
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
|
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
東高秋季講演会
OBの川口育夫さんが講演
実験車両焼失や故障
苦難乗り越え進化を遂げる

東高(杉本淳光校長)の振学対策委員会は二十八日、秋季講演会を岡宮の同校体育館で開いた。五中出身で東高二十一回卒の川口育夫さんが、「時速五〇〇キロへの挑戦ーリニアとともに」と題し、リニアモーターカー開発の歴史、そこに携わった技術者としての苦労、喜びなどを語った。
振学対策委員会の井上慶三委員から「(同講演会で)久しぶりの理系講師」だと紹介されて登壇した川口さんは、事前に配布のレジュメに書かれていた硬式テニス部を立ち上げた高校時代のことには触れず、リニアモーターカーの話に入った。
川口さんとリニアモーターとの出合いの場は入学した明治大学でのサークル。卒業後、リニアモーターに関わりたくて赤字続きの国鉄に入社。しかし半年間の研修後の配属先は信号や駅の表示板などを担当する通信関係だった。
入社三年後、国鉄社員のまま東大で研究生活を一年間体験。宮崎県にあった浮上式鉄道実験センターへ転勤となって以来、国鉄、JR、鉄道総合技術研究所で二十八年間、浮上式鉄道の電力供給システム開発に従事。
現在はジェイアール総研電気システムに勤務し、台湾新幹線や国内新幹線の開業前試験などのほか、環境問題化している変電所などの磁界を測定、LED照明の寿命予測試験も行っている。
川口さんは、ある種の物質を一定温度以下にすると抵抗がなくなる超電導現象を説明。超電導状態となったコイルに電流を流すと永久に流れ続け、強力な磁界を発生。この超電導磁石を車両に載せ、ガイドウェイに取り付けた地上コイルとの磁気が反発と吸引を繰り返し浮上、走行するというリニアモーターカーの原理を解説した。
走行中の車両を止める時は走行時と逆の電流を流すこと、地上側と車両側にブレーキがあること、また電気ブレーキのほか複数枚のブレーキディスクの摩擦力で止める機械ブレーキ、抵抗板で止める空力ブレーキ、走行路摩擦ブレーキがある。
国鉄が超電導リニア開発を始めたのは一九六二年。七〇年に超電導浮上研究が始まり、七二年に浮上走行、七五年に完全浮上走行に成功。七九年、宮崎県の実験センターで浮上式鉄道走行実験を行い、その年の十二月に時速五一七`を記録。
ここまで電気保守などを担当していた川口さんは八〇年、待望のリニアモーターの開発を担当。八二年に有人走行を開始し、八七年に有人走行で時速四〇〇`を記録。九〇年の山梨実験センター開設に伴い、二〇〇三年には三両編成の有人走行で五・六秒間、五八一`を持続するという進化を示した。
宮崎では電気系統の故障で実験車両を焼失し、山梨実験線では試乗会当日、故障が発生したこともあったと振り返った。また五十歳を過ぎてから論文を書き、電気工学博士号を取得している。
終了後、生徒との質疑応答では「車両の電力はどのように供給されているのか」「大江戸線などにリニアを採用しているメリットは何か」「車両同士のすれ違い時の衝撃波はどうか」などがあった。
(沼朝平成23年11月1日号)
|
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
綾部氏社長就任祝いゴルフの後の反省会 |
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
|
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |


薬の副作用で黒髪が生えてきた辻君↑


|
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
第34回 躍雲祭案内 |
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
 |
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
第34回 躍雲祭の御案内
沼津市立第一中学校
校長 森雅宏
爽やかな初秋の季節となりました。皆様におかれましてはますますご清祥のこととお喜び申し上げます。
さて、本年度も生徒会を中心に『仁結和』のスローガンのもと、第34回躍雲祭を下記により開催いたします。
ご多用とは存じますが、ご来場いただき、生徒たちの日ごろの学習成果をご覧の上、激励くださいますようご案内申し上げます。
記
1 平成23年9月30日(金)『躍雲祭文化の部』
(1)時間・9時10分〜12時10分
(2)会場・沼津市立第一中学校体育館
2平成23年10月1日(土)『躍雲祭体育の部』
(1)時間・8時30分〜14時50分
(2)会場・沼津市立第一中学校グランド
※体育の部当日雨天の場合は、10月2日(日)に順延します。
|
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
5人じじいの疲れた珍道中 |
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
|
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
昨年12月9日〜14日、「癒しのルアンパバン&ビエンチャン」のキャッチコピーに
誘われて?騙されて?5人じじいの疲れた珍道中をしてきました。太田が経営して
いた「熱川温泉ホテル」に集い、英気を養おうと、同期生の仲間を募り「輩会」
という勝手会を創って、集まっていたが・・・旅行の会に発展というわけで・・
今回の会催行は、辻、綾部、大場、望月、端山=5人となった次第でして・・・
第1弾=ルアンパバンでのホテル(ラマヤナ・ブティック・ホテル)前で、王宮
博物館敷地内の仏像を納めた金ピカ色の祠です。11日撮影

第2弾=プシーの丘の頂から見た「メコン川とルアンパバンの家並み」11日撮影
12日ビエンチャン市内観光、ラオスの象徴「タートルアン」と前での記念写真、
歴じい 端山しげき
次回は、スリランカに・・・ワープとエヘヘといきたいな!

|
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
2011年08月29日 16時19分 |
原田真人監督:モントリオール世界映画祭受賞 |
 |
モントリオール世界映画
「わが母の記」特別賞
カナダで開催されていた第35回モントリオール世界映画祭で29日午前(現地時間28日夜)、伊豆ゆかりの文豪井上靖の自伝的小説をもとに県東部などで撮影した映画「わが母の記」(原田真人監督11沼津市出身)が、最高賞に次ぐ審査員特別グランプリに輝いた。
幼いころ実母に育てられなかった小説家が、老いて記憶を無くしていく母を温かなまなざしで見つめ、家族3世代の絆を描いている。役所広司さん、樹木希林さん、宮崎あおいさんらが出演し、今年2〜3月にかけて伊豆市湯ケ島や沼津市などで撮影された。来年公開予定。
国内からはほかにも、さだまさしさんの小説を映画化した「アントキノイノチ」(瀬々敬久監督)が、革新的で質の高い作品に贈られるイノベーションアワードに選ばれた。
★モントリオール世界映画祭 北米最大規模の映画祭。昨年、「悪人」の深津絵里さんが最優秀女優賞を受賞したほか、2006年に奥田瑛二監督の「長い散歩」、08年に滝田洋二郎監督の「おくりびと」がそれぞれ最高賞のグランプリを受賞するなど、日本映画が高く評価されている。
舞台の沼津・伊豆歓喜
「美しさ見てほしい」
原田真人監督の映画「わが母の記」が29日、モントリオール世界映画祭で最高賞に次ぐ審査員特別グランプリ受賞したとの一報に、ロケを誘致した沼津市や伊豆市の関係者から、喜びの声が上がった。
「県東部で全面支援した作品で、このような国際的な賞を受けたのは初めてでは」。沼津商工会議所・ハリプロ映像協会の飯島充子さんは声を弾ませた。原田真人監督から「撮影地を探してくれないか」と依頼を受けたのは、2009年12月。真冬の風が吹く中、古民家や渓谷を案内した。
地元を重んじる原田監督の意向もあって、作品の半分以上が、伊豆市と沼津市を舞台に撮影された。飯島さんは「井上靖が描いた家族愛と、両市の自然美があいまって、世界的な評価を受けたことがうれしい」と話した。
主人公の少年期を演じた沼津市立大岡小6年の土屋風丸君(12)は、「一生懸命演技したのでうれしい」と率直に感想を語った。
伊豆市の菊地豊市長は「一人でも多くの人に伊豆、沼津の美しさを見てほしい」、沼津市の栗原裕康市長は「地元の人間として誇らしい。世界的な知名度を高めるきっかけになれば」と願った。
【静新平成23年8月29日(月)夕刊】
|
東海大会B編成で金賞受賞 |
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
|
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
一中吹奏楽部が昨年に続き
東海大会B編成で金賞受賞
一中(森雅宏校長)の吹奏楽部は、静岡市民文化会館で二十一日に開かれた吹奏楽コンクール・中学校B編成(三十人以内)の東海大会で県代表として演奏。出場十五校のうち上位六校が選ばれる金賞を二年連続で受賞した。
同部は、音楽家の林圭一郎さんにコンクールで演奏する曲の作曲を依頼。「蝕」と題した現代曲を部員二十三人で演奏。
顧問の芹澤淳教諭は大会を振り返り、「東部、県大会と比較しても今までで一番良い演奏で、生徒達も満足していた。会場の評判も良く、県大会後の短期間で、よく上達したと思う。昨年同様に金賞を受賞できてホッとした」と話している。
(沼朝平成23年8月25日号)
|
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
今年も一中が東海大会 |
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
|
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
今年も一中が東海大会
吹奏楽コンク 難易度高いオリジナル曲で
一中(森雅宏校長)吹奏楽部は、七日に静岡市民文化会館で開かれた県吹奏楽連盟主催の県吹奏楽コンクール・中学校B編成(三十人以内)に東部地区を代表して出場し、金賞を受賞。昨年に引き続き上位三団体が選ばれる県代表となり、二十一日に静岡市民文化会館で開かれる東海大会に出場する。
顧問の芹澤淳教諭は、歴任校も含め、吹奏楽部顧問として十一回目の東海大会進出。一中吹奏楽部は、トランペットなどの金管楽器がない構成で少人数ながら難易度の高い曲で毎年、コンクールに挑戦している。
昨年はラヴェルの「ピアノ協奏曲ト長調」より第2楽章、第3楽章をアレンジした超絶技巧の曲で臨み、県大会で最高賞の県知事賞を受賞、東海大会で金賞に選ばれた。
昨年の大会で主力だった三年生十三人が抜け、残った部員は一、二年生合わせて十三人。今年は大会への出場自体が危ぶまれたが、部員個々の技術の高まりと、新入部員十一人を迎えたことから今年も挑戦することに。芹澤教諭は「今年もオーケストラの曲ではないか、と見られていたようだが、昨年と同じ音楽はやりたくない。聴く人を驚かせてやろう」と、自身もアンサンブル以外では初の試みとなるオリジナルの現代曲に挑戦。
昨年アレンジを依頼した音楽家の林圭一郎さんに、一中の編成に合わせたコンクール用の作曲を依頼。六月に入り、パートごとに出来上がった分から順に練習を開始。曲の全てが揃ったのは大会の二週間前だった。
それから三日間、譜読みを行って練習し、通しで音合わせができたのは一週間前。そこに林さんが来て、その場で一人一人の楽譜を書き直してそれぞれが対応し、大会直前に曲を完成させた。
芹澤教諭は「誰も聞いたことがなく、手本の演奏もない中で、生徒達は楽譜を頼りに対応していて、中学生の持つ可能性はすごいと思った。楽譜も現代曲なので難しく、吹きこなすまでも短時間だったが、頑張っていた」と振り返る。
「蝕」と題した自然現象を音楽化した曲で、邦楽の和音を使い、打楽器を多用。不思議な音を響かせるボウル形の楽器シンギングボウルの静かな音色で始まり、ソロパートが続いて、中間部の踊りをイメージした速いテンポからクライマックスに向かい、最後は静かに終わる。音階があるアンティークシンバルのクロテイルや風鈴も使う。
県大会では、「緊張感が全てだった」という芹澤教諭。「ステージ上の緊張感より客席の反応に緊張した」といい、「始まりから会場は静まり返り、客席から息をのむ音が聞こえてくるようだった。吹奏楽関係者なら、中学生がよくこれだけのことをやるな、と驚いたはず」と振り返る。
曲のインパクトで観衆を釘付けにしたが、演奏自体は「もう少し良い演奏ができたのではないか」と後悔もある。東海大会では、「自分達が目指す曲を聞かせたい」と話す。
原千咲季部長は「昨年とは曲の雰囲気も大きく変わり、半分は一年生。初演の曲なので、雰囲気を大事にした。ソロ部分もあり、一人一人の技術が求められて練習は大変だった。県大会は、まあまあの出来だったが、伝えたいことを出し切れていない。東海大会で出し切りたい」としている。なお、同コンクールの中学校県大会には、B編成に市内から一中以外に、門池中、市立高中等部、A編成(五十五人以内)に金岡中が出場し、いずれも銀賞。B編成の上位大会は東海大会まで。高校県大会には、A編成に市内から三校が出場し、沼商が銀賞、東高と市立高が銅賞。B編成にも市内から三校が出場して、西高が銀賞、加藤学園暁秀高と沼工が銅賞だった。
(沼朝平成23年8月18日号)
|
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
第23回香陵ゴルフ大会案内 |
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
|
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
平成23年度第27回香陵ゴルフ大会のご案内
第27回の香陵同窓会ゴルフ大会が下記の内容で開催されることとなりました。
万障お繰合わせの上ご参加下さるようご案内申し上げます。
記
とき 平成23年9月23日(祝)
午前8時受付開始
ところ 沼津ゴルフクラブ
TELO55-921-0611
27ホール(乗用カート使用)
競技方法 18ホールストロークプレー(ダブルペリア)
会費 3,000円
プレー費 16,000円(個別精算)
(キャディフィ、食事代含む)
申込〆切平成23年9月3日(土)
主催 香陵同窓会会長 斎藤衛
沼津香陵会会長 芹澤洸
ゴルフ部会部会長 神農泰彦
当日のスタート順、組み合わせは、9月18日〜9月22日の間下記ホームページ上に掲載します。
http://www14.plala.or.jp/koryokai/
http://www.kk-kato.co.jp
問い合せ:香陵同窓会事務局(TELO55-923-0680)
s-kato@kk-kato.co.jp(TELO55-921-2225)
渇チ藤工務店内加藤修一
|
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
/IBM Homepage Builder V12/sample/layout/6_diarybox/c.gif) |
2011年08月12日 16時39分 |